「以来、大関に復帰するんだ! という気持ちを忘れたことはなかったつもりです。大関にスピード昇進したものの成績を残せず、周りからいろいろ言われて、ケガで大関から陥落してしまった。周りからあれこれ言われる程度で潰れてしまう自分は、やはり大関としての力がなかったのだろうと思ったし、自分自身が情けなかったです。その反面、『落ちた』ことで少しホッとしている自分もいたように思います」「大関とは、常に優勝を狙える成績を残さなければならない、責任のある立場なのです」(雅山)
大関経験者23人にインタビューしたという「切り口」が秀逸。脚光を浴び、それまでの人生が肯定され、あとは引退を考えるという状態の横綱とちがって、大関の座は横綱と同等の力量がありながらその地位は不安定でケガや休場で陥落することもある。しかし注目度や知名度は大関にあがるとグッとあがり、周囲は常に「次は横綱」という期待をかけつづける。人によって〈大関になれた! うれしい!〉と思う。一方で〈自分は大関止まりだった。でも悔いはない〉と思う。
なった瞬間にだれもが喜びがこみ上げ、その後死守しつつ上を目指さないとならない環境になる。この絶妙なポジションに着目したことで、仕事論としても人生論としても読めるほどに濃密な読み物となっている。
栃東、琴光喜、千代大海、琴奨菊に豪栄道。いまだ取り口を思い出せる大関たちに、朝潮、旭國、増位山、霧島、小錦といった懐かしい大関たち。さらに貴景勝、高安、正代といった現役の力士までカバーして、一人ずつの読み切りのはずなのに、続けて読むとこの数十年の相撲の名シーンの数々が蘇(よみがえ)ってくる。しかも、おなじ頃に活躍していた力士たちのインタビューを読み比べると、当時はお互いをこう認識していたのかという発見もある。
旭國は増位山を「二世力士で歌も上手(うま)くて、振る舞いもクールな印象がありますが、(しぶとい足腰を身につけた増位山は)実際は努力の人でした」と評するが、その増位山は引退したばかりの旭國と空港でバッタリ会ったときに、「増位山、次、大関のチャンスじゃないか! がんばってくれよ」と声をかけられ、「無類の努力家で、ベテランになっても、他の誰よりも早く稽古土俵に上がる旭國さん(中略)からの言葉に、私はハッとしました」と語る。自分では決して努力したとは言わない力士たち。
個人的には魁皇の「悔いですか? まったくなかったですね」に救われた。横綱は時代を代表するが、大関は私たちを代表しているのかも。人数が多く多様だからこそ、かつて感情移入した自分にとっての大関がいる。=朝日新聞2023年3月18日掲載
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双葉文庫・792円。たけだ・はづき氏はノンフィクションライター。著書に『大相撲 想(おも)い出の名力士たち』『横綱』など。本書は「小説推理」連載をまとめた。