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「ケチる貴方」書評 冷え性の身体を通して世界描く

評者: 金原ひとみ / 朝⽇新聞掲載:2023年03月25日
ケチる貴方 著者:石田 夏穂 出版社:講談社 ジャンル:日本の小説・文学

ISBN: 9784065303580
発売⽇: 2023/01/26
サイズ: 20cm/125p

「ケチる貴方」 [著]石田夏穂

 表題作の主人公は備蓄用タンク工事業者の施工部で働く佐藤という女性。佐藤は極度の冷え性で平熱が三十四度台、寝る時は電気毛布の中で湯たんぽ二つを抱え、貼るカイロを肌に直貼(じかば)りする。生活は寒さと戦うことを中心に回っていて、ホットヨガ、サウナ、長時間入浴に余念がない。
 女性社員にコピーや洗い物、花束の贈呈役を押し付けるような古い体制の会社で、佐藤は不当なものにはっきりと抗議するため浮いている。しかし彼女の上げる声は、正義感からのものではない。自分が損をするのが嫌。つまりケチなのだ。ケチ故に、新入社員の教育係を任されたものの自分がコツコツと身につけてきた仕事上の知識を明け渡すのが苦痛でならない。
 しかしある日、彼女の体温が突然普通の人の平熱と同じくらいまで上がる。温かい身体で生きるこの世界は、かつてなく生きやすかった。体温の上がるメカニズムに気づいた彼女は、自分の体温を上げることに夢中になる。
 読みながらこの不自由さ、拷問のような寒さ、必死に寒さ対策する姿には覚えがあると気付かされる。これらは全て、現代人が置かれている環境に置き換えられるのだ。別に命の危険はない。しかし極度の冷え性と同じくらい、現代人は生きにくいのだ。そしてそれを解消するためには、大衆に、社会に多かれ少なかれ阿(おもね)らないとならない。
 繊細さやナイーブさでは、もはや現代人の生きにくさは描ききれない。佐藤という大柄で無骨(ぶこつ)、太々(ふてぶて)しく純粋にケチで自己中なキャラクターだからこそ、よりいやらしく進化した日本社会という、温(ぬる)いけれど着実にこちらの温度を奪う地獄が立ち現れてくるのだ。
 抱き合わせの短編も、脂肪吸引を繰り返す女性が主人公だ。思い通りにならない身体を通して世界、社会、大衆を浮かび上がらせる著者の手腕は、もはやマジカルと言いたくなるほどの芸術に達している。
    ◇
いしだ・かほ 1991年生まれ。作家。2021年、「我が友、スミス」が第166回芥川賞候補になった。