ノンフィクションの第一人者、後藤正治さんが取材で出会った忘れ得ぬ人びとを回想した短編集『クロスロードの記憶』が出た。「西本幸雄と仰木彬」「吉本隆明と川上春雄」など、スポーツから思想まで幅広い分野の20組を取り上げた。「人とは、他者との交わりにおいて自身をより表現するもの」。師弟、ライバルといった関係にある2人の人生の「交差路(クロスロード)」を練達の筆で描く。
「石井一男と島田誠」は、夕刊紙を配達しながら棟割り住宅で暮らしてきた画家と、埋もれた才能を見いだした画商の話。画家は49歳で初めて開いた個展の売上金を受け取ろうとせず、画商が関わる文化基金への寄付を申し出る。すると画商は「誠にありがたいお話ですが、この基金はあなたのような人の援助のために存在しているものでして……」。清廉な人柄が生んだ、ほがらかなおかしみがある。
監督としてプロ野球日本シリーズに8度進出しながら、頂点を逃し続けた「悲運の名将」西本幸雄に取材した帰り道、こう述懐する。
「いい話を聞けたという思いが残って気分がよかった。あるいはそれは、良き〈人格〉に触れたという心地よさであったのかもしれない」
これはそのまま、本書の読後感でもある。(上原佳久)=朝日新聞2023年4月1日掲載