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「眠れぬ夜はケーキを焼いて」午後さんインタビュー レシピつきコミックエッセイで伝える「あなたは独りじゃない」

作品を通して伝えたいことは…

――今作『眠れぬ夜はケーキを焼いて』がデビュー作ですが、そのきっかけは?

 以前からずっと漫画を描いてみたい気持ちは持ちつつも、なかなかその一歩を踏み出すことができずにいました。でも、ある時、突然「この自分の中の感覚を描かずにいる限り、永久に誰にも知られず、存在すら証明できず、私の死とともに消えるのか」と気づいて、描かなくてはダメだ!と思い、描き始めました。あとは、自分は誰に何を伝えたいのか、というテーマのようなものがはっきりしたことも大きかったと思います。

「眠れぬ夜はケーキを焼いて」1より

――ご自身の中の「感覚」と、伝えたいテーマとは具体的にどんなものだったのですか。

 言語化するのは難しいのですが、それぞれが持っている「世界をどう見て、どのように捉えて、何を大切にしているのか」ということです。そこから私は、この世界のどこかに必ずいる、自分と似た誰かに「私はここにいる」と伝えたいと考えるようになったのだと思います。

――そこから、作品全体のテーマとしてどんな事を考えられたのでしょうか?

 薄暗い部屋でふとんに潜り、本を開いていた幼少期の自分のイメージがまず頭に浮かびました。漠然とした不安感に襲われて眠ることができず、ただふとんに潜っているしかない真夜中に、頭を空っぽにして読むことができる。そして、いつの間にか眠れてしまうようなものを描きたいなと思いました。

ひとつ何かできたら自分を褒めて

――第1話の「真夜中にケーキを焼く話」では、生活リズムが不規則になり、18時間以上眠ってしまったことを落ち込んでいた「狼」(午後さん)が、「美味しいケーキをちゃんと作れた」という達成感によって自分の不甲斐なさを打ち消そうとする様子が描かれています。

 自分の価値を信じられなくなるほど深く沈んでいる時は、ほんの些細なことでも自分のやったことを「できた」と認めることが、再び浮上するためのコツだと思っています。そういう小さな成功体験を繰り返していくうちに、少しずつ自信を取り戻せる気がするんです。

 本当に何もできない時は何もせずに休むことが一番大切ですが、読者の方と一緒にできるような「行動」を描写したいと思い、ひとつひとつの手順はコマをぜいたくに使って描いています。なので、読者のみなさんには、ひとつ作業を進めるたびに「できたね」とご自分を褒めて、認めてほしいなと思っています。

――他にも、スコーン、ガトーショコラ、プリンなど、様々なスイーツを作っていらっしゃいますが、午後さんが初めて「夜中にお菓子を作った」ときのことを教えてください。

 私は学校に行けなかった時期があったのですが、その時、見事に昼夜逆転の生活を送っていまして……。そのころに初めて、真夜中にお菓子を作ったと思います。パウンドケーキをよく焼いていましたね。「なにか生産性のあることをしなくては」という焦燥感に常に襲われていたので、ケーキが焼きあがった時は少しだけほっとできました。

――実際に作る工程も描かれているので、読者もマネをして作れるようになっていますが、お菓子を作っているときはどんなことを考えていますか?

 基本的には、できあがったものがどんな食感や香り、味になるかといったことしか考えていません。たまに、その日にあった嫌だったことを反すうしている時もありますが、無心になれる時間ですね。お菓子は趣味で作っているだけなので、独学なんです。初めて作る料理は本やネットなどのレシピ通りに作って大枠を理解し、そこからどんどんアレンジを加えていって自分のレシピにしていきます。

――「こういう気分のときはこういうお菓子や食べ物を作りたくなる」と思うものはありますか?

 気持ちがクサクサしている時は、小麦粉と卵をたっぷり使ったパウンドケーキやカップケーキなどのシンプルなケーキを作りたくなります。あとはスポンジケーキが大好物なので、特に気持ちが沈んでいる時は食べて気分を上げたくなりますね。

――午後さんが救われた「甘いもの」の思い出を教えてください。

 以前、料理研究家のなかしましほさんと対談イベントをさせていただいたのですが、その時のお菓子交換企画でいただいたパウンドケーキがとっても美味しくて、衝撃を受けました。柑橘類とチョコを使った甘さ控えめのパウンドケーキだったのですが、口当たりも食感も味も、どれもとってもとても優しくて。なんだかすごく励まされたように感じて、元気が出ましたし「幸せ〜〜〜」と心の底から思いました。美味しい食べもので間接的に人を救うことができることを、身をもって体験した忘れられない思い出です。

――エッセイの部分では、ご自身の過去のことや、時にネガティブな感情も吐露されていますね。

 エッセイを書く時は、正直であることを心がけています。ひびきの良い言葉や収まりの良い結論にまとめたりせず、自分の感覚をありのままに描こうと努めています。ですが、感覚を完璧に言葉や絵に変換することはできないですし、読者の方も各々の感覚で読み取るため、すごく難しいなと日々感じています。エッセイを書くことで、他者とコミュニケーションを取る難しさをより理解できたように思います。

「眠れぬ夜はケーキを焼いて」2より

『やっぱりおおかみ』は未来の自分へのエール

――ところで、午後さんの自画像がなぜ狼なのか?と思う方も多く、その理由を1巻のあとがきで触れていますが、幼い頃に読んだ『やっぱりおおかみ』(佐々木マキ著、福音館書店)に感銘を受けたことが影響しているそうですね。

 『やっぱりおおかみ』を初めて読んだのは、たしか7、8歳くらいだったと思います。当時私の通っていた幼稚園や小学校では、協調性が一番大切だと教え込まれていた印象があり、窮屈さを感じていました。今考えてみると、幼稚園生の頃から周囲の人と関係性を構築することが難しいと感じていた私には、本作の「独りで生きていっていい」というメッセージに大きなインパクトを受けたのだと思います。

 その後はひとりでいることを好む人間に成長しましたが『やっぱりおおかみ』との出会いは、未来の私へのエールだったのだと思っています。

――その他に、これまでに影響を受けた作家さんや作品、最近読んだ本はありますか?

 いろんな作品を読んできたので忘れてしまっているものも多いですが、漫画家の方でしたら、羽海野チカ先生、宮崎夏次系先生、市川春子先生、須藤真澄先生、萩尾望都先生の作品をたくさん読んできました。あと、安房直子先生の児童文学もよく読んでいましたね。

 最近読んだ本は『愛の試み』(福永武彦)で、今特に好きな漫画は『青野くんに触りたいから死にたい』(椎名うみ)です。

いろいろあるけど、ゆっくり行こう

――新刊の3巻が4月に発売しますが、どんな内容やテーマなのか(こそっと)教えてください。

 3巻は「いろいろあるけど、ゆっくり一緒にやっていこうね」といった気持ちを込めて描きました。なので、1、2巻よりもゆったりとした印象になったのではと思っています。なんだかんだと暴れても「結局生きていくしかないのか」といった「いい意味での諦め」のようなものを感じながら、ここ一年は作品を描いていました。

――今後は創作作品も描いてみたいとのことですが、どんなジャンルや内容に興味がありますか?

 他人の抱える不可侵な孤独や地獄、闇のようなものや、それらを表現したものに興味があります。自分が読むものも「この世の地獄」みたいな内容の作品が好きなので、いつかそういった作品が描けたらと思っています。

――自己肯定感の低さで悩んでいる人はたくさんいますが、作品を通して伝えたいことや、届けたいメッセージがあれば教えてください。

 『眠れぬ夜はケーキを焼いて』シリーズは、誰かに何かアドバイスをしようとか、教えようといった意識は持たずに描いています。あくまでも私個人の記録であり、それが読んだ方の役に立っていたらラッキーだなと思うくらいで大それたことは言えませんが、もしも私と同じような状況の人が今世界のどこかにいるのなら「あなたは独りじゃない」ということを伝えたいと思って描いています。

 よく「自分を大事にしよう」という言葉を見聞きしますが、具体的に何をどうすれば自分を大事にしたことになるのか私もよく分かっていません。でも、自分の気持ちに嘘をつかず、素直になることは自尊心を高める上で大切かもしれないですね。

 自分の気持ちを無視することがクセになってしまうと、自分にしか分からないはずの「本当の自分」が誰にも認知されないことになり、その存在自体が危ぶまれて「本当の自分」の尊厳を保てなくなるのではと思うんです。素直な気持ちを否定されて傷つくことは怖いですが、それよりももっと怖いことは、自分で自分を殺してしまうことだと思います。