ただ悲しいだけの話ではない
――まずは原作を読んだ感想を教えてください。
僕は宮沢賢治さんの作品は、『銀河鉄道の夜』や『雨ニモマケズ』くらいしか知らなかったんですけど、今回の原作は賢治の父親である政次郎の視点で描かれているということもあって、「ファンの人がこの小説を読んだら、賢治の作品がより深く心にささるんじゃないか」「賢治好きな人にはたまらないんじゃないかな」と思いながら読んでいました。
賢治と妹のトシ、2人の子どもが親である自分たちよりも先に死んでしまいますが、作者の門井先生はただ悲しいだけの話を書いていないんですよね。宮沢家一人一人が人間的だし、特にこの政次郎はユーモアも欠点もある人なので、コメディーの要素もあっていろいろな波を感じながらとても読みやすい小説だなと思いました。
――公式サイトのコメントで「原作に書かれている一文を手がかりに演じてゆこうと思いました」と仰っていましたが、それはどんなことだったのですか?
賢治が田舎にいる親父のことを思う場面があるんですけど、「厳格な感じでいるんだけど、妙に隙だらけのお父さんだからちょっと心配だ」みたいなことが書いてあったんです。僕はこの一文が全体を通した政次郎の基本だろうなと思い、そこを手がかりにして演じていけばいいのかなと感じました。
――賢治が幼い頃、赤痢になった際に「たかが子どもじゃない、賢治だじゃぁっ!」と言って周囲の反対を押し切って付き添いで看病をするなど、自分の子どものためにあんなにも熱くなれる父親というのは、当時は珍しかったのではないでしょうか?
看病するということは汚れたものに触れなければいけないので、一家の主がやることじゃないとあの時代は言われたそうですね。でも、政次郎はそういうことも率先してやった。そういう意味で言うと、明治生まれの男性としてはある種、変わった人だったんじゃないかと思います。
――政次郎は厳格な父親でいようと努めますが、「賢治のためなら」とつい甘やかしていますね。
僕は、政次郎と賢治は親子という関係を超えた、運命的な出会いだったのではないかと思うんです。政次郎も、かつて自分が子どもだったころは父親にうんと厳しく育てられたので、自分はできなかったことを賢治には「自由にやらせてあげたい」という気持ちがあって、父として「もっと厳しく育てなきゃいけない」という思いの狭間で悩んだのでしょうけど、やっぱり賢治が伸び伸びと遊んだり、お話を作ったりしている姿を見て、羨ましくもあり、面白かったんだと思いますよ。子供たちや妻との会話の要所要所で政次郎は偉そうにしていますけど「きっとこの人は賢治を援助するんだろうな」と思いながら演じていました。
心の美しい子どもたちが誇らしかった
――たびたび資金を援助したり、「自分ができなかったことを自由にやらせてあげたい」と思ったりするのは、賢治が長男であったことも理由のひとつだったと思われますか?
それもあるでしょうが、それよりも大切なのは、子どもたちが心のキレイな、魅力的な人間に育ったことだと思います。農業にしても人造宝石にしても、賢治がやりたいことというのは、貧しい人たちがもう出稼ぎに行かなくてもいいように、娘を売りに出さなくてもいいようにと思って真剣に考えているからなんですよ。そういう心の優しい人間だし、妹のトシも、結核を患って苦しい最中でも家族のことを気遣う優しさを持っています。
それは、母親のイチが「人間っていうのは人の役に立つために生きているんだよ」といったことを子どもたちに教育してきたからなんですよね。この2人はその教えを守って、美しい心の人に育った。それは政次郎にとってもすごく眩しかっただろうし、誇らしかったんじゃないでしょうか。
――「家業は継がない」「学校を辞めたい」「人造宝石を始めたい」など突拍子もないことを言い出したり、奇天烈な言動を繰り返したりする賢治に振り回されることが多かったですが、菅田(将暉)さんとのシーンで印象に残っていることは?
もうほとんどですね。菅田くんとのシーンは面白くもあり、見ていても本当に感動的なところもあってどれも印象に残っています。中でも、賢治が突然「人造宝石をやりたい」と話をするシーンでは、「この子はこのままいくと詐欺師になるんじゃないか?」というほどの雄弁さで、政次郎が「そのためのお金はどうするの?」って聞いたら「お願いします!」って言ってきたりしてね(笑)。
ほかにも後半の方で「自分は家庭を持っていないから子どもができない。だから自分の子どもは文学なんだ」と言った賢治に対して、「じゃあ俺にとっては孫だな」と政次郎が返すシーンはとても好きです。
政次郎の成長の物語でもある
――家族を描いた本作ですが、「死」についても考えさせられました。中でも、政次郎の父であり、賢治にとっての祖父である喜助(田中泯)が死に至るまでのシーンは胸が震えました。
僕もあのシーンはとても心に残っています。お互い白髪が生えようが、いくつになっても親にとっては子どもだし、子どもにとっては親。その親が年老いて、自分のことも分からなくなってしまうのはとても辛いことですよね。
喜助の後は自分(政次郎)と順番に逝くはずだったのが、宮沢家では順不同になってしまいましたが、不慮の事故や病気など、親よりも先に逝ってしまうことは誰にでも起こる可能性があります。なので、この映画を見て「ちょっと親に電話でもしてみようか」と思ってくれたらうれしいですね。
――本作で「父」と「息子」両方の立場を演じられましたが、父と息子の関係性について改めて考えたことはありましたか。
今も昔も変わらないものはあるでしょうね。だけど、この政次郎さんは立派な人だったと思いますよ。本心では質屋という家業を嫌っていたのだろうけど、街にも貢献をしたし「親父を超えたい」という気持ちもどこかにあったでしょうしね。
門井先生も仰っていましたが、これは宮沢賢治の成長の物語であって、父・政次郎の成長の物語でもあるんです。子どもって親を成長させてくれるなということは僕自身も感じていて、子どもが親にさせてくれる、親として成長させてくれることは生まれた瞬間から始まっていると思います。それに、政次郎は賢治のために家代々の宗旨を変えてしまった人ですからね。それほどまで息子のために自分が出来ることを最後までやり遂げたのは、彼のことが相当好きだったのではないでしょうか。
本から先輩の生き方やたたずまいを学ぶ
――役所さんは普段、読書はされますか?
例えば今作のように、原作があってそれを映画化しようというお話があると、その本や演じる人物に関係する本を読むことが多いですね。あとはいろいろな人のエッセイを読みます。森繁久彌さんや市川雷蔵さん、三船敏郎さんといった方たちはどういう人だったのかということが書かれている本を見て、先輩たちの生き方やたたずまいを学んだり「役者の仕事ってこういうものなんだ」と教えてもらったりしています。
あとは、映画監督の本も読みますね。いまだに小津安二郎さんのファンが多くいらっしゃるということを聞くと、小津さんは一体どういう風にして映画を撮っていたのか、かつての日本の映画界はどういうシステムだったのかということに興味があります。
――当時の映画界はどんな感じだったのでしょう。
やっぱり豊かですよね。その頃はテレビがないですから、映画産業もうなぎのぼりで、作れば当たったし、映画館にお客さんが大勢来るような時代。だから映画に時間と予算をかけて、そして新しい人材を育てた贅沢な時代だったんだろうなと思います。