1. HOME
  2. インタビュー
  3. 今村翔吾さん「茜唄」インタビュー 源平の戦い、敗者の視点で現代に問う「新・平家物語」

今村翔吾さん「茜唄」インタビュー 源平の戦い、敗者の視点で現代に問う「新・平家物語」

今村翔吾さん=松嶋愛撮影

※以下は、ポッドキャスト「好書好日 本好きの昼休み」でのインタビューの一部を再構成したものです。音声では朝日新聞朝刊の連載小説「人よ、花よ」の今後の展開なども語られています。

敗者の名前を冠した物語

――『茜唄』は平家物語を題材に、平清盛の四男・知盛から見た源平の戦い、平家の滅亡を描いた物語です。平家物語で小説を書こうと思ったきっかけは?

 現在も残るこういう物語は、勝者の歴史、もしくはその時代の元号をつけて「平治物語」「保元物語」と呼ばれることが多いけど、「平家」という敗者の名前を冠した物語はすごく珍しい。これって面白いというのが入口ですね。

――改めて平家の視点からとらえるのはすごく新鮮でした。

 「平家滅亡」と言うけど、実は一族は残るわけです。例えば織田信長も平家の流れを汲んでると言われているし、源氏側にも平家から合流した人もたくさんいる。けど「平家滅亡」という響きがしっくりくるのがこの時代。何が滅亡して、何が残ったのかは描けると思いました。

――平家物語を後世に語り継ぐために命がけの努力をする登場人物の会話の中で、物語の主人公・平知盛が動いていきます。それにしても、源平の物語はみんな非業の死を遂げるので、読んでてやはり、泣けます。

 まあ、これくらい討死が連続する小説も珍しいかな。一ノ谷の戦いは平家一族が連続して死ぬから、書いていてしんどい部分もあった。半面、膨大な登場人物が半減するから、担当編集とも「ここからはちょっと書きやすくなるな」と話してた(笑)。

「勝者の歴史」でない歴史

――私が関東出身だからかもしれませんが、源氏の物語、源氏から見た物語にすごくなじんでいたことを思い知りました。

 確かに関西人はおおむね平家に対して同情的なのかな。関東の人で平家の落ち武者の話、あまり聞いたことないでしょ? 関西より西はあちこちに平家の落ち武者がいて、「落人の里」や「落ち武者の幽霊」という話はしょっちゅう聞くから、平家に対しての見方や話の出方も違うかもしれない。

――源平の戦いは源義経、その脇を支える武蔵坊弁慶、義経の妻・静御前を中心に描いたストーリーが多いように思います。『茜唄』の主人公・平知盛は戦略家で聡明で、義経に近いイメージです。

 義経が主人公の小説やアニメやゲームは、最後の敵が知盛になるパターンが多いよね。それと知盛を「兄者」と慕う平教経が2人で最後の敵みたいな感じかな。教経は「王城一の弓取り」と言われたぐらいの怪力だったので、どうやって倒すねんっていうレベルの無茶苦茶してるし、タイプの違う同士のコンビ、いわばダブル劉備とダブル関羽が対峙していくようなところもあるし、この2人を描いてる時が一番楽しかったな。

――そもそも平治の乱(1159年)で敗れた側の源頼朝を、平清盛はなぜ殺さなかったのかという謎があります。まだ幼かった頼朝に情けをかけたとも言われますが、やがて成長した頼朝によって平家は滅亡に追いやられる。『茜唄』では清盛の選択について、一つの推論を展開しています。

 これに関して正解はないんだけど、清盛がそこまで馬鹿とも思えないし、簡単に源氏を根絶することはできないと清盛も分かっていたかもしれない。すると考える幅も広がってくる。さらに現代の世界の情勢を見ていたら、こういう考え方があってもいいかなと。

――直木賞受賞作の『塞王の楯』で描かれた、大津城の戦いにおける石垣職人と鉄砲職人の攻防は、現代における核抑止論にも似た描写がありましたけど、清盛が頼朝を殺さなかった理由は国家間の勢力均衡をイメージしているのでしょうか?

 そう、国家論に近い感じですよね。前作で描いたのが武器による均衡なら、今回は国家の均衡。実はこの時は、「日本が一つ」という感覚もまだないから、平家の感覚は今で言うと、日本という国が別の国に攻められたイメージに近いと思う。今の世の中でも、腐敗や堕落があって、それは確かに悪いこと。でも、全員がそうじゃないし、堕落したからって他国がいきなり刀と馬で乗り込んできて、それが正義かって言われれば、また違う。

――そう見ていくと、平清盛と後白河法皇の描き方が、どちらから見るかですごく対照的です。『茜唄』の平清盛は、大局観のある慈悲深い戦略家。平家が栄華を誇る中で腐敗し堕落していく様を苦々しく思っているという描き方でした。

 僕も会社をやってるし、父親も会社をやってたけど、上の世代について「こうしてもよかったな」と思うことってあると思う。清盛って究極のワンマンやから、自分が決裁せざるを得なかったし、してしまう。だけど限界もあるから、知盛の世代はもうちょっとグローバルな企業を目指そうという、そういう対比で描きたいと思った。

――知盛は、跡継ぎの当主・宗盛を支えるけど、宗盛がいま一つ頼りない。

 宗盛ですら僕はやっぱりかわいそうやなと思ってしまうから、やっぱり同情的に描いてたと思う。一方で後白河はまあ、書いてて面白い奴やったね。

――源氏から見ると、平家の腐敗を苦々しく思って反旗を翻す、頼りになる人物ですけど、平家の側から見ると、機を見るに敏な権力欲の権化。

 歴史の中の天皇家は「後」がつくとみんなアクティブになるよね。後鳥羽、後醍醐、後白河。彼らが動いたから世が動いたのか、世が動いたから動かざるを得なかったのかはともかく、やっぱり彼らが動いた時代って、荒れた時代なんよね。後白河法皇は、政治力はめちゃくちゃ持ってる人だと思うんですよ。政治力のない武士、特に義経なんかは翻弄されていくよね。

平家は負けだしてからが美しい

――もう一人、翻弄された源氏方として木曽義仲がいましたけど、『茜唄』では大胆な創作をしています。知盛が木曽義仲を訪ねて和議を申し入れる場面は、史実としては逆ですよね?

 厳密に言うと「平家が和議を申し込む」とすると史実を逆にしてしまうんだけど、『茜唄』ではあくまで「知盛が」なんですよね。国家間の外交でも、実際に外交文書が調印されたときは、もう全部話が終わってる。木曽の考える和議プランでは、絶対に僕の作中の知盛は「うん」とは言えない。だから木曽のプランを蹴って、知盛プランを出しに行ったイメージ。実際に国家間では本当に水面下でバチバチやってるというのは聞くし、知盛じゃなくても下準備はいろいろやったと思う。だから「知られざる動き」みたいなことも描きたかった。

――そしてやはり、義経が登場する場面はワクワクしました。

 最後まで苦しんで迷ったのは、義経の視点を取ろうか取るまいかやったんですよね。取ったら小説としては楽なんですよ。ただ義経の視点を最後まで取らないことによって、平家側から見た、守りの中で義経がどこから出てくるか分からないハラハラ感は描きたいと思ってた。義経は一ノ谷の戦いで行方不明になるから、義経を探すミステリーみたいな話になっている。平家がずっとテーブルの上で議論している珍しい戦小説になったけど、あくまで平家に寄って描くという意味では、最後までやり切れたかなって思いますね。

――一ノ谷の戦いで義経に大打撃を受けて、平家は滅亡へと転がり落ちて行きます。

 平家は負ければ負けるほど、負け出してからの方が美しい謎の一族。この負け出した時の平家が美しく、最も強く、最も凜々しい。負けるのは分かってるから、負け方をどう描くか、しかも3回連続でやらなあかんというこの物語の難しさ。ずっと負けてるのに、どこまでかっこよく書けるかという挑戦だったかもしれない。

 ただ、木曽義仲のような逸話の多い武将を、平家は実は難なく倒してるわけですよ。けど義経にはめちゃくちゃ負けまくったというのも、僕なりの解釈と言うか描き方をしたつもりです。

歴史小説を現代に問う意味

――『茜歌』も、直木賞を取った『塞王の楯』も、今村作品の主要登場人物は、恐らく当時からするとすごい変わり者なんですよね。戦国の常識にとらわれない、ある意味、現代的なキャラクターが登場します。

 僕たちが知っているような事件って、現代から突然タイムマシンでやってきたような人が一人入っていたと思うと分かりやすい。それを誰にするのか、誰であったら可能性があるのかを探る、僕自身の推理みたいな感じかな。

 直木賞を取るまでも「現代的すぎる」という講評を頂いたこともあるんだけど、僕自身は現代風の変わり者が一人見つけられれば、逆に現代人との差異みたいなものを描くことができると思ってる。例えば30年前に僕たちは、スマホなんて想像してなかったわけですよ。けどそれを言ってた人はいる。その当時からしたら変わり者やし変人やけど、「バカじゃないの」って言われていたことが本当になってる、そういう感覚かな。

――この『茜唄』でも、主人公の平知盛と同時に、妻の希子も非常に重要なキャラクターですけれども、この夫婦関係もすごく現代的ですよね。

 この2人、実はこの時代に珍しい。側室が多い時代の中で、知盛はずっと側室を置かない。希子とは年齢も近くて、小さい時からずっと一緒にいて、しかも戦で負けている途中の屋島でも子供が生まれてるから、ずっと仲いい夫婦なのは間違いないよね。そこを現代風の夫婦関係で描いてみたいなとは思った。

――今は民放でレギュラーの時代劇もやっていないし、歴史ものが現代人の生活から遠ざかっているところもあると思うんです。2020年代の現代に歴史小説を読むことに価値があるのだとしたら、昔も今も変わらないテーマがあると。

 そうそう。日本って世界でも変わった歴史を歩んできた国だと思うから、日本の歴史小説が世界に出ていくためのルートは自分が切り開いていきたい。昭和の時代に司馬遼太郎先生がみんなに愛された、あのスタイルは無理だと思うけど、令和形の「司馬遼太郎化」みたいなものがあるとしたら、別のアプローチがあると思っていて、そこは目指してるよ。

――歴史小説は「とっつきにくい」と思う方もおられます。

 歴史小説の読み方のオススメとして、分からない単語で止まらないこと。よく「人物の名前が覚えられない」って言うじゃないですか。少なくとも僕は、忘れちゃう名前は忘れてもいいように作ってる。いっぱい死ぬシーンとかは、名前もいっぱい出てくるけど、本当に覚えて欲しい人は何回も繰り返し出てきて、キャラが分かりやすくなってる。「あのうるさいおっちゃんね」「あの強い兄ちゃん」でいいと思う。平家を親戚のおっちゃん、兄ちゃんやと思って読んでくれたら、たぶん面白く読めんのやないかな。