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大江文学へのいざない まずユーモアにじむ名品から 放送大学教授・野崎歓

大江健三郎さんが亡くなって1カ月余りが経った。川端康成に続いて日本人で2人目のノーベル文学賞を受賞し、反原発や「九条の会」などで社会にも関わり続けた=2007年

 「実は大江作品はあまり読んでいなくて」と告白する友人知己が意外にいる。あまりの名声ゆえに敬して遠ざけるのか。難しそうで腰が引けてしまうのか。

 代表作とされる力作長編から取りつこうとすると、挫折しがちなのかもしれない。いきなり『同時代ゲーム』を完読せよと言うのは、バッハを聴くならまず「マタイ受難曲」全曲をと言うようなものか。「コーヒー・カンタータ」からでも立派なバッハ入門になるはずだ。多彩な大江作品のうち、親しみやすく愛すべき佳品をご紹介したい。

 まずは初期の作品から、『日常生活の冒険』を推す。地味な書斎派の若手作家と奔放な放浪の日々を送る友人、斎木犀吉(さいきち)の物語。大胆不敵な娘、卑弥子も加え、珍妙かつ悲痛な「ぼくらの友情の最後のお祭り」が描かれる。

 犀吉には大江の親友だった伊丹十三の面影がある。当時伊丹は俳優として国際的に活躍。「象牙色のジャギュア」を購入した嬉(うれ)しさをエッセイ『ヨーロッパ退屈日記』に記していた。犀吉も「象牙色のジャガー」を乗りまわし「ぼく」を眩惑(げんわく)する。

 冒頭から死の影も濃く漂うが、お茶目(ちゃめ)でいたずら心に満ちた文章をたっぷり楽しめる。犀吉が飼い猫をバスケットにいれて銀座の酒場に入ると、店内になぜか猿がいて、猫が「怒りくるってフイゴのような音をたて」る場面など、ばかばかしくも愉快。生き生きとした筆遣いに心が弾む。

障害ある息子と

 だが大江にとって真の「日常生活の冒険」は、この作品連載中に誕生した障害のある光との暮らしの内にあった。そこから生まれた珠玉の連作が『新しい人よ眼(め)ざめよ』。成人が近づいた長男・光=「イーヨー」の一挙手一投足がじつに面白く、可憐(かれん)なのだ。父親が外国出張中には「パパは死んでしまいました!」と絶望したり、養護学校の寄宿舎に入る前には「僕がいない間、パパは大丈夫でしょうか?」と心配したりする。息子にぞっこんの父親と、独立心が芽生えつつある息子の「共同行動」が鮮やかに展開されていく。家族で伊豆に出かける予定にしていたところ、大型台風が接近。だがイーヨーは「僕は伊豆へまいろうと思います!」と宣言する。そこで父親が決死の覚悟で息子と電車に乗って熱海の山荘に出かけるくだりなど、忘れがたい名場面だ。

 また、イーヨーがかつて自分を誘拐した「悪い人」を一喝するシーンには、決して悪をなすことのないイーヨーが具現する「強い浄化の力」がみなぎっていて、胸が熱くなる。

善なるもの探求

 大江文学には強烈な悪や暴力も随所に噴出し、作品に異様な緊迫を与えている。だが善なるものの探求も一貫したテーマだ。最良の成果が『キルプの軍団』。光の弟にあたる高校生の「僕」は「忠叔父さん」を慕っている。現役の「暴力犯係刑事」にして、ディケンズを愛読する人物だ。「僕」は一緒に『骨董(こっとう)屋』の原書を読む。そのうち二人は、ディケンズの長編にも似た事件に巻き込まれることに。

 誠実で剛毅(ごうき)、温かくて頼りになる叔父さんは魅力のかたまりだ。受験期の「僕」の心の傷が癒やされていく過程が繊細に、チャーミングに描かれる。

 『「話して考える」と「書いて考える」』(集英社文庫・607円)所収の講演「子供らに話したことを、もう一度」には、「人が癒(いや)されるのは、決して受身の出来事ではない」とある。それは「恢復(かいふく)する」という「能動的な行ない」なのだ。大江の小説を支える考え方だろう。大江は講演やエッセイにも才能を発揮し、ユーモアのにじむ名品が数々残されている。そちらから読み始めてもいい。人柄に惹(ひ)かれ、大江文学の広大な森に分け入ってみたくなるはずだ。=朝日新聞2023年4月22日掲載