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染井為人「悪い夏」 すぐそばにある転落と絶望

 どうしてこんなことに。どこで間違えてしまったのか。これからどうすればいいのだろう。登場人物たちの懊悩(おうのう)と焦りと絶望がみるみる濃度を増し、むせ返るように立ち昇ってくる。

 本書は、うだるような暑さのなか、稼業や生活が立ちゆかなくなったおもに底辺の人間たちが入り交じり、雪だるま式に悪い状況へと転がり落ちていくブラック群像劇だ。第37回横溝正史ミステリ大賞(現在は名称変更され、横溝正史ミステリ&ホラー大賞)にて優秀賞を受賞したのち、単行本からの文庫化を機にヒットし、セールスを飛躍的に伸ばした。

 舞台は千葉県北西部に位置する地方都市。市役所生活福祉課の若手職員である佐々木は、正義感が強過ぎてチーム内で煙たがられている同僚女性の宮田から、信じがたい話を打ち明けられる。どうやら先輩職員のひとりが22歳のシングルマザーに生活保護の打ち切りをチラつかせ、肉体関係を強要しているというのだ。佐々木は宮田に引きずられる形で真相を確かめるべく動き出すが、思わぬ事態へと巻き込まれていく。

 生活保護制度の機能不全や不正受給、母子家庭を追い詰める貧困、育児放棄といった深刻な問題を背景に、いまある状況を変えたいと足掻(あが)く人間たちの様々な姿からは、現代社会が孕(はら)む酷薄な危うさが見て取れる。だが、かといって本作には、ただ欲深く自分勝手な人間の愚かしい面ばかりが描かれているわけではない。たとえば、違法薬物の売人に成り下がっても甦(よみがえ)る、離れてしまった娘への想(おも)い。複数の人物を動かし、その人生を交錯させるなかで、こうした黒にも白にも染まり切れない灰色こそが人間の本質であると細やかに示す筆力には唸(うな)るしかない。

 神か悪魔のいたずらとしか思えない狂騒のクライマックスを経て迎えるラストシーンの、なんともやり切れない息苦しさ。日常のすぐそばにある転落と絶望、そして不寛容な正義に、薄ら寒さを覚えてしまった。=朝日新聞2023年4月22日掲載

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 角川文庫・748円=21刷12万部。20年9月刊。「読みやすさやテンポのよさに、好意的な感想が多く寄せられる。若い年代の読者も増え続けている」と担当者。