鳥取県は妖怪の聖地である。
この世には見えないものがいることを、水木しげるは6歳の頃から知っていた。自伝的随筆『のんのんばあとオレ』(1977年/ちくま文庫)に登場する妖怪は、天井なめ、野寺坊(のでらぼう)、白うねり、あかなめ、家鳴(やな)り、ぶるぶる、べとべとさん。教えてくれたのはのんのんばあ。祖母ではなく、近隣に住む貧しいおばあさんである。だが彼が5年生の時、のんのんばあは死ぬ。やがて天才画伯として新聞に名前が載る、少年しげるの原点の物語である。
妖怪は21世紀にも生きている。
荒俣宏『妖怪大戦争』(2005年/角川文庫)では両親の離婚で東京から鳥取市に越してきたタダシが土着の妖怪たちに出会う。弱虫のタダシには妖怪の姿が見えるのだ。エンコ(河童〈かっぱ〉)の少年と友達になり、足元にすりよってくる犬みたいな妖怪スネコスリを連れ歩き……。だがエンコはいうのだ。〈妖怪は、いじめられるんだ。人間にとって、もう用無しだからか?〉。〈山や川が汚されれば、妖怪じゃとて住むところがなくなる〉。そして物語は終盤、盆踊りに突入する。な、なんで!?
鳥取の不思議体験はまだ続く。
日野啓三『砂丘が動くように』(1986年/講談社文芸文庫)はルポライターの青年が砂丘のある町(モデルは鳥取市)を訪ねる話。町に人は歩いておらず、砂防林の影響で砂は動かず、砂丘は瀕死(ひんし)の状態にあった。そこで彼はいくつもの不思議な体験と不思議な人々に遭遇するのだ。砂丘の盆景を作る少年。女装のビデオ作家。謎の生物キンチ。そして砂丘に現れるUFO!
この当時死にかけていた砂丘はその後、地元の人々の努力によって再生したが、ここで描かれた鳥取は40年後(つまり現代)の日本を予言しているかのよう。鳥取を撮り続けた写真家・植田正治の作風にも通じるシュールな世界である。
鳥取県は、島根、岡山と並んで砂鉄を原料にした「たたら製鉄」の里でもある。米子在住の作家・松本薫の『TATARA』(2010年/今井出版)はたたら製鉄が花形産業だった明治大正期を描く。
米子の医者の娘に生まれた大江りんは明治5年、15歳で、八つの鉄山を有する根雨(ねう)(現日野町)の黒井田家に奉公に出た。18歳で手代の吉岡と結婚。舟場山の鉄山に支配人の妻として移住する。根雨出身で「青鞜(せいとう)」発行の立役者になった生田長江(いくたちょうこう)の少年時代が描かれるなど、虚実取り混ぜた力作長編。黒井田の鉄山を成長させたのは軍備拡張と日清日露戦争だった。だが息子の戦死がりんを打ちのめす。〈なしてこの国は戦争せねばならんかったのか〉。
桜庭一樹『赤朽葉(あかくちば)家の伝説』(2006年/創元推理文庫)の舞台は県西部の架空の村・紅緑(べにみどり)村。製鉄で富を築いた旧家・赤朽葉家の戦後3代にわたる母と娘が主役である。
幼い頃、紅緑村で拾われた万葉は未来が幻視できる千里眼の持ち主だが、赤朽葉家の長男と結婚するまで地球が丸いことを知らなかった剛の者である。娘の毛毬(けまり)はめっぽうケンカが強い美少女で、中国地方随一のレディース暴走族「製鉄天使(アイアンエンジェル)」の頭として鳴らした後、弱冠20歳で売れっ子少女漫画家になった。
〈わしはむかし、人を一人、殺したんよ〉。異能の人である祖母・万葉の言葉を聞いた孫娘の瞳子は一族の過去をたどり、祖母の秘められた恋を知る。現代の鳥取を代表する希代のマジックリアリズム文学だ。
一転、何度も映画化された大江賢次『絶唱』(1958年/講談社文庫)は文学青年たちの物語だ。
昭和戦前期、同人誌「野火」を立ち上げた仲間のひとり園田順吉は山陰きっての豪家の息子だった。残る7人は薄給の勤労者。〈『野火』の発行費を一年、僕に出させてくれませんか〉〈うちの山の杉の木を一本伐りゃ、出ますから〉と発言した順吉は仲間たちの反感を買うが、彼が書いた小説には地主の息子に生まれた苦悩と山番の娘・小雪との恋が綴(つづ)られていた。同人たちは2人を応援するが、順吉は出征し……。
作者は伯耆(ほうき)町出身。意外に硬派な社会派恋愛小説だけれども、結末はやや不気味。この地では死者と生者が共存しているのかもしれない。=朝日新聞2023年5月6日掲載