NHKのドラマ、朝の連続テレビ小説「らんまん」の主人公のモデルとなった日本の植物分類学の父・牧野富太郎博士が再注目されている。博士の業績と魅力を紹介する新たな書籍も最近、多数出版されている。
牧野博士は、江戸時代末期に現在の高知県に生まれた。独学で植物学を学び、後に上京して東京大学の植物学教室に出入りを許され、日本の植物を幅広く研究し、日本産の1500を超える植物に学名を付けて発表した。江戸時代、日本の多くの植物は世界共通の学名が付けられていない、いわゆる新種だったのである。博士の評伝は多数あるが、大場秀章『牧野富太郎の植物愛』(朝日新書・891円)は、自らも優れた植物分類学者である著者が博士の生涯とその研究の意味について独自の考察とともに整理している。学生時代から親交があった池野成一郎が初期の研究、顕微鏡を用いた植物の観察や英語・ラテン語での新種記載文の読み書きを手助けしていた。周りの助けがあって初めて、博士は世界的研究者になることができたのである。
標本も植物図も
新種を発表するには、その学名の基準となる標本(押し葉標本)が必須で、その標本と比較する標本も多数必要となる。牧野博士は、自ら日本中を採集して回り、全国の植物愛好家の協力も得て40万枚とも言われる大量の標本を自宅に収集した。
牧野博士の第一のすごさは、多くの科学的情報量を有し、同時にとても美しい植物標本をたくさん残したこと。第二に個々の植物種のもつ特徴を正確かつ詳細に再現し、同時に美しさも兼ね備えた植物図を描いて、日本の植物を世界に紹介したことである。したがって、博士のすごさを知るには、博士の標本と植物図を実際に見ていただくのが一番の早道である。この両者を鮮明な写真で紹介しているのが『別冊太陽 牧野富太郎 雑草という草はない』である。多数の貴重な資料写真によって博士の94年間の波瀾(はらん)万丈の人生をたどることができる。
手間暇と情熱で
また、プロの写真家が博士の植物標本の芸術性に焦点をあてて撮影した菅原一剛写真集『MAKINO 植物の肖像』もある。標本に斜めから強い光を当てて撮影することで、他では見たことがない立体感のある標本写真になっている。さらに、標本を台紙に貼り付けるテープ類をデジタル技術で消去し、標本そのものが見える形にしている。ちなみに、誰が作製しても美しい押し葉標本ができるわけではない。博士が植物標本の作製に注いだ手間暇と情熱、そして愛情のたまものである。
一方で、植物図にも牧野博士の天才的な芸術センスと情熱が込められている。博士は独自に様々な筆まで用意し、精密さ、正確さと美しさを両立させた独自の植物図を作製した。博士の植物図については、高知県立牧野植物園監修『牧野富太郎の植物図鑑』(三才ブックス・1980円)に詳しく紹介されている。
牧野博士のもう一つのすごさが、一般の人に植物を教える野外観察会や講演会を日本中で開催し、多数の植物愛好家を育てたことである。博士の大ファンの作家が手がけたいとうせいこう監修『われらの牧野富太郎!』は、子供のころに博士から直接指導を受けた方の経験談をはじめ、ファンの「牧野愛」に溢(あふ)れた本である。博士の植物観察会を現在のライブコンサートに例えて、実際に博士の地元の佐川町で再現した会の模様を伝える「Plants Party!!!」は特に秀逸である。このような楽しみ方が日本中に広がったら、博士も大喜びされることだろう。博士は全ての植物が好きで好きでたまらなかったのであるから。=朝日新聞2023年6月24日掲載