陸奥圓明流(むつえんめいりゅう)――という名前は格闘マンガファンの間では広く知られている。刀を持った敵にも素手で対峙し、「千年間無敗」を誇る伝説の古武術だ。その継承者である陸奥九十九(つくも)が地上最強を証明しようと多くの格闘家たちと戦う『修羅の門』(川原正敏)は、1987年から10年間にわたって「月刊少年マガジン」(講談社)で連載され、単行本は実に3000万部以上も売れたという。ヒットの背景には80年代前半に始まった夢枕獏の格闘小説や異種格闘技戦のブームもあったが、長い歴史の中で総合格闘技として完成された陸奥圓明流という武術のアイデアも大きかった。
現在「ヤングマガジン」(講談社)で連載中、5月に第1巻が発売された『サツドウ』(原作・雪永ちっち、漫画・なだいにし)には、背神活殺流(はいしんかっさつりゅう)拳法という武術が登場する。もっぱら暗殺に使われたというから、『修羅の門』でいえば「表」の陸奥圓明流よりも「裏」の不破圓明流に近いだろう。頸椎(首の骨)の破壊に特化した暗殺術ということになっており、『サツドウ』というタイトルは「殺道」の意味らしい。
呪われた背神活殺流を代々伝える赤森家の末っ子である六男(りくお)は、10歳に満たないうちから「一族で最も殺しの才に恵まれた」と称された天才武術家。その技で『修羅の門』の九十九以上に多くの格闘家を人知れず殺してきた。しかし表舞台で活躍する九十九と違って、六男はその才能を人に見せようとはしない。「普通の人間として普通に生きる」ことを目指して製菓メーカー「カルボン」に入社し、平凡なサラリーマン人生をまっとうしようとしている。ところがある夜、帰宅途中に半グレのキックボクサーを一蹴した様子が動画で拡散され、“最強サラリーマン”としてネットで有名に。背神活殺流の使い手と見抜かれ、恨みを持つ格闘家たちや巨大組織から命を狙われることになる。
王道の格闘マンガだった『修羅の門』との一番の違いは、昼の会社員生活にもスポットが当てられ、コミカルなサラリーマンマンガという一面も持っていること。特殊な環境で生まれ育った六男は「普通の感覚」がわからず、周囲から“天然”と見られている。気弱な天然サラリーマンとクールな天才武術家。リアルな会社員生活の裏で繰り広げられる非日常的な死闘の数々。これら相反する二面性が最大の魅力だろう。「最強サラリーマン」と呼ばれる理由となった「スーツ姿でのバトル」も格闘マンガとしては新鮮だ。
裏の世界で恐れられた主人公がその力を隠して“普通の生活”をしようと奮闘する姿は、同じく「ヤングマガジン」のヒット作『ザ・ファブル』(南勝久)や「モーニング」(講談社)連載中の『平和の国の島崎へ』(濱田轟天・瀬下猛)に通じる最近のトレンドでもある。多くの人が中流意識を持っていた80年代と違い、かつてはデフォルトだった「就職」や「結婚」も簡単にできるものではなくなった。
あるいは、そんな“普通の生活”を手に入れることが難しくなった時代の影響もあるのかもしれない。
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