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【この人を読む㊥】有吉佐和子 ふだん考えぬ何か突きつける 友澤悠季

参院選で候補者の応援をする有吉佐和子さん。『複合汚染』の冒頭に書かれている=1974年

 伝統芸能から女性実業家まで、有吉佐和子(1931~84)が描く題材は幅広い。若くしてベストセラー作家となり、売れるのは文学ではないといった冷評にも倦(う)むことなく、80冊もの単行本を世に送った。

 ここに挙げたのは、有吉作品でも「社会派」と目される3点だが、書く側にとってそれは意味のない区分だ。ある種の作品を「社会派」と形容するのは読む側の欲望である。ふだん考えないようにしている何かを突きつけてくる作品を世間はしばしば遠ざける。だが有吉の小説は、主人公の造形と心理描写の魅力で、はなから距離を取らせない。

隠された「貧しさ」

 個性ではなく属性によって他人から自分の気質を決めつけられ、不条理を感じた経験は誰しも持つものだ。『非色』(64年)の主人公が周囲に抱く反発心はそれに通じる。空襲に焼け出されて敗戦を迎え、生計のため有楽町でキャバレーのクロークに勤める笑子(えみこ)は、進駐軍の黒人兵・トムに見初められて結婚。笑子の母はトムがもたらす豊かな物資を喜んでいたが、「混血児(あいのこ)」の孫を疎み、ついに笑子はアメリカへ渡る。ニューヨークの下層で働き通しの笑子は、「皮膚の色による差別よりも大きく、強く、絶望的なもの」の存在に行きつき、やがて読者は笑子の眼(め)を通して「非色」というタイトルの意味を理解する。

 『恍惚の人』(72年)では、夫婦共働きで子どもは1人、夫方の両親とは敷地内別居という、70年前後まだ新しかった形態の家族が認知症に翻弄(ほんろう)される。主人公・昭子は自分の職業を手放す選択はしないが、かといって家事・介護を肩代わりする者はない。恍惚の世界を生きる義父・茂造と、その傍らの現実をほぼ独りでやりくりする昭子の対比は、読者の家庭が人知れず抱えていた問題をあぶり出して、反響を呼んだ。本作は有吉が老いを感じたことで着想されたというが、そこから経済的繁栄を追い求める日本の隠された「貧しさ」までも射貫いてみせた。出版50年後の現在では、この小説には出てこない、認知症を生きる当事者からの発信も増えている。あわせて読みたい。

「保守的な生活者」

 構想13年の『複合汚染』(75年)は、食べ物の安全を願う「保守的な生活者」としての作家自身が、海外も含め各所に取材を重ね、物質文明の中毒患者・日本の姿を描いた。

 本作の連載が始まった74年は、新潟水俣病を皮切りとした四大公害訴訟で71年から73年にかけて相次ぎ原告勝訴が報じられたあとのタイミングにあたる。深刻な公害病が「解決済みの局地的問題」へと矮小(わいしょう)化されるなかで、「虫がわかない米」など身近な食材を例に、日々の食卓が、名前も知らない化学物質の危険に侵されていることに読者の注意を向けさせた。

 一つ一つは微量で、動物実験で安全が確認されている物質だとしても、ひとりの人間が取り込む物質の質と量ははかり知れず、ましてそれらの相乗作用は科学者にも答えようがない。そうして私たちは使い続けてしまう。企業、政界、行政、学者などの「複合体」が形成する、化学物質を大量に使う・使わせる仕組みに身を委ねて。

 有吉には基本的に食べ物の作り手への敬意があり、土と農民の心身の双方が化学肥料や農薬によって痛めつけられてきたことへの憤りは深い。方向転換への意欲と努力が、農薬の最初の被害者であった農民の側から出てきたことも、有吉は記している。これは、食・農・化学物質と人間の群像をめぐる記録文学なのだ。

 人間を書くなかに社会をも描き切る全身の仕事。人間と社会は別物という幻想を打ち砕く有吉作品の引力がここにある。=朝日新聞2023年8月19日掲載