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こざわたまこさんの読んできた本たち 「小説家になれない」あきらめを覆した東日本大震災と原発事故

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「大切な児童書」

――いちばん古い読書の記憶を教えてください。

こざわ:実家に福音館書店さんの絵本が何冊かあったのを憶えています。『はじめてのおつかい』とか『せんたくかあちゃん』とか。それを母が読み聞かせしてくれたみたいなんですけれど、その記憶はなくて。

 小学校に上がるくらいの頃、自分で本が読めるようになってから、家にある絵本を読み返したというのが一番古い読書の記憶です。

――本が好きな子どもでしたか。

こざわ:そうだと思います。本を与えておくとおとなしくしていてくれるからと、誕生日には本をもらったり、図書カードをもらったりする機会が多かったように思います。

 小学校の低学年の頃は買い与えられた本を読んでいた気がしますね。藤真知子さんの「まじょ子」シリーズやまだらめ三保さんの「おひめさま」シリーズとか。元気な女の子がお菓子の国に行って冒険するといった物語も楽しみましたが、絵が可愛らしくて書き込みも細かくて、それを眺めて想像を膨らますのが好きでした。

――その後、小学生時代はどのような本を読みましたか。

こざわ:世界名作シリーズなども読んでいたんですが、中学年くらいの頃に読んだ井上よう子さんの『夢猫うらない あめのちはれ』がすごく面白くて。

 内気で真面目なあかねちゃんという女の子のクラスに大ちゃんという男の子が転校してくるんですけれど、その子はあかねちゃんと正反対で、何でも適当なんです。いつも遅刻ギリギリに入ってくるし、忘れ物するし。あかねちゃんは最初、大ちゃんに対して「それってどうなの?」と思うんですけど、大ちゃんの忘れ物を家に届けに行った時に会った大ちゃんのご両親が、あかねちゃんの考えるお父さんお母さんはこういうものだという規範とはちょっと違うんですね。お父さんは髪が長くて、民族衣装のスカートをはいていて、昼間から家にいる。お母さんはすごく若くて、聞いてみると、大ちゃんの生みのお母さんは亡くなっていて、今のお母さんののりちゃんは、お父さんの仕事のパートナーで再婚した相手だという。

 すごく憶えているのは、あかねちゃんが大ちゃんに、本当のお母さんじゃないから大ちゃんは「朝起こしてね」とか「雑巾縫ってね」とか頼みづらかったんだね、みたいなことを言うんですよ。そしたら大ちゃんが「関係ねえよ。うちののりちゃん、家事が大きらいで、そのうえ忘れっぽいんだ。でも、絵はうまいしファミコンもうまいし、楽しいんだぜ」って言う。

 そのやりとりを通じて、自分が普通の家族だって思ってたものとか、自分が当たり前だと思ってたものって、本当に普通なのかなっていうことに気づいたんです。自分の杓子定規的な考え方や価値観って、絶対じゃないんだろうなと思わせてくれたお話でした。

――小学生の頃にそういう話を読むってすごくいいですね。

こざわ:世界名作シリーズなどはあまり感情移入せずに物語を楽しんでいたんですけれど、その物語は「あかねちゃんは自分だ」と思って読んだんですね。それが、読書体験としてすごく大きくて、自分にとって大事な本になっています。

――児童書以外に漫画なども読みましたか。

こざわ:小さい頃は『あさりちゃん』とか『金田一少年の事件簿』を読んでいました。『金田一少年~』はちょっとするとドラマも始まったので、自分だけでなく周りの子たちも読んだり見たりしていた記憶があります。

――ごきょうだいはいらっしゃいますか。何か読書に影響があったかなと思って。

こざわ:うちは田舎の8人家族だったんですが、兄も姉もひとまわり以上離れていて、私が小学校に上がった頃にはもう家を出ていました。

 兼業農家で家に人の出入りも多かったですね。小さい頃はそうでもなかったんですけれど、思春期に入ってくると自分の家に常に人の気配があるのがちょっと嫌になってくる。本を読んでいる時間が一人になれる時間というか、まわりがシャットアウトされる感じがして心地よかった気がします。それで、姉や兄の部屋に勝手に入って、本棚から本を借りていました。小学校中学年くらいの頃は姉の部屋のほうによく入っていました。

――8人家族ですか。

こざわ:祖父母、祖父の弟の大叔父、両親、姉と兄と私です。大叔父が聴覚障害を持っていたんですね。赤ん坊の頃にお風呂に落ちて、そのまま障害が残ってしまったらしいです。家族全員、手話は習っていなくて、ボディランゲージと筆談でコミュニケーションをとっていました。

 それも自分の中では結構大きくて。大叔父さん、私は「おんちゃん」と呼んでいたんですけれど、おんちゃんがめっちゃ明るい性格だったんですよ。うちの家系の男性は極端に無口か、ちゃらんぽらんかどっちかしかいなくて(笑)、おんちゃんはもともとの気質としてすごくちゃらんぽらんな人でした。いつも明るくて、お酒飲んでけらけら笑ってて、私のこともすごく可愛がってくれて。若い頃に事故かなにかで、指を二本くらい落としていたんですけれど、すごく手先が器用で地元の伝統工芸品の担い手をやっていて、私にも竹とんぼを作ってくれたり、工作を教えてくれたりしました。なので、24時間テレビやドラマの中で語られる障害を持っている人たちの像みたいなものとは何か違うなと感じていました。それと、耳が聞こえない人と一緒に暮らしているというと、「手話できるんでしょ」みたいに言われるんですけれど、そういう人や家族全員が使えるわけじゃないんだよ、と思ったりして。

――ご出身は福島ですよね。

こざわ:福島です。本当に田舎です。山奥まではいかないけれど山の麓で、いわゆる五人組とかがあるような田舎です。駅まで歩くと1時間以上かかるような場所でした。

「姉と兄の本棚から」

――お姉さんの本棚からは、どんな本を読んでいたのですか。

こざわ:ティーンズハートの折原みとさんの作品と、さくらももこさんのエッセイとの出会いは大きかったですね。折原みとさんは最初に読んだのが『時の輝き』だったと思います。主人公は看護師の卵で、久しぶりに再会した初恋の男の子が骨肉腫になっていて...という話なんですが、小説を読んで初めて号泣して。姉が持っていた折原さん作品を全部読んだ後は、親にねだって買ってもらっていました。

 さくらももこさんはユーモアのある文章が好きで、読書感想文を真似した文章で書いてみたりしました。思い浮かんだ物語の冒頭シーンやクライマックスシーンをティーンズハート文庫を真似て1行アキにして、女の子の喋り口調で書いてみたりもしていました。

――学校の国語の授業は好きでしたか。

こざわ:わりと好きでしたね。読書感想文も好きだったんですが、私は自信過剰で、絶対に賞を獲れると思っていたのに、ひとつも獲れず「あれー?」って(笑)。さくらももこさんが漫画やエッセイの中で、ちょっと面白おかしい文章を書いたら先生に「現代の清少納言だ」と言われた、みたいなエピソードを書かれていたんですよ。小学4年生か5年生の時にそれを読んで憧れて、私もそうなれるかもしれないと思っちゃったんですよね。でもまったくそんなことはありませんでした(笑)。

――その時、将来作家になりたい気持ちはあったのでしょうか。

こざわ:職業としてはあまり考えていなくて、「自分にもなにか才能があれば」みたいな憧れがありました。でも小学校高学年の頃にぼんやりと「小説家という職業もあるのか」と認識しだして、文集の将来の夢には「作家」と書いた気がします。でも、「絶対なるぞ」という感じではなかったです。

――その時認識した小説家というのは、ティーンズハート系の小説家だったんですかね。

こざわ:です(笑)。あの頃は、自分にとっての小説というと、児童文学かティーンズハートという感じでした。

――田舎とのことでしたが、近所に書店はありましたか。

こざわ:私が住んでいた町は合併して南相馬市になったんですけれど、隣接する町の中では比較的人口が多い町でした。子どもの頃は個人経営の書店さんも全国チェーンのお店もいくつかありました。なので、親が買いものに行く時についていって書店をのぞくという感じでした。

――さて、中学生時代は。

こざわ:電撃文庫にどっぷりとハマりました。中学生になると、クラスのちょっとオタクっぽい子とかは、少女漫画や少女小説というより、「ジャンプ」や電撃文庫を読み始めたんですよ。なので私も、友人に薦められて『ブギーポップは笑わない』とか『キノの旅』のシリーズを読んでいました。それと、乙一さんが流行りだしたのも憶えています。『夏と花火と私の死体』とか『平面いぬ。』とか。『バトル・ロワイアル』も流行っていました。

「ジャンプ」は『HUNTER×HUNTER』や『ONE PIECE』が人気で、ちょっと早い子は同人誌の二次創作の文化にも触れていましたね。友人がスクリーントーンとかを学校に持ってきていたのを憶えています。私はなぜかそこにはあまりハマらなかったんですけれど。

 いくつかグループがあったんですよね。二次創作とかやる子たちは「ジャンプ」を読み、文芸っぽいものが好きな子たちは白泉社の「花とゆめ」や「LaLa」を読み、そこまでオタク趣味がなくてファッションに興味がある子たちは安野モヨコさんや矢沢あいさんを読み。私はどのグループにも一人ずつくらい友達がいたので、全部を読めたのがすごく良かったです。

――ご自身では創作はしていなかったのですか。

こざわ:ルーズリーフやノートに自分の書きたいシーンを書いたりはしていました。私、美術部だったんですれど、活動があってないような美術部で、みんな自分の持っている漫画を持ち寄って回し読みするのがメインの活動みたいな感じだったんですね。そうしたなかで、物語の切れ端みたいなものを書くことはありました。

――美術部を選んだのは、絵画というより漫画を描こうと思って?

こざわ:そうです。その頃、だんだん読めない本が出てきたんですよね。自分は読書好きだと思っていたのに、『人間失格』と『ゲド戦記』を最後まで読み終えることができずに図書館に返したのが挫折の記憶になっています。小説家は大量の本を読んでいる人がなるものだと思っていたし、太宰治や『ゲド戦記』はクリエイターの人たちが大切にしている作品というイメージがあるのに、それが読めなかったってことは小説家になるのは無理だろうなと思いました。

『人間失格』はたぶん、主人公に感情移入できなかったんです。なにをこんなに苦しんでいるのか分からなかった。自分も自意識過剰な年頃だったので同族嫌悪だったのかもしれません。後にまた読むようになるんですけれど。『ゲド戦記』は第一巻を読んでいる途中で、「これが何巻も続くのか...」と思って挫けました。

 それで、漫画なら兄の影響で周りの子が読んでいないものも読んでいるし、量も読んでいるからそっちに重心を置こう、という気持ちが強くなりました。

――お兄さんの影響とは。

こざわ:中学に上がると姉の部屋だけでは満足できなくなって、兄の部屋に入るようになるんですね。兄が結構多趣味な人で、今でいうサブカルチャーとかが好きな人だったんですよ。兄の本棚にあった黄金期の「ジャンプ」とか「ガロ」系の漫画とか、エログロ系の漫画を読み始め、みんなと回し読みする本として学校に持っていっていました。

――具体的にはどのあたりの作品ですか。

こざわ:ジャンプ系の漫画は、『ドラゴンボール』、『幽☆遊☆白書』、『SLAM DUNK』。あと、ジャンプ系ではないんですが、あだち充作品がほとんどあったのも大きかったですね。『タッチ』とか『H2』とか。なんかもう、私が知っている漫画と全然違う!となりました。

 ガロ系だと山田花子さん、エログロ系だと駕籠真太郎さんとか丸尾末広さんとか。あとはしりあがり寿さんとか、シュールなギャグ漫画っぽいものも読んでいました。

 それと、兄は小説も少し読む人だったんです。なので、その頃兄の本棚にあった村上春樹さんなども読みました。ただ、私が中学生の時に読んで、ライトノベルとは別にはまったのは村上龍さんでした。

――村上龍さんのどの作品あたりでしょうか。

こざわ:初期の頃の、風俗嬢とかSMを題材にしたものに興味を持っていかれた時期がありました。『トパーズ』という短篇集の中に「ペンライト」という作品があって。主人公は風俗嬢で、自分の中にいるもうひとりの自分に語りかけているような文体なんです。話が進むにつれて自分と他者の境界が曖昧になっていって、自分か他人かもわからないひとりの女の身体が客の男に損壊されていく様子を、もうひとりの自分が見ている、みたいな話で。その頃たしか『バトル・ロワイアル』がニュースとかで取り上げられてて、倫理的にこれを子どもに読ませるのはどうなのかと言われていたんです。私は『バトル・ロワイアル』よりももっとインモラルなものがあるぞと思い、夢中で読んだ気がします。怖いもの見たさとか、性的なものへの興味もあったと思います。

――春樹さんはいかがでしたか。

こざわ:中高と、まわりの友人が結構読んでいて、私もいわゆる初期の『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』の三部作や『ノルウェイの森』は読みました。でもみんながそっちを読んでる分、「私は村上龍派なので」みたいな気持ちがあって。

 それに、当時の自分は春樹さんの比喩とか隠喩とかをそこまで理解しきれてなかったような気がします。

「高校は演劇部」

――高校は地元の学校に進学されたのですか。

こざわ:そうです。学校がそんなに多い地域ではないので、大学進学を考えている人が行くならこの高校だよね、という学校に入りました。

 高校では演劇部に入ったんです。なので読書より演劇にのめり込んでいました。中学校時代の先輩が入っていて、「人手もいないし入ってみない?」という誘いを受けたのがきっかけです。実際、部員は多くても10人くらいで回しているような演劇部でした。性格的に人前に出るのが好きじゃないので、「大道具とかだったらいい」と言って入ったんですが、"人数の少ない演劇部あるある"で、人手が足りないので出るほうもやりました。

 でも、役者もやってみたら意外と楽しかったです。練習しておけば、人前に出ても固まらずにできるんだというのが分かったので。

――脚本は既存のものが多かったのですか、それともオリジナルを作ったのですか。

こざわ:少ない人数でできるものだと限られてくるので、オリジナルが多かったですね。

 私もちょっと書いたりはしました。

――どんな内容の脚本を書かれたのですか。

こざわ:父と息子の話です。ちょっとやさぐれている高校生の男の子が主人公で、そのやさぐれた理由が、幼い頃に尊敬する父親が家を出ていってしまったことにあるんですね。その父親と再会するところから始まるんです。尊敬していたはずの父親がすごく落ちぶれていて、その父とのやりとりの中で主人公が変わっていく、みたいな話なんですけれど、実は、その落ちぶれた父親だと思っていた人物は未来の自分だったとわかるという。

――うわ、刺さるオチですね。

こざわ:乙一さんをすごく読んでいたので、そういうのがやりたかったんですよね(笑)。

 既存の脚本では、キャラメルボックスさんの演目で、いわゆる普通の2時間の演劇だけではなくて、高校生でもできる1時間の劇もあったんです。そのなかで比較的人数が少ないものをやったりしました。

――キャラメルボックスの舞台を観る機会はあったのですか。

こざわ:田舎だからやはり、生では観られなくて。でもその頃、「キャラメルボックスTV」という、キャラメルボックスの舞台を放送する番組があったんですよ。それを先輩なり同級生なりが録画してビデオを回してくれました。それではじめて「演劇ってこういう感じなんだ」と知り、そこからBSなどで放送している他の演劇も観るようになりました。三谷幸喜さんの「笑の大学」とか「12人の優しい日本人」とか。三谷幸喜さんは兄が教えてくれたのかな。私が演劇部に入ったと知った兄がいろいろ教えてくれたんです。イッセー尾形さんの一人芝居の映像をビデオに落としたものを貸してくれたりして。あと部内では、後藤ひろひとさんという、『パコと魔法の絵本』っていう映画の原作を書かれた方の演劇が流行っていました。『ダブリンの鐘つきカビ人間』とか。小説でも漫画でも映画でもない、自分にとって新しいものに触れられるのがすごく楽しかったですね。

――高校時代は完全に読書からは遠ざかっていたのですか。

こざわ:いえ、また兄の部屋を探索していくようになるんです(笑)。今度は青年誌にがっつりはまりました。「アフタヌーン」とか「ビッグコミックス」とか。その中で、土田世紀さんの『編集王』という漫画家漫画が編集者側からの視点で描かれていて、新人作家がものすごく辛い思いをしていて。希望を見出していく話ではあるんですけれど、それでも、ものすごくえぐくて。これはちょっと漫画家になるのは無理だなと思いました(笑)。

「大学生時代の観劇、創作、読書」

――高校卒業後についてはどうしようと思われていたのですか。

こざわ:田舎を出たいと思っていました。東京で就職したいというのが最終目標としてあり、東京の大学を出れば東京で就職できるかなと考え、文学部の文芸創作のゼミがある東京の大学に進学しました。文芸創作を選んだのは小説家を目指すためではなく、最後のモラトリアムなんだから好きなことをやろうという感覚でした。好きなことをやってから就職しよう、と。

――東京生活はいかがでしたか。

こざわ:私の大学が小田急線沿にあったので、下北沢が近かったんですね。下北といえば演劇の町じゃないですか。高校演劇とはまた違う小劇場の世界があると知り、大学時代はそれにがっつりのめりこんでいきました。大学に入った後も演劇を続けるつもりはなかったんですけれど、迷った末に演劇サークルに入ることにして、観劇が趣味になりました。

――この人あるいはこの劇団の芝居が面白かった。というのはありますか。

こざわ:大学に入ってすぐの頃に追いかけたのは本谷有希子さん。これも兄の部屋で見つけたんですけれど、「COMIC CUE」っていう漫画雑誌があって。最初の頃は江口寿史さんが責任編集されてて、毎月決まった漫画が連載されるのではなく、出される号ごとにテーマが変わって、個性派の漫画家さんたちが号ごとに集まって描くような漫画雑誌でした。その雑誌の、漫画の間にあるちょっとした読み物のコーナーに本谷さんが出てらっしゃったんですよ。栗山千明さんと対談されていました。本谷さんは「売れない劇団をやっているフリーターです」みたいな感じで出てたんですけれど、東京に出てきた時に本谷さんの活躍を知って、「売れてなくない!」と思って(笑)。『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』の舞台を発表された後の時期だったと思います。乙一さん原案で本谷さんが舞台化した『密室彼女』も観に行き、追いかけていました。

――演劇サークルに入ったとのことですが、演じたり書いたりされていたのですか。

こざわ:大学の演劇サークルでは役者のほうがメインでした。サークルだと比較的人数が多くて自由が利いたので、普通の戯曲として出版されているものをやったりしました。高橋いさをさんとか永井愛さんとか。

――文芸創作の授業では小説を書いていたのですか。

こざわ:1年の時に創作の授業をとったのですが、そこは半年に1回、原稿用紙10枚から20枚くらいのものを一人一作発表する形式でした。初めて小説を小説として最後まで書けたのは、その時だったかもしれません。もっと書きたいなと思い、2年生に上がる時にそのまま、もともと志望していた創作ゼミに入りました。

――その頃はどんなものを書いていたのですか。

こざわ:重松清さんや村山由佳さんの小説が好きで読んでいたので、お二人からの影響が強いものを書いていた気がします。お二人は田舎の家族とかも書かれているのが自分の中で大きくて、それで読んでいたんですよね。

 村山由佳さんの作品で私が一番読み返したのは『BAD KIDS』です。二作目の『海を抱く』の主人公が花農家の娘なんですよ。農家の娘が主人公の本を読んだのははじめてでした。重松さんも、主人公がサラリーマンであっても、その人の実家は田舎で、核家族ではない家庭で育った人を書かれたりするので、その影響を受けていたように思います。重松さんの作品で好きなのは『トワイライト』と、あと田舎とは関係のない話ですがやっぱり『エイジ』も好きでした。

――そうして書いた小説を発表して、講評しあうのでしょうか。辛辣なことを言う学生さんとかいそう...。

こざわ:もちろんいました。私も言っていたと思います(笑)。そのゼミでは小説家志望の人もいたと思うんですけれど、私は演劇の人と思われていた節があり、自分でもそう思っていました。なのであまり合宿とかにも行かなかったんですよね。だからデビューした時にゼミの小林恭二先生に報告したら「あなたは演劇の人だと思っていたからびっくりしました」と言われました。

――え、小林恭二先生って、『ゼウスガーデン衰亡史』とか『日本国の逆襲』とかのあの小林恭二さんですか。

こざわ:そうですそうです、『電話男』とかの小林先生です。小林先生はゼミでもあまりぐいぐい書き方を細かく教えるタイプではなく、「とにかく最後まで書きなさい」とおっしゃっていましたね。「ぐちゃぐちゃでもいいからとにかく最後まで完成させることをまず目標にしなさい」って。それは本当に、今でも大事なことだなって思っています。

――小林さんは俳句とかもやってらっしゃいますよね。

こざわ:そうです。俳句の授業にも出ていました。小林先生には今でも本が出た時はお送りして、近況を報告するようにしています。その時に一度「先輩として来たらどう?」とおっしゃってくださって、ゼミにもお邪魔しました。

――大学生時代には他にどのような本を読まれたのですか。

こざわ:ゼミやサークルでまわりに小説好きの人たちがいたので、今まで読んできたものとは違う小説をたくさん教えてもらって、世界が広がった感じがありました。

 その頃たぶん、豊島ミホさんの『青空チェリー』を知って追いかけはじめたんです。

――『青空チェリー』の表題作は、のちにご自身が応募する「女による女のためのR‐18文学賞」の読者賞受賞作ですよね。

こざわ:そうです。それ以降、R‐18賞を獲った作家さんも読むようになって、その流れで窪美澄さんとかも知ったんですよね。

 あとはちょっと背伸びして吉村萬治さんの『ハリガネムシ』とか『クチュクチュバーン』、花村萬月さんの『ゲルマニウムの夜』や、車谷長吉さんの『赤目四十八瀧心中未遂』を読んだり。メフィスト賞から出てきた舞城王太郎さんや佐藤友哉さんにも夢中でした。

――幅広いですね。

こざわ:大学生になって自由になる時間が増えたこともあって、いろいろ読む時間があったんです。お恥ずかしいことに、そこではじめて宮部みゆきさんと東野圭吾さんを読みました。それで、なんて面白いんだろうと思って。

 東野さんの『白夜行』とか宮部さんの『火車』とか『模倣犯』とかを読み、ページをめくる面白さというものを知りました。それまで長篇は「最後まで読めなかったらどうしよう」という気持ちがあって、連作短編のほうが好きだったんです。でも、もう長篇もぜんぜん怖がることはないじゃんと思い、おふたりの作品を読み進め、その流れで奥田英朗さんの『最悪』とか『邪魔』を読み、町田康さんの『告白』を読んでものすごく衝撃を受けました。河内十人斬りを題材にした小説ですが、私はこれをタイトル回収本だと思っているんですね。こんな美しいタイトル回収の仕方があるんだろうかと思ったんです。これもすごく長いのに、一気に読めました。

 それと、スティーヴン・キングも読みました。『アトランティスのこころ』や『不眠症』も好きですが、一番好きなのは『IT』です。

――それこそ大長篇ではないですか。しかもめっちゃ怖い。

こざわ:私、デビュー作で自転車に乗っている男の子を書いたんですけれど、自分の中では、そのイメージがすごく『IT』のラストで主人公が自転車を漕ぐシーンとかぶっているんです。もうだいぶ年を重ねた主人公が、老いた体で妻を自転車の後ろに乗せて、少年時代の心を取り戻すために漕いでいくシーンがあって、そこは何回も読み返しました。

 自分も、ああいうものが思い浮かぶ期待を持って書いた記憶があります。

「執筆のきっかけは震災」

――卒業後は東京で就職されたのですか。

こざわ:はい。当初の目的を果たしました。事務職に就いて、最初の予定通り仕事をしながら観劇をしたり小説や漫画を読んで趣味を楽しむつもりでした。

 でも、就職して2年目に震災があったんです。そこから小説家というものを職業として意識しだしたところがあります。

 私自身は、地震が起きた時は東京の職場にいて、家に帰れなくなって会社に泊まっていたんですが、突然上司から「ニュースで福島県って言っているけれど、ご実家近くないよね?」と訊かれて。「いえ、ここです」って。

 私の知人や家族は幸運なことに無事だったんですけれど、やっぱり、原発事故は大きかったです。私の実家はギリギリ警戒区域の20キロ圏の外で、避難はしなくてもよいけれどそこは自分の判断で、というような距離の場所だったんですね。実家の家族も右往左往して、一時期東京に避難してきて、落ち着いた頃に戻って、そのまま暮らしています。

 ただ、ちょっと足をのばすと今まで自分が遊びに行っていた海の近くの集落が、当時は完全に更地になっていたんです。ものすごいことが起きたんだなというのは、実際に帰郷して目にした時に実感しました。

 それがなぜ小説を書くきっかけとなったのかは、自分の中では一応理屈が通っているんですが、他の方に理解していただけるかわからなくて...。

――ぜひ。

こざわ:10代の頃、自分が小説家になるイメージがなかったというのは、福島県の浜通り出身の小説家があまりいなかったのが大きいと思うんです。福島県内だと、郡山出身の古川日出男さんがいらしたりするんですけれど。

 自分の周りには小説でも漫画でも演劇でも、作り手はもちろん、編集者のような関連した仕事に就いている人もいなくて、そういう職業に就きたいと思った時にどうすればいいかわからなかったんです。この、何百年もそういう人たちを輩出してこなかった土地で、ロールモデルがいないなか、自分が最初の小説家になるというイメージがわかなかった。何もない土地に生まれた自分がクリエイトする職業に就くことは難しいんじゃないかと思っていました。

 でも震災があって、事故があって、自分の故郷がああいうことになった時に、たぶん、私みたいな人間が、「こういう土地だからしょうがないよね」と思って諦めて、自分で自分の生まれた土地をちょっと下に見てきたことの積み重ねの結果、こういうことが起こっているような気がしたんです。

 だからなんというか、こういうことが起こっていることの一端に自分もいるんじゃないかって気持ちになって。ここから先、自分の生まれた土地とかを理由に、「こういう土地に生まれたから、こういうことはできないんだ」と思うのはもうやめにしようと思ったんです。今まで「自分は小説家にはなれない」と思っていたけれど、「なれる」と思ってやってみよう、と考えを変えたというのが大きいです。

――そこで新人賞に応募しようと思って書き始めたのですね。応募先にR-18を選んだのはどうしてですか。

こざわ:まず、短篇の賞だということが大きかったです。私がそれまでに完成させた小説といえば大学の時に書いた10枚くらいの掌編しかなかったので。ここから投稿生活が続くだろうから手の届く範囲からやっていこうと思い、短編から始めました。R-18ご出身の窪美澄さんの作品を読んでいたことも大きかったです。

 あともうひとつ、震災の年の夏に、R-18の作家さんたちがチャリティー企画で『文芸あねもね』という電子書籍のアンソロジーを出されたんですよね。後に文庫にもなりましたが。

 それを見たのも大きかったです。おこがましいんですけれど、私ももうちょっとはやく小説家を目指してなっていたら、今私が個人で寄付しているお金よりももっと多くの額を自分の故郷の県に寄付できたのかもしれないなと思いました。

――そして2012年に「僕の災い」(応募時のタイトルは「ハロー、厄災」、『負け逃げ』に収録)でR-18の第11回の読者賞を受賞されていますよね。R-18って最初は女性の「性」について描かれた小説が対象でしたが、第11回は...。

こざわ:第11回からそのくくりが外れたんです。審査委員の先生方も三浦しをん先生と辻村深月先生に代わりました。

――でも「僕の災い」は田舎に暮らす高校生の少年が主人公の話で、性が絡む話ですよね。

こざわ:そうなんですよ(笑)。コンセプトが変わったことも審査員の先生方が新しくなったことも知っていたのに、パッション最優先で書いて送ってしまい、後になってから今までのR-18のコンセプトに近いものを送ってしまったなあと思って。それでも拾っていただけてありがたかったです。

――窪美澄さんの『ふがいない僕は空を見た』も受賞作をもとにした連作ですし、「僕の災い」も連作短篇集になる予感はしていました?

こざわ:いえ、予想はできたはずなんですけれど、受賞してはじめて新潮社に伺った時に「これの次の話とか考えてらっしゃいます?」みたいに訊かれてアワアワしてしまって。連作として書けるような内容はその時は全然考えていなかったです。

――『負け逃げ』では地方の町の閉塞感が描かれますよね。学校の教師の不倫の噂の顛末とか...。

こざわ:外から見るとただの不倫騒動ですが、内側から見た時に本当にいろんなことがある、ということを書きたかったんでしょうね。田舎にいた時、なんで人の不幸もエンタメのように噂話にしていくんだろうと思っていたので、その気持ちが結構出たかもしれません。

 本にする時に全体のタイトルを『負け逃げ』にしたのは、勝ち逃げできない人たち、田舎に生まれたことをなんとなく敗北感とともに捉えている人たち、生まれた時点でちょっと負けてる人たちみたいなイメージがあったからです。そこから逃げる、という。自分の中ではあまりネガティブなだけではない意味をこめたつもりです。勝ち逃げのずるさみたいなものに抵抗したい気持ちもありました。

「会社員時代の読書」

――受賞してから単行本にまとまるまでにちょっと時間がかかってますよね。一篇一篇書くのに時間がかかったのか、会社勤務のお仕事が忙しかったのか...。

こざわ:デビューした直後くらいに、仕事のほうで結構はやめの昇進をして、管理職の仕事に就いたんですよね。それが自分にとっては、すごく大変で...。小説以外のことで頭がいっぱいになってしまって、なかなか小説を書けない感じになってしまいました。それが2017年くらいまで続いて、その後に結局、会社を辞めたんですけれど。

――その間、読書生活も滞っていた感じですかね。

こざわ:そうですね。職場の状況が苛烈を極めだしてからは、観劇も読書もどうしても辛くなってしまった時期が2~3年続きました。

 ただ、働き出してから、読書傾向がちょっと変わったんです。デビューする前か後かはっきり憶えていないんですが、山本文緒さんを読むようになりました。それと、太宰治。

 文緒さんは高校生の時に『プラナリア』を読んであまり理解できなくて、それきりになっていたんです。その時は、なんか怖い小説だなとしか思いませんでした。でも再読した時、文緒さんの書かれる小説って、人生って本当は穴ぼこだらけで、なのに真っ暗だから私たちはそのことには気づかずに歩いていて、何かの拍子にひゅっとそこに落ちてしまう瞬間を書かれているんだなと思いました。労働でも恋愛でも病気でも死でも、何かこう、かくっと落ちる瞬間があるということを書いていらっしゃる。たぶん10代で読んだ時は、それを「怖い」とだけ捉えていた気がするんですが、働き出してから読むと、そういうことを書いてくれる書き手というのは、ものすごく信頼がおけるなと思いました。そこから『恋愛中毒』とか『落花流水』とか、他の作品も夢中になって読みました。

 それまではどちらかというと、男性作家を読むことが多かったんです。女性作家の書く女性の主人公はちょっと生々しく感じてしまっていて。でも、文緒さんの作品を読んでからは苦手意識が消えて、女性作家をばーっと読むようになりました。角田光代さんも、その一人です。それから綿矢りささんも、『夢を与える』以降精力的に発表されているので追いかけました。あと川上未映子さんもすごく好きですね。そのなかで三浦しをんさんや辻村深月さんも読むようになっていたので、そのお二人が新たに審査委員をされるということも、R-18への応募に繋がっていったような気がします。

――昔読んでピンとこなかった太宰の『人間失格』をまた読んだのですか。

こざわ:はい。作家になりたいと思い始めた時に、たくさん本を読んでいないと駄目だと思い、今まで読んで駄目だった作家ももう1回読んでみようと思ったんですよね。それで「ここはひとつ、トラウマになっている太宰を」と思って短篇集から入り、『きりぎりす』に収録された「黄金風景」を読んだんです。短篇というよりは掌編ですよね。これが本当に面白くって。

 性格の悪い主人公が、幼い頃に足蹴にした家のお手伝いさんの女の人に再会する話です。最初にその夫と会うんですが、さぞかし彼女は自分のことを悪く言っているんだろうと思ったら、むしろ彼女が「素晴らしい人だった」と言っていると聞くんですよね。その後、その女性と夫と幼い娘の親子三人が海辺にいるのを見かけて、主人公はその光景の美しさに打ちのめされるんです。そして、「自分は負けた」と思う。敗北感ってある意味ネガティブだと思うんですけれど、すごく清々しい形で書かれている。こんな短いページの中に、人生のすべてが詰まっていると思って。それを読んでからは、太宰が他の作品でどれだけグチグチ言っていても、「いや、私はお前がそんなに悪い奴じゃないって知ってるぜ」という気持ちで読めるようになりました(笑)。『人間失格』も再読してみたら、自意識に絡めとられながら苦しんでいる男の人の話だと分かりました。昔読んだ時はなんであんなによく分からなかったんだろうっていうぐらい、いろいろ読めるようになりました。

――お仕事が大変な時期を経て、その後2018年に2冊刊行されましたよね。『仕事は2番』と『君に言えなかったこと』(文庫化の際『君には、言えない』に改題)。『仕事は2番』は職場の人間模様が描かれる連作集で、中間管理職となって苦労する女性の話もあるので、さきほどのこざわさんご自身のお話とちょっと重なりました。

こざわ:組織で働いていた頃の自分の心情は、どの章にも少なからず反映されていると思います。当時は、自分で問題意識を持っていることとか、悩んでいることとかを作品にしなくてはと思っていた時期で、職場がちょっと大変だったこともあって、じゃあお仕事ものにしよう、ということで書いたんですよね。

――『君には、言えない』は、「言えなかったこと」が共通するテーマとなっていますね。

こざわ:そうですね。一話目の、友人の結婚式で祝辞を述べる女の子の話をまず書いて、これを中心に、同じテーマのお話を本にしましょうという依頼をいただいたんです。『仕事は2番』で目下問題意識を持っていることを書いた分、こちらはわりとフェティシズムみたいなものをこめて書いたかもしれないです。自分は1対1の関係をすごく大事にしているなと思うので、これは基本的に主人公がいて、その人が執着したり思いを寄せているもう一人が出てくる関係性の話になっています。

「デビュー後の読書生活」

――その後の読書生活はいかがですか。

こざわ:いちばん最近だと、ジャニス・ハレットの『ポピーのためにできること』が面白かったです。事件のあらましを、ほとんどメールのやり取りだけで追っていくミステリー小説です。最初から最後まで、夢中になって読みました。久しぶりに時間を忘れてページをめくった本です。

 それと、数年前『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んだのがきっかけで、ちょっとずつ韓国文学を読むようになりました。

 小説ではないんですが『目の眩んだ者たちの国家』という、セウォル号の事件を受けて文学に関わっている作家や学者の人たちが出した本があって。それは確か彩瀬まるさんがコロナ禍の時にツイッターで本のおすすめをしてくださる中で紹介された一冊です。作家の人たちがセウォル号の事件とは何だったのか、なぜこういうことが起きたのか、まず国のあり方に何か問題があるんじゃないのかとか、そういったことを語っている本なんですけど、読み終えたあとに、社会に対して文学は語る言葉を持ってるんだなと思って、すごく希望を感じました。

 その中でキム・ヘンスクさんという詩人の方が書かれている文章の冒頭が、〈命はじっとはさせておかないものです。〉という一文なんです。船の中で学生たちが「じっとしていなさい」と指示されて、そのまま事故に巻き込まれてしまったことを受けての文章です。たった一行ですが、その一文が本の中でもいちばん印象に残りました。

 他に韓国文学はチョン・セランの『フィフティ・ピープル』や『保健室のアン・ウニョン先生』などを読みました。特に、『保健室のアン・ウニョン先生』がすごくよくて。その中で勝ち負けの話になった時に、〈絶対に勝てないことも親切さの一部だから、いいんです〉という台詞が出てくるんです。それもすごく心に残っています。

 翻訳ものって今までそんなに多く読んできていなくて、どういうふうに探せばいいのかわからないまま今に至るんです。でも、はっと胸を突くような文章を見つけることが多いので、自分好みの作風の作家さんをもっと見つけていきたいなと思っています。

――心に残った文章は憶えているのですか。読書記録などをとってらっしゃるのかなと思って。

こざわ:読んでいて何かひっかかりを感じた文章は、そこだけ憶えていたりします。読書の記録ついては、今年から日記をつけ始めました。ここ5年くらいで読んだ本の記録をつけだして、今年からそこに簡単な感想文みたいなものをつけるようになりました。あらすじを2、3行でまとめて、その下にちょっと気に留めた文章や、自分の感想を書くんです。

 私は抽象的なことを捉える力というか、ぼんやりと点在したものを一言にまとめることにすごく苦手意識があるので、読んだ本のあらすじをきゅっとまとめることが治療にならないかなと思って始めたんですけど。

――国内小説で印象に残ったものはありますか。

こざわ:最近では高瀬隼子さんの『おいしいごはんが食べられますように』。これは本当に、自分が会社に勤めていた頃に読みたかったです。そうしたらちょっと支えになったかもなって思うくらいよかったです。

 それと、藤代泉さんがすごく好きなんです。『ボーダー&レス』で文藝賞を獲られて、そのあとあまり書かれていなかったんですが、ここ最近文芸誌に作品を発表されているので、それが本にまとまらないかなと思っています。

 あとは演劇関係で、つかこうへいさんが好きな年上の知人が、「つかこうへいの演劇もたくさん見てきたけど、実は彼の書く小説が一番好きなんだよね」と教えてくれて、去年つかさんの小説を一気にたくさん読んだんです。それもすごく面白かったです。基本的には「蒲田行進曲」と同じような、2人の男とその間で揺れる1人の女というモチーフが多くて、なぜつかさんがその設定にここまで執着したんだろうと気になりました。でもつかさんは、亡くなる前の頃に、蒲田行進曲の小夏が主人公の作品を作られているんですよね。小夏が銀ちゃんとヤスの間で何を考えて、その後どういうふうに生きていったかを書いていて、最後に彼女は「私は女優よ」って言う。もしもつかさんがご存命だったら、また何か違うものを書かれていたんじゃないかと思いました。

 あとはやっぱりR-18の作家さんはすごく好きで、ずっと追いかけています。最近は山内マリコさん。『一心同体だった』がすごく良かったです。山内さんは私がデビューするちょっと前に『ここは退屈迎えに来て』でデビューされています。それを読んだ時、地方を塗り替えられた、と思ったんです。山内さんが地方を塗り替えた後に、自分はめっちゃ湿っぽい田舎を書いているなと思いました。でも山内さんが見てきた地方も私は知っているんです。あの国道沿いの何にもない感じとか、町全体に漂う乾いた空気感とか...。

 他には南綾子さんの『死にたいって誰かに話したかった』という文庫で出た本がすごく良かったです。私よりも下の世代では『くたばれ地下アイドル』の小林早代子さんや、『県民には買うものがある』を書かれた笹井都和古さん。私はこの2人の書かれるものがすごく好きです。お二人の文章からは、私が20代の最初の頃に追いかけていた豊島さんや吉川トリコさんに近い感じを受けるんですよね。まず、2人ともめちゃくちゃタイトルがいいですよね。

「新作と今後」

――毎日、何時から何時まで書くといったタイムテーブルはありますか。

こざわ:何だかんだで私は夜型で、執筆する日は9時ぐらいに起きてちょっと家事をして、お仕事を始めるけれどうまくいかなくて、お昼の時間になり、ご飯を食べた後も乗らないなと思いながらパソコンとスマホを見比べて「うんうん」唸って、ようやくエンジンがかかるのが午後3時とかです。そこから7時か8時の夕食まで頑張ります。でも結局、すごく集中して書けるのは夜10時11時以降なんですよね。こんなんじゃ駄目だなって思ってます。毎日決まった時間に決まった分量書けるようになりたいです。

――本を読むのはどんな時が多いですか。

こざわ:寝る前が多いんです。あとは、「本を読む日」と決めて読みますね。1日の間にアウトプットとインプットの切り替えがうまくできないので。なので読む日は朝から夕方とかまで読む。なるべく1日か2日で1冊読み切りたいという気持ちもあります。自分の性格的に、読み終えないと次の本に行けないんですよね。1回途中で止まるとその本をずっと抱えてしまうので、短時間で読み切りたいんです。

――2018年以降、新刊の『教室のゴルディロックスゾーン』まで刊行がなかったですが、その間、いったい何を...?

こざわ:長篇のご依頼をいただいて書き始めたら全然うまくいかず、それは今も続いてるんですが、すごく苦戦しているうちにだんだん短篇も書けなくなって、もう自分に何が書けて何が書けないのか、何を書きたいのか分からなくなっていたんです...。どんどんスランプにはまっていくなかで、小学館の方から依頼をいただいて取り組んだのが『教室のゴルディロックスゾーン』でした。

――中学生の少女たちの、教室内での距離感が繊細に描かれる連作集ですよね。

こざわ:絶賛スランプ中の自分に何が書けるんだろうと考えた時に、たぶん、10代の女の子たちなら書けると思って。10代の高校生の男女はもう『負け逃げ』で書いたので、まだ書いたことのない中学生でどうですか、ということになりました。

 あと、『負け逃げ』を書いた時に、自分ではそういうふうには思っていないんですけれど、「閉塞感がピカイチ」と言っていただけることが多くて(笑)。自分に書けるものを探っていた時にそれを思い出して、私は閉じた関係性を書くのが得意かもしれないな、と。それを書くには学校って最適な舞台だなとも思いました。

――中学生の依子は仲良しだったさきちゃんとクラスが離れ離れになり、教室に馴染めず空想の世界に逃げている。誰にでも分け隔てなく接する伊藤さんと学校外で偶然親しくなりますが、教室内の伊藤さんは一番目立つグループに所属していて近づけない。依子やさきちゃん、伊藤さんらの心情や関係の変化が丁寧に綴られる連作集です。

こざわ:最初に考えたのは主人公の依子でした。今までなかなか主人公になることはなかった、引っ込み思案で内向きで、空想好きな女の子を据えてみようと思いました。

 そこから依子とさきちゃんの関係性を起点に物語を考えていきました。はじめて人間関係が疎遠になる瞬間ができるのがクラス替えだと思うし、それは10代にはすごく大きなことですよね。なので2人が離れて、そこからどうなるのかを描きたかったです。

 それと、クラス内でまったく別の立ち位置にいる女の子たちが、相手に何を見て仲良くなるのかも考えました。ただ、仲良くなるにしても、親友になるというのとは違う形で書きたいな...などと思ううちに、人間関係が広がっていった感じです。

――友達同士にも微妙な距離があっていい、四六時中くっつかなくても、均衡をとりながらでいいんだと思わせてくれるところがよかったです。

こざわ:そうですね。たまにぐらついたりしながら、その均衡がとれている状態を保っていくのが人間関係だと思うんですよね。ぴったりくっついた状態でずっと一緒にいて、いきなり「はいさようなら」とかでもなくって。だから、ゴルディロックスという語句の意味である、「ちょうどいい」という距離を探っていく話にしたいなと、語句の意味を知った時に思いつきました。

――この先は、ずっと取り組んでいる長篇にまた戻るのですか。

こざわ:その前に、もうひとつ、カドブンで連載させていただいたものがあるんです。書き終えた後に、これでは駄目だと思って全面改稿することにしてプロットも立て直しました。俳優を志している女の子が主人公の物語です。今回こそちゃんと長篇が書ける気がしています。

――スランプは抜け出せそうですね。

こざわ:これからは1対1の関係をたくさん書いてみようと思っています。スランプになる前は、それがすごく嫌だったんですよ。なんで自分は「僕と君」や「私とあなた」みたいな、1対1の関係しか書けないんだろうって思っていました。その外に社会だとか世界とかがあるのに、なぜ自分はそれが全然書けなくて、いつも個人と個人の関係に集約されてしまうんだろう、って。

 作家の奥田亜希子さんとお会いしたときにその悩みを打ち明けたら、「でも僕と君の関係をたくさん書いていけば、それが繋がって社会になるから」とおっしゃってもらえて、そうだよなって思って。なので今は、今の自分が書けるものを積み重ねていって、その先に、社会であるとか、君と僕の関係以外のものも書けるようになりたいなと思っています。

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