2020年11月号の「谷原書店」でご紹介した物語が、この夏、ついに完結しました。読みながらずっと涙があふれ出て、止まらなくなりました……。ヤマシタトモコさんによる漫画『違国日記』(祥伝社)の最終巻を読み、ラストの着地のさせ方に、しばらく放心状態になるほど心を動かされました。当初は別の小説をご紹介する予定でしたが、読者の皆さんとすぐに共有したくて、急きょ差し替えてお伝えしようと思います。
(2020年11月号「谷原書店」の記事はこちら)
孤高の人生を歩んできた35歳の少女小説家・槙生(まきお)さん。価値観の異なる姉と反目し、憎んできましたが、その姉は、内縁の夫と共に交通事故で亡くなります。遺された姉の子・中学3年生の朝(あさ)ちゃんは、葬式で一族から「たらい回し」にされそうに――。その様子に激怒した槙生さんは、朝ちゃんを引き取って、同居生活を送ることを決めます。
他人との距離感がつかめない、槙生さん。それに対し、独特なペースを持ちながらも天真爛漫(らんまん)な朝ちゃん。そんな2人を見守る槙生さんの元恋人・笠町くん、朝ちゃんの親友で、同性の恋人がいる、えみりちゃん。素敵な人物はこのほかにもたくさん登場します。たとえば、他人の感情を推し量りにくい「空気を読めない」性格ながらも、どこか憎めない、未成年後見監督人の弁護士・塔野くん。朝ちゃんの友だちで、外国人の血を引いていながら英語の喋れないクラスメイト――。それぞれが悩みや欠けている部分を持ちながら、それでもお互いのことを、諦めることなく繋がっている。そんな物語です。
ただ、槙生さんだけは、ひとと共存する社会への違和感を抱き、抗い続けます。同じ屋根の下で暮らす、純粋無垢な朝ちゃんの言動・存在自体が、孤高の槙生さんにいちいち刺さっていくのです。槙生さんは、自分が憎んだ姉の子である朝ちゃんのことを、頭では受け入れられない。そんな、槙生さんの複雑な感情が、痛いほど伝わってきます。憎んでいた姉の娘朝ちゃんのことを素直に「可愛い」と思って良いのか。そもそも、こんなに可愛い朝ちゃんを残していった、姉の無念はいかばかりか……。
亡き姉は姉として、槙生さんとの断絶の間に、大人の女性になり、母親になっていました。そのことに、しだいに槙生さんは思いを馳せるようになります。もしも万が一、再会していたなら、槙生さんとお姉さんは、わかり合えていたのか……? 新たな展開を見せたかもしれない。でも、そんな姉は、もういない。今となっては知る由もありません。
朝ちゃんだって同じです。強い存在だった母と内縁関係だった、印象の薄い父親は、はたして自分を愛してくれていたのか。克明に、ときに説教じみた文言を日記として遺していった母親とは異なり、父親のそれを知ることは叶(かな)いません。両親が突然いなくなってしまったことを、「悲しい」と実感できるようになる時は、いつになったら訪れるのか――。そういう、いろいろな不条理、うまくいかないこと、すれ違い、そもそも人と人はわかり合う事ができるのか? それらが、ひとつの物語に凝縮されているのです。
ありきたりに、槙生さん自身の成長が描かれることはありません。槙生さんは、世界に対し抱いた違和感をずっと持ち続け、それを自分の小説世界の中だけで表現していく。じつに孤独です。宇宙の中でひとり、暗黒のなかで光る孤独な星のようです。でも、「朝ちゃん」という彗星が飛び込んできたことによって、槙生さんの軌道が、かすかに変わっていく。ほんのわずかではありますが、他者を受容する萌芽を見せるのです。ずっと宇宙空間を漂っていた槙生さんが、初めて惹きつけられ、衛星、もしくは惑星になる。宇宙では起こり得ない現象が、ひとと、ひととの間には起こり得るのです。
2020年に「谷原書店」でご紹介した時より、ストーリーはさらに社会性を帯びていきます。例えば、ホモソーシャル社会からの脱却をめぐる、笠町くんや塔野くんの葛藤。それから、朝ちゃんたち高校生の前に立ちはだかった、医学部受験の女子学生差別事件。現実の日本が抱える問題に切り込み、それに対し怒りや疑問を抱くさまが克明に描かれます。この社会をつくる一員として、読んでいて胸が痛く、熱くなります。槙生さんは「この世に無関係なことなんてない」と語ります。社会と距離を置き、社会に違和感を持ち続ける槙生さんだからこそ、発することのできる言葉なのかもしれません。
2013年に僕は「クリプトグラム」という舞台に出演しました。片方が発した言葉に対し、もう片方が呼応するのではなく、時間軸がずれたり、返事がもらえないまま消えていく言葉があったりと、断絶、ディスコミュニケーションをテーマにした舞台でした。「クリプト~」を想起させる場面が、『違国日記』には幾つかあります。
そこで実感させられるのは、会話や対話というものは、同時多発的に、泡のように発生する言葉の束から、じつはそこに居る人間が、選び取って繋がっていくものだ、ということです。わかり合いたいけど、わかり合えない。わかち合おうとするけれど、わかち合えない。完全なる同意、完全なる客観性など、どこにもない。仕事相手でも、竹馬の友でも。血を分けた肉親でさえも。
けれども槙生さんは、すべての相手に対して公平で、客観的であろうとする。そのあまり、みんなが言いにくい言葉を飲み込まずに発し、ハレーションを起こしてしまいます。例えば、槙生さんは、いきなり生命保険に加入し、朝ちゃんに財産を託そうとする。そんな行動自体が、両親を失った朝ちゃんをどれだけ傷つけるかが、槙生さんには分からない。
思考の迷宮に迷い込んでしまう槙生さんは、自分の言葉で自家中毒に陥りがちになる時があります。読んでいると、ついそちらに引っ張られてしまう。連載中は読み進めるのに時間と体力を必要としました。一人ひとりの言葉と言葉の「行間」、一コマ一コマの「コマ間」。その「間」の意味を掘り下げて考察することが、いくらでもできてしまう。でも、光射(さ)す方を探し、読み進めずにはいられないのです。
「第11巻」で物語は見事な終焉(しゅうえん)を迎えます。「見事」としか言いようがない。かつて同じ国の中で線を引き、「ここからこちらは私、こちらはあなた」で生きて来たひとが、繋がっていく。ひとつになる。頭でっかちに考えるのではなく、思いをまっすぐに、言葉をシンプルにする。それがどれだけ大切なことなのかを知る瞬間があるのです。この瞬間のために物語が紡がれてきたのか!
最終巻、ずっと涙を流しながら読みました。この物語は途中、本当に息苦しさを覚える時もあります。でも、最後の最後、すべてが晴れた気持ちになります。久々に、すばらしい物語を読みました。
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松田洋子さんのコミックエッセイ『父のなくしもの』(KADOKAWA)は、父と子の間のディスコミュニケーションの物語。父親の切なさ、哀愁が漂います。それにしても横暴な「昭和の父」。僕などは父親の視点から読んでしまい、なんだかちょっと胸が痛くなりました。
(構成・加賀直樹)