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米澤穂信さん「可燃物」インタビュー 主人公は現役警部、ミステリ小説で描きたい「より大きなもの」

米澤穂信さん=本人提供

初めて警察官を主人公にした理由

――『可燃物』は、米澤さんの作品では初めて警察官が主人公です。その理由は?

 ミステリにおいて、なぜ探偵役は事件を解き明かす権限を持っているのか、他人のプライバシーを侵害してまで真実を追究することが許されるのかというのは大きな問題です。警察であれば職務として事件に関われるし、事件を捜査する権限も能力もある。書きやすいところはあったと思います。

――警察官が主人公だったら、鑑識の調べたことが捜査を進めたりもしますね。

 科学捜査も使えますし、遺体の歯から遺体の身元を特定するなど、幅広く情報を集められるのも大きいですね。

――海外には、警察官が主人公のミステリ小説が多いですね。

 警察官が謎を解く小説で印象的だったのは、F・W・クロフツの『樽』です。彼の小説に出てくる刑事たちは、決して特異なキャラクターの持ち主ではありません。警察を主人公にしたイギリスのミステリというと、いっぷう変わったパーソナリティーを持っているキャラクターが目立ちます。でも、クロフツはイギリス人ですが、そうではありません。

 また、ヒラリー・ウォーというアメリカの作家に『失踪当時の服装は』という小説がありまして、これも警察官が主人公です。行方不明になったティーンの行方を警察が追うという、それだけといえばそれだけの話ではあります。この小説の警察官は、別に変わったことをするわけではないけれど、行方不明になった子は絶対に見つけ出すという、不屈の意志を抱いている。アメリカのミステリ小説では、こういう鉄の意志を持ち、黙って働くタイプの登場人物をしばしば見かける気がします。メルヴィル・デイヴィスン・ポーストの『アブナー伯父』なども、その一例かと思います。

 どちらかというと、今回の主人公の葛の人物像は、アメリカのミステリから立ち上がってきました。黙って働く警察官を主役に据えるのは、今のミステリとして描く甲斐のあるアプローチだろうと思いました。オールドスクールではありますが、今日の読者にはかえって新鮮に感じられるかもしれません。

「警察らしさ」を出すために

――警察内の命令指揮系統はリアリティーがありますね。もしかしたら警察に取材的なことをされたのでしょうか?

 警察を書く以上、最低限の警察らしさというのを書かなければなりません。でなければ読者の謎解きの邪魔をしてしまいますから。警察の内部の様子を描くことが目的ではないですが、「こんな警察いないよね」と思われると小説の魔法が解けてしまいます。そのために使ったものの一つは、警察の人事にまつわる報道です。ある程度階級の高い警察官の人事は発表されているので、それを見ることによって、どういう職務があるのか知ることができます。

 ほかには、警察官向けの参考書ですね。警察官は昇進するにあたって勉強をしなければなりません。事件における法律の運用の仕方だったり、適切な手続きだったりを学ぶ。で、その勉強のための参考書というのが書店に売っているんです。『可燃物』を書くにあたってよく使った本は、まず『実例 捜査における事実認定の実際[第2版]』(高森高徳/立花書房)。あと、『警察官のための死体の取扱い実務ハンドブック』(城祐一郎/立花書房)。こうした本を読むと、「警察官はこういうことはしない」と分かってくる。

 もちろん、いち読者として触れてきた警察小説からも多くを学びました。ことに影響を受けたのは、何と言っても(群馬県を舞台にした『クライマーズ・ハイ』や『64(ロクヨン)』の著者である)横山秀夫先生の小説ですね。

――上司と部下の関係がこじれたりするのは、『可燃物』のみではなく、一般の企業や組織でも当たり前にある光景ですね。ゆえに本作は普遍性がある小説だと思います。

 ありがとうございます。組織小説としての警察小説を書くつもりはありませんでしたが、最低限の警察らしさを入れられればと思っていました。そうやって書いた組織らしさが普遍性を持ち得たのであれば、それはすごく嬉しいです。

主人公はいつも菓子パンとカフェオレ

――葛はクールだし余計なことは喋らず、黙々と仕事をこなす。上司からは嫌われたりはするけど、警部としての能力は極めて高く、周りの声は気にしない。立っているものは親でも使うという姿勢も特徴です。

 部下をこき使うだけではなくて、事件を解決するためならば部下も使うし上司も使う。自分に与えられた権限も全部使う。つまり彼は事件を解決することしか考えていないんです。彼が今後どうなるのかは、私自身気になっています。警部という、プレイングマネージャー的なポジションから上に行って、幹部が出来るんだろうかと思っています。

――葛がどういう人間なのかというのは、小説の中ではあまり描かれません。

 実は、雑誌に掲載された時点では、葛はもう少し内心をモノローグの形で語る人物でした。しかし、それを一冊の本にするにあたって、削りました。この事件に対して葛がどう思っているかが、本当にこの小説に必要なのか疑問だったんです。謎があり、手掛かりがあり、捜査があり、解決があるという手順の中に、彼自身の思いはいらないのではないかと。そしてなにより、モノローグを消すことによって、仕事の進め方それ自体に彼を語らせることが出来るはずだと思ったんです。

――葛を組織の中での一匹狼というか、アウトローにすることは考えなかったですか?

 それはなかったですね。葛は上司に楯突くというか、上司の方針を全面的に受け入れないことはある。でも、それも決定的にぶつからない範囲内においてです。彼は、警察という組織の力が事件解決に役立つからこそ、その中にい続けている。そう思っています。

――合理的といえば合理的。ドライといえばドライですよね。彼の日常というか普段の生活というのがまったく見えてこないというか。

 そうですね(笑)。

――作中で葛が菓子パンとカフェオレしか食べていないのが気になりました(笑)。

 これは簡単な話です。糖分が無いと脳みそが回らない。でも、『シャーロック・ホームズ』にも出てくる話ですが、満腹になっても脳の活動が鈍ってしまう。だから菓子パンで済ませているんです。コーヒーは、カフェインを入れて目を覚ましたいけれど、あまりブラックばかり飲み過ぎると胃を痛めてしまう。それで、せめて胃への当たりを柔らかくしようとカフェオレを飲んでいる。そういう裏設定があります。カフェオレは無糖でしょうね。

――プライベートは何をしているのかなというのが謎ですよね。

 プライベートでは絶対にまともな食事をしていると思います。プライベートでもこんな食事をしていたら、体力がもちませんから(笑)。

普遍を描くための道具として

――ところで、ミステリ小説を書いていて、この謎をどのくらいの読者が推理が出来るか、というのは考えますか?

 考えます。作品によって違いますが、10~15%くらいの読者が真相にたどり着いてくれると良いなと思っていました。判ったものはありますか?

――タイトルがほのめかしているからなんですが、「ねむけ」はもしかしたらこうかな、とはなんとなく思っていました。

 見抜いて頂けたなら嬉しいですね。見抜いて頂けるというのは、見抜けるように書いているということです。全員に見抜かれてしまうようだったら、読者も面白くないと思うんですよ。それは自明なこと、明白なことになってしまう。でも、100人いて100人が真剣に考えて判らなかったのであれば、それは解けないようになってしまっている。いわゆる悪問ということになるだろうと思うんです。

 良問というのは、考えれば解けるようになっているものだと思っています。そして謎を解けなかった時に、「ちくしょう騙された、こんなこと思いつくはずがないだろう!」とはならない。「確かにこれは気づけたはずだった、しまった!」と思われるのが良問だと思っています。なので、今回「ねむけ」を見抜いて頂けたというのは、嬉しいことです。これが(収録されている)5編を全部見抜けましたよと言われたら、それはそれで申し訳ないから、次はもう少し難易度を上げますという話になりますが(笑)。

――直木賞を受賞された『黒牢城』は歴史小説と、今回は警察小説と言われることもあります。ただ、それが主眼になるのではない。設定のひとつとして利用しているように思いました。以前から気にしていたことでしょうか?

 より広く大きなものを書いていくための武器として、ミステリというのを使っていける感じは2015年の『王とサーカス』あたりからありました。それは『黒牢城』にもある感覚です。根本にあるのはミステリを書くことだけれども、それを通じて、より大きなものを描くことが出来る。そういう感覚が今はありますね。

――「大きな」というのは、「普遍的な」というものと近いと考えて良いですか。

 普遍性、そうですね。いつであっても変わらない人間のありようが描けたらいいと思っています。普遍を描くための道具としてミステリを存分に使える。そういう傾向はデビュー作の頃からあったとも思えてくる。そう考えると、自分の小説の根本的な部分は変わっていないのかもしれませんね。