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川上弘美さん「恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ」 恋愛、いくつになってもわからない

川上弘美さん=みなもと忠之氏撮影

 恋と呼ぶには淡く、あいまいで、でも、愛惜の機微は確かな言葉で立ち表れる。川上弘美さんの「恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ」(講談社)はそんな淡さ、おぼつかなさをそのままに味わう「恋愛小説」だ。

 主人公の女性、朝見(あさみ)は幼少期をアメリカで過ごした60代の小説家。文学賞の選考委員も担う。川上さんを思わせる属性だ。朝見はアメリカでの友人、カズ、アンと東京で再び出会う。60代の3人は、コロナ下で時折会ってはお酒を飲むようになる。

 朝見とカズの恋が始まるのだろうかと読み進めていっても、2人の距離はある一定を保ったまま。それでもそばにいると心地よく、会ってはたわいない話をする。互いに心を許している。

 「自分が60代になったときに、同年代の人たちの小説を書きたいと思っていました」と川上さんは話す。その気持ちは、10年以上前から持っていた。「60代や70代の楽しさを書いた小説があまりないと感じていました。私の周りには、老人という定型にはまらない素敵な先輩がたくさんいるのに」

 タイトルは、一見変わっている。

 最初の章で、アメリカにいたときの朝見は5分かみつづけてもちっとも小さくならないステーキを、こっそりプールに捨てる。小片は、プールの底に沈んだ。

 「恋ははかない」というフレーズとは対照的に、水底にとどまるステーキ。はかないだけではない恋愛、消えない記憶の暗喩にも受け取れる。「解釈は読者が好きにしてくれたらうれしい。私は恋愛を書く作家と言われるけれど、どの本を書いているときも恋愛のことはわからないんです。今回もそう。いくつになってもわからないですね」

 2人の男女の関係性を恋愛と名付けることを拒否し、結論づけない。定型にはめようとした途端、するりと逃げていく。

 もう一つ、作品を貫くテーマは記憶だ。登場人物は過去の出来事を思いだし、またそっとしまうことを繰り返す。

 〈六十歳を過ぎたころから、「思いだす」という行為が、一日のうちのある一定の時間を占めるようになっている〉という朝見の感覚は、川上さんの実感とも重なる。記憶が小説の種となり、作品のなかで漏れ出す。「書くというのは、自分のなかにあるものを再構成する行為。自分のなかの何かが溶けたり、結びついたりしています」

 1994年にデビューし、30年近く書き続けてきた。だが、いまも「書き終えられるか心配でしょうがない」と話す。「何かを隠そうとしていると一行も書けない。自分のだめな部分や正しくない部分も、みな出てしまうのが小説。表現することは、恥をさらすことでもあるなあと思います」

 恋は、灰色のステーキのように心の底に沈む感情、ふいに呼び覚まされる記憶とともにある。見落としてきたわずかな心の動きを、この小説は言葉にして教えてくれる。「書いているうちに言葉が生まれてくる。小説を書く喜びです」(田中瞳子)=朝日新聞2023年9月20日掲載