作品本位で政治的な判断はないはず?
今年もノーベル文学賞の発表が近い。最近はノーベル賞ウィークの10月第1木曜日の日本時間午後8時発表と決まっているが、以前は文学賞だけが直前になってやっと日時の確定が出るという形だった。2016年などは発表が1週間遅れ、審議の紛糾が囁かれたが、実際、蓋を開けてみたら、アメリカの歌手ボブ・ディランに授与されたので、各方面に激震が走ったのだった。
さて、今年は終息の兆しが見えないロシアの軍事侵攻へのメッセージとして、ウクライナ作家に授与されるのでは? という下馬評もあるようだ。同賞の選考主体であるスウェーデン・アカデミーの姿勢からすると、そういう露骨に政治色の強い授賞というのは、あまり考えられない。少なくともこの20年ぐらいはそうだった。
作家本人の政治的活動や発言より、(浮世離れしているぐらいに)作品の品質本位。それを貫いた結果の一つとして、オーストリアのペーター・ハントケへの授賞もあったのかもしれない。ハントケには、旧ユーゴ紛争最大の戦犯とされた故ミロシェビッチ元大統領を擁護した経歴があり、この選出に異を唱えて授賞式を欠席したアカデミーのメンバーもいた。事務局長も務めたことのあるペーテル・エングルンド委員だ。
いくら政治的な選出はないといっても、1939年の授賞のことはちらと頭をよぎる。第2次大戦の勃発から3カ月後の11月末、ソ連がフィンランドに侵攻する(通称「冬戦争」)直前の10月に発表されたノーベル文学賞は、大国の脅威に直面していたこの国のフランス・エミール・シッランパーに授与された。農村の没落地主と娘がたどる運命を自然主義の手法で描く『若く逝きしもの』などが代表作だが、同作はピアニスト舘野泉の思い出の書として、昨年、なんと70年ぶりに阿部知二の邦訳が静風社から復刊されている。
アカデミーの審査員18名(現時点欠員あり16名)も、2018年の性加害事件で多くが入れ替わり、若返ってもいる。今年の12月に参入する言語学者の男性委員は1978年生まれだ。先述のエングルンド委員などは、インスタグラムに「よし、今年だれに投票するか決めたぞ」といった文言とともにお茶目な自分の画像を載せたりしているぐらいだから、ムードが変わってきている印象は受ける。今後、もう少し社会情勢と連動した授賞が出てきても驚かない。
話題になる作家たちは
候補者を公表せず、対象作もない同賞の行方は当てようとして当たるようなものではない。ここでは国内外で話題の作家たちを紹介しよう。ウクライナ作家といえば、ロシア語で執筆するアンドレイ・クルコフが『ペンギンの憂鬱』などで知られているだろう。今年も「リヴィヴでジミ・ヘンドリックスのライヴを」の英訳が刊行された。リヴィヴは世界遺産も多い古都だが、激しいミサイル攻撃にさらされている。
シッランパーといえば、北欧、東欧圏はどうだろう。たとえば、ノルウェイの劇作家ヨン・フォッセ。ライフワーク的な七部作への評価も高く、ノーベル文学賞へのステップとされる国際賞を数々受けている。そう、日本ではノーベル賞の前哨戦としてカフカ賞とエルサレム賞がよく挙げられるのだが(村上春樹が受賞)、正直なところ、ちょっと読み筋が違うのではないかと思う。
東欧、中欧では、京都暮らしの経験もあるハンガリーのクラスナホルカイ・ラースローや、プルースト的な作風のナーダシュ・ペーテル、ルーマニアのポストモダン作家ミルチャ・カルタレスクなどなどもよく話題になる通好みの作家たちだ。
東アジアにもそろそろ目を向けたい。中国では、異様で不条理な作品世界に熱烈な読者をもつ残雪、幻想と現実の境い目のない作風の(禁書も多い)閻連科。韓国の上の世代では、ファン・ソギョン(80歳)が欧米での知名度もあり、若めの世代では『菜食主義者』でブッカー国際賞を受けたハン・ガン(52歳)がとびぬけている印象。
次に英語圏。カナダでは、怪物退治を怪物の側から書いたギリシャ古典の翻案『赤の自伝』で知られるアン・カーソン、『侍女の物語』のマーガレット・アトウッド、インド(出身)では、イスラム神への”冒涜”で命を狙われたこともある『悪魔の詩』の作者サルマン・ラシュディ、ナイジェリア(出身)では、ラシュディ、カズオ・イシグロらとともに新しい移民文学の夜明けを促したベン・オクリ、やや若いがチママンダ・ンゴズィ・アディーチェなども読者層が広い。
示唆に富むトニ・モリスンの論考
今月はノーベル文学賞の受賞者と未来の受賞者の新刊書も紹介しておきたい。まずは、1992年の作刊行から30年余を経て邦訳が出た、アフリカ系のアメリカ女性作家トニ・モリスン『暗闇に戯れて 白さと文学的想像力』(都甲幸治訳、岩波文庫)。とてつもなく示唆に富む一冊だ。
モリスンは1993年、黒人の女性作家として初めて同賞を受けた。訳者の都甲幸治は巻末解説で、「モリスンの出現以降、むしろマイノリティの文学こそがアメリカ文学の主流だと認識されるようになったのである」と書いている。そう、モリスン以前に同賞を受けたアメリカ人はみな白人男性だった。とはいえ、WASP(白人アングロサクソン系プロテスタント。アメリカ人の”主流”と考えられていた層)の男性作家への授賞は1954年のヘミングウェイ、1962年のスタインベックを最後に、ユダヤ系(人)のソール・ベロー、アイザック・シンガーと、だんだん移民系の人選に移っていく。シンガーへの授賞は、イディッシュ語での創作への評価だった。
『暗闇に戯れて』は、大学講義をもとにした3部構成の論考集だ。モリスン以前、アメリカ文学史の巨人はほぼ全員が男性だったと訳者の都甲幸治は言う。女性やマイノリティの作家による作品は圧倒的に少ない。しかし、「文学史を作り上げている研究者たちは言う。これは普遍的な価値観に基づいて良いと判断できる作品を、あくまで中立的な立場から公正に選んだ結果である。したがって、たとえ白人男性による作品の割合が多かったとしても、それはあくまで偶然である」と。
つい最近この国でもこれとよく似た理屈を耳にしたではないか? 岸田新内閣の副大臣と政務官54人のうち女性がゼロになったことを問われ、首相はこう答えた。「閣僚、副大臣、政務官、首相補佐官については適材適所で、老壮青、男女のバランスとなった。チームとして人選を行った」。つまり、良いと判断される人材を中立的に配したらこうなったと言うのだ。
そんなはずはない、とモリスンは(日本の国民の多くも)反論した。都甲によれば、「いわゆる『公正さ』の裏側で何か別の力学が働いているはずだ」。所詮「普遍的な価値観」などというのは、ヨーロッパの男性知識人たちが自分たちの都合にあわせて作り上げた文学観をアメリカ文学に取り入れたものだと言う。
アメリカ文学は人種主義をでっち上げる共犯者だった?
本書で重要な語に、「アフリカニズム」がある。これはサイードの言う「オリエンタリズム」の構造概念と同じだと都甲はずばり指摘しているが、「ヨーロッパ中心主義的な学識による見方や、想定、読み方、読み誤り方を表す」モリスンの造語だ。アメリカの白人たちはアフリカ系の人びとへの支配・差別を正当化するシステムを構築するために、彼らを「劣った」ものとして自分たちから切り離す必要があったとのだと言う。そうでないと、自由や平等を求めてアメリカに渡ってきた自分たちが他人の自由や平等を否定しているという矛盾に耐えられなかった。「アフリカニズム」とは、そのために生産された様々な言説の総称ということだ。
さらに、モリスンの華麗な筆で、ヨーロッパの男性知識人の「知」を土台にしながら独自の発展を遂げたアメリカ文学の特性があぶり出されてくる。本書刊行当時、すでにほとんどすべての国の文学は人種差別的な言説に対して批判的だったが、アメリカだけは例外だと言うのだ。「人種主義をでっち上げるのにアメリカ文学が共犯となっている瞬間を私は見出したい」というくだりにはぞくぞくした。
マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』で、解放奴隷のジムが最後までからかわれるのはなぜか? ウィラ・キャザー『サファイラと奴隷娘』で奴隷の娘ナンシーがレイプの脅威にさらされながら最後には黒人たちがみな黙らされるのはなぜか? ヨーロッパの「ノベル」に対し、アメリカで空想、冒険、恋愛を物語るエンタメ性の強い「ロマンス」が発達したのはなぜか?
たとえば、アメリカ文学でゴシック・ロマンスの命脈が強いのは、新大陸への入植時に大量に殺戮して土地を奪った先住民、その後、奴隷として支配したアフリカ系の人びとから、いつか逆襲されるのではないかという根源的恐怖があるからだと言う。そのような不安が土台にあるアメリカを描きだすのにゴシック・ロマンスという「暗黒の力が強引に平定される」形式は好適だったとモリスンは分析する。このあたりは、都甲の解説も熱を帯びて圧巻だ。
文学的「黒さ」をつぶさに見ていくことで、文学的「白さ」の本質が浮かびあがる。白人と黒人という区分けは捏造されたものだとモリスンは言う。黒人のなかに白人が見出した「否定的な部分」とは、結局自分たちの欠点の「投影」だったのだ。
ジュンパ・ラヒリのたくらみに満ちた実験的作品
さて、次々期ノーベル賞候補などと言われる一人に、イギリス生まれのインド系アメリカ作家で現在はイタリア語で創作している、ジュンパ・ラヒリがいる。まさに新しい移民文学の担い手だ。『停電の夜に』『低地』などの英語作品で名声を得たのち、イタリアへ移住し、イタリア語で書くようになって読者を驚かせた。
ラヒリはなぜ達意の英語ではなく、完全さから遠ざかる言語で書くのだろうか? 「不完全であるという自由」を求めていると言うが、そこには英語帝国の一強主義への抵抗があると分析する学者もいる。「不知」でいることを「反人種差別的コスモポリタニズムの前向きな戦略」として作用させていると。
それは、英語原作よりスペイン語翻訳を先に出版するJ・М・クッツェーや、英語話者にしか通じない言い回しを避けるというカズオ・イシグロ、多国語の飛び交う設定の小説を書く多和田葉子らと相通じる姿勢かもしれない。
そうしてラヒリはイタリア語のエッセイ集『べつの言葉で』、長編小説『わたしのいるところ』と発表してきたが、このたび第3作の『思い出すこと』(中島浩郎訳、新潮社)が邦訳された。「偽書」であり「注釈小説」であり「詩集」でもあるという実験的な作品。
主人公の女性は7年前に引っ越したというローマの家で、以前の住人の手稿を引き出しに見つける。《ネリーナ》と表紙に書かれたノートには、たくさんのイタリア語の詩が書かれていた。彼女はこれを知り合いの学者の手に託し、評論、編集、注釈の作業を任せる。
作者は詩人と編者と研究者の役割を一人三役でこなす。この構成を知ったときには、かつてのラヒリの作風からは遠くなるのではと思ったが、ページをめくるうちに、これぞラヒリだという思いが湧いてきた。いろいろな人の指から抜け落ちる指輪、消えたりつぶれたりする果物、15世紀風の顔をした医療者、飛び交う風船……。
そして、巻末に付された架空の詩への入念に練られた注釈の数々。ナボコフの『青白い炎』のノリが好きな読者にはたまらない趣向だが、もっとマイルドで、詩だけで堪能できる。「かつて車の中から/黄色い濡れ落ち葉が/夜中に攣った脚のように/ぶざまに固まって/落ちている道路を見たとき、/なぜ涙があふれたのだろう?」
さらに、この詩集は読んでいくうちに作者の自伝でもあるとわかってくるのだ。なんと迂遠な、遠さをはらんだ”私小説”だろう。いつのまにか詩のページの余白に、ジュンパ・ラヒリが書くはずの小説を組み立てている自分に気づく。読むというのは、書くことなのだとつくづく実感させられた。