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関東大震災100年 過去を知り未来につなぐ試み 藤野裕子

関東大震災時の朝鮮人虐殺を疑問視する団体の集会を阻止しようと、朝鮮人犠牲者追悼碑の前に集まった人たち=9月1日、東京都墨田区

 関東大震災から100年という節目の今年、関連する書籍が数多く出版された。月日の長さゆえに、当時を想像することは容易ではない。遠い世界の出来事に思え、自らと同じように生身の人が生きていたことを実感しにくい。政治・社会のあり方が今とは大きく異なることも、障壁となる。

 存命する体験者が少ないなか、どのように過去を知り、何を未来につなげばよいのか。100年の溝を埋める試みを、いくつか紹介したい。

地域の記録残す

 まず注目したいのは、鈴木晶ほか編著『神奈川の関東大震災』だ。本書は、横浜・川崎、小田原・足柄など、県内各地域に点在する震災の痕跡を紹介する。

 本書の特徴は何より、歩いて、読んで、考える工夫に満ちている点だ。震災で亡くなった人の慰霊碑、日本人に殺害された朝鮮人の追悼碑、破壊・焼失した建造物の遺構などを紹介し、その背景について研究文献をもとに説明する。史跡の位置が地図で示されているので、本書を片手に町を歩き、地図をたどれば、なじみのある地域で起きた過去の出来事への想像力をかき立てられるだろう。

 地域の記憶を記録に変える試みに、森まゆみ『聞き書き・関東大震災』(亜紀書房・2200円)がある。著者が東京の地域雑誌「谷中・根津・千駄木」を刊行していた当時に地域の住民から聞き取った話を、未刊行の内容も含めて紹介している。経験者に話を聞くことが困難な現在、貴重な資料といえる。

 震災時の朝鮮人・中国人虐殺についても、新たな研究がまとめられた。虐殺をめぐって何を記憶し、後世に伝えるべきか。それぞれの立場から切実さをもって史料を分析し、発掘する。

 なかでも、佐藤冬樹『関東大震災と民衆犯罪』は、意欲的だ。これまでの虐殺研究が軍隊・警察による権力犯罪の側面を重視し、国家責任を問うてきたのに対し、本書は民衆を差別する主体ととらえ、権力の思惑をも超える暴力性や残虐さがあったことを指摘する。その観点から、これまで在郷軍人会を中心に論じられてきた自警団の構成を見直し、「ふつうの地元民」こそが加害者であったという。

 埼玉県を対象に調査をすすめた関原正裕『関東大震災 朝鮮人虐殺の真相 地域から読み解く』(新日本出版社・1980円)は、これとは対照的だ。国家権力の関与を重視し、自警団のなかでも在郷軍人会に着目して論を進める。災害時の教訓を得て終わるのではなく、虐殺を日本の植民地支配の歴史に位置づけなければならないという思いがあってこそだ。

 この二つの書が明らかにした事柄は、必ずしも、互いに矛盾・対立するものではない。両者がどのようにかみ合うかを考えた時に、さらに奥行きのある歴史像が結ばれると思われる。

流言の連鎖絶つ

 流言に着目し、関東大震災と現在とをつないだのが、郭基煥『災害と外国人犯罪流言』だ。本書は、関東大震災時に朝鮮人が犯罪を行っているとの流言が広まったように、アジア・太平洋戦争、阪神淡路大震災、東日本大震災でも、朝鮮人・外国人犯罪の流言が見られたことを指摘する。著者は、災害時の心構えを伝えたいのではない。関東大震災時の流言が、時代を経て、あたかも事実であったかのように繰り返されてきた連鎖を問題にしているのだ。この連鎖を絶つには、過去を明らかにし、国家的な責任を果たすことこそが不可欠だろう。

 いずれの本からも、今、過去にせまる意味や方法、思索の深まりを知ることができる。「記録が見当たらない」として、過去と向き合わない政府との懸隔が歴然とした100年目であった。=朝日新聞2023年11月25日掲載