連れ合いを喪った89歳の女性が、生まれて初めて過ごす、ひとり暮らし。何をするにも億劫になり、いっときは食べることさえ疎かになりながらも、亡き夫の「何でも自分で」という言葉を思い出し、菜園生活を再開するべく、農具を手にして再び庭へ――。キッチンガーデナー・つばた英子さんの秋から夏までの1年間を追った本を、今回ご紹介します。
きょうの料理の番組でご夫妻を知り、僕はすっかり虜になりました。夫・しゅういちさんは、かつて公団住宅を設計する建築家・都市計画家として活動。愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンの計画の際、地形を生かし、人と自然の共生を目指したマスタープランを掲げたそうです。ところが、ときは高度成長期。作業効率や利便性が先に立ち、彼の計画は実現しませんでした。「居場所はなくなった」と嘆いたしゅういちさんは、公団の仕事から距離を置くようになった一方、ニュータウン近くに平屋の一軒家を建て、二人は雑木林を植え、キッチンガーデンと共に生きる暮らしを始めました。
本を読んで痛感すること、それは、「ひとは均質化、効率化を重視すればするほど、無意識のうちに息が詰まっていく」ということです。本の中で紹介している、しゅういちさん最後の設計となった佐賀県伊万里市のメンタルヘルス施設の項を読むと、それを特に強く感じます。彼がかつて体調を崩し入院した時、人工的な病院の建物がほとほと嫌になり、この施設の計画時に当初は2階建てだったのを温もりのある木造平屋建てに変え、明かりや風を自然に取り込めるようにし、4つの建物の間を無味乾燥な直線ではなく、緩いカーブの通路で繋ぐようにしました。これまでの経験を踏まえた上で、歳を重ねて経験した「病」「老い」の要素を加味し創り上げた安らぎの空間。それは、若き日の叶わなかった理想が結実したものでした。
そして、英子さんの人柄がとっても素敵! 畑の野菜と吟味して取り寄せた肉や魚を、土鍋でコトコト、来客の数日前から用意することも。夫を亡くし、喪失感でうまく生活ができない状態から、ゆっくりではあってもリズムを戻し、一つひとつの仕事をしていく「張り合い」を思い出し歩み出す。自分と季節と向き合い、しゅういちさんを思い出しながら、しなやかに。
しゅういちさんは、庭の道具が散らかっていたら自分で気付いて片付けやすいようにと、それらを黄色く塗って目立つようにしてくれていました。優しさ、思いやりと同時に、「何でも自分で」と自立心を促すそんな厳しさにも、心打たれます。
大事なことは、昨日より今日、明日と、一つひとつ、小さくても毎日積み重ねて、できるようにしていくこと。そのペースは本来、皆、異なるはずです。その人その人のペースで、ゆっくり、じっくり。ただ「頑張らなくても、そのままで良いんだよ」とはちょっと違います。3日かかったのなら、今後は2日半でやってみる。そんなふうに、自分なりに少しだけ努力することも大事。ただ……僕は子どもたちに勉強を教えていると厳しく注意してしまう時があります。いけないと思いつつ「またケアレスミス! そこ、この前も注意したよね?」。農具を黄色く染めて英子さんに伝えたしゅういちさんのように「ほらほら、そこ忘れているよ」と自分から気づけるように諭すことが大事なのだろうな。でも、どうすれば、そんなふうに導いていけるのだろう。諭しながら突き放す、見守る。優しさと厳しさの配分。考えさせられます。
「何でも便利にしすぎるとダメなのよ」との英子さんの言葉に、深く頷きます。IT技術が発達した今、却って自らの首を絞めているように感じること、ありませんか。たとえば宅配便。いま、どの辺に荷物があるのか、スマホで分かるようになってからは、指定時間に少しでも遅れればついイライラ。一方で、車を運転中、宅配便のトラックが停まっているだけで、「通行を妨げられた」などと、ついカリカリ。自分もお世話になっているはずなのに「あれは私が頼んだトラックではないから」と苛立ってしまう。そんなふうに自他の境界線ががはっきりするとと却って苛立ちが増幅している例が、巷にやたら増えてしまった気がするんです。本当は緩やかに共有し合って社会が成り立っているのに……自戒を込めつつ。
「やっと靴下を編みたい気持ちになってきたのよ。これまでは時間があっても編みたいと思えなかったから」。冬を迎えようとするある日、英子さんはふかふかと柔らかく、包み込むような靴下を編み始めます。元気を取り戻す英子さんの姿が、温かみのある写真と共に伝わります。僕も冬用の靴下を編んでみようかな。最近、やっと女の人が言う足首が冷える気持ちがわかってきました……。
美味しそうな料理もいっぱい出てきます。ハブ茶、ゆべし、栗タルト、ブリの煮物、治部煮……。爽やかそうなライムティーも美味しそう。我が家の庭にもスダチ、カボス、レモン、柚子、甘夏と柑橘系が豊富。清涼感のあるライムもその仲間に加えてみよう。
季節を経て章立ての進むこの本からは、時のうつろいを大切に過ごす英子さんの思いが伝わってきます。全てではなくて良いので、本のなかから「これなら向いている」「ちょっとやってみようかな」と思うものを無理せず採り入れれば、生活が豊かになるかも知れません。そして、何よりも「愉しく暮らす」。こんな今だからこそ、思い起こしてほしいと思います。
米国の絵本作家ターシャ・テューダーさんの本『ターシャの家』『ターシャの庭づくり』もぜひ。自然と共生した、里山のようなお庭を造られています。自然に寄り添う暮らしに触れ、この閉塞感を束の間でも忘れませんか。(構成・加賀直樹)