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朝日新聞書評委員の「今年の3点」① 石原安野さん、磯野真穂さん、稲泉連さん、小澤英実さん、神林龍さん

石原安野さん(物理学者)

①都会の鳥の生態学(唐沢孝一著、中公新書・1155円)
②冬の植物観察日記(鈴木純著、雷鳥社・2090円)
③カブトムシの謎をとく(小島渉著、ちくまプリマー新書・968円)

 時間ができるとベランダから外を眺める。海のすぐそばというわけでもないのにこの夏、隣のマンションの屋上にカモメが巣をつくった。そうなるとただ眺めてはいられない。観察だ。
 さて、眺めることと観察することとの違いとは何だろう。毎日通るあの道もお気に入りの猫を確認するようになれば観察路となり、空に浮かぶ雲の面白い形に気付けば、それももう観察だ。観察は科学研究の手段だから、とても身近な科学的活動だといえよう。
 それぞれの観察を楽しむ。①身近な鳥が都市で人とどのように共存しているのか。②冬の自然は春の準備をしている。静かな変化を愛(め)でる観察眼。③興味深い観察対象との出会いはこの上ない幸せ。小学生の観察と好奇心から始まる研究に胸高鳴る。

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磯野真穂さん(文化人類学者)

①棕櫚(しゅろ)を燃やす(野々井透著、筑摩書房・1540円)
②ムラブリ 文字も暦も持たない狩猟採集民から言語学者が教わったこと(伊藤雄馬著、集英社インターナショナル・1980円)
③ルポ 無縁遺骨 誰があなたを引き取るか(森下香枝著、朝日新聞出版・1760円)

 数字も医学用語も使わずに、病気と命を語る作品。データや専門用語に頼りすぎると、目前の命はむしろ見えなくなるのでは? そんなことを暗に問う①。タイやラオスの山岳地帯に住むムラブリに専門家はいない。著者の伊藤雄馬はこれを、かれらの知恵ではないかと考察する。専門家が生まれれば、生活の一部をかれらに預けることになり、できないことが増える。暮らしの素人を作らないから、生はムラブリの手元にいつもある②。多死社会の窮状を救うのはテクノロジーなのだろうか? 行き場のない遺骨の物語を読む限り、とてもそうは思えない。疎遠な親戚でなく信頼できる友人が、あなたの死を引き取れる。家族の範囲をそう広げることで死後も縁を繫(つな)げる人々は大勢いるはずだ③。

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稲泉連さん(ノンフィクション作家)

①口訳 古事記(町田康著、講談社・2640円)
②硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ(酒井聡平著、講談社・1650円)
③北海道犬旅サバイバル(服部文祥著、みすず書房・2640円)

 ①日本最古の神話「古事記」を、町田康による規格外の訳で読む。関西弁で話す荒々しい神々の物語には、言葉の力が溢(あふ)れんばかりに宿っていた。夢中になって読みながら、これは一つの強烈な「体験」なのだという思いを抱く。
 ②玉砕の島として知られる硫黄島に、新聞記者の著者は四度の上陸を果たす。遺骨収集団に密着し、風化に抗(あらが)うように描かれる硫黄島の歴史。丹念な取材で「現場」を見つめ、遠い戦争を「いま」と結びつけたノンフィクションの傑作。
 ③燃料や食料を現地調達しながら山に登る「サバイバル登山」を実践する著者。狩猟犬の「ナツ」とともに晩秋の北海道を旅したこの記録は、登山という行為が一つの「表現」であることを確かに教えてくれる。

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小澤英実さん(東京学芸大学准教授)

①エピタフ 幻の島、ユルリの光跡(岡田敦著、インプレス・2970円)
②ベルリン 1928-1933 黄金の20年代からナチス政権の誕生まで(ジェイソン・リューツ著、鵜田良江訳、パンローリング・4950円)
③寝煙草の危険(マリアーナ・エンリケス著、宮﨑真紀訳、国書刊行会・4180円)

 自分にとって大切な本になった3冊。①北海道根室に、上陸が厳しく制限され、50年近く野生の馬だけが暮らす無人島がある。そのユルリの地を10年以上追いつづけた岡田が、島にゆかりのある人々の談話や資料とともにまとめた写真集。消えゆくものたちが放つ静謐(せいひつ)な光に息が止まる。②ナチス政権誕生前夜のベルリンを描くグラフィック・ノベル。40人近い登場人物がドラマを織りなすも、主役はあくまで街。空白が五感に訴える、漫画の表現の神髄を見た。③電子書籍が普及するほどモノとしての本が気になる。川名潤氏による装丁はまさに芸術品。チョコレート色の表紙の艶(つや)やかな手触り、函の窓から覗(のぞ)く銀色の蛾(ガ)。アルゼンチン発ホラー短篇(たんぺん)集のエッジな魅力を形にしている。

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神林龍さん(武蔵大学教授)

①なぜ男女の賃金に格差があるのか(クラウディア・ゴールディン著、鹿田昌美訳、慶応義塾大学出版会・3740円)
②資本とイデオロギー(トマ・ピケティ著、山形浩生・森本正史訳、みすず書房・6930円)
③日本的雇用システムをつくる 1945-1995(梅崎修・南雲智映・島西智輝著、東京大学出版会・1万780円)

 旬の本を取り上げる本紙書評欄だが、数十年読み継がれていって欲しいものが集まったあたり年だ。
 ①は著者がノーベル経済学賞を取らなかったとしても、労働市場の男女格差の経緯と仕組みを総合的にまとめたものとして、すでに古典の風格がある。
 やはりノーベル賞クラスの著者が世界の不平等の歴史を解説したのが②だ。経済による説明で済まされがちな話題だが、この大著は政治文化を総合した壮大さを備えている。
 歴史がつくられる様を臨場体験するには③がよい。日本の雇用慣行をつくった当事者の話が整理され、雇用ルールの意図と仕組みを総合的に理解できる。
 いずれも歴史関連になったのは、日本の出版界が歴史の転換を感じたからかもしれない。

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>朝日新聞書評委員の「今年の3点」②はこちら

>朝日新聞書評委員の「今年の3点」③はこちら

>朝日新聞書評委員の「今年の3点」④はこちら