澤田瞳子さん(小説家)
①現代語訳 小右記 全16巻(倉本一宏編、吉川弘文館・各3080~3520円)
②環(たまき)と周(あまね)(よしながふみ著、マーガレットコミックス・748円)
③ゆめはるか吉屋信子 秋灯(あきともし)机の上の幾山河 上・中・下(田辺聖子著、中公文庫・各1430円)
①平安中期に生き、「賢人右府(うふ)」と讃(たた)えられた貴族・藤原実資(さねすけ)の日記のうち、現存する61巻の現代語訳が8年の歳月を経て遂(つい)に完結。平安社会の構造はもちろん、藤原道長や紫式部などの実像を今日に伝える史料を読みやすい形で刊行した画期的な労作。②異性、同性、年上年下……様々な時代を生きる多様な人々の愛情を、性別も年齢も変わり続ける2人・環と周を通じて描くオムニバス。愛情は時に哀(かな)しい別れをもたらすが、その向こうには確実に小さな希望が在ると信じることが出来る。③近代日本において一世を風靡(ふうび)した作家・吉屋信子。作家が女性というだけで色眼鏡で見られた時代、それでも自らの道を歩み続けた吉屋を、彼女を深く敬愛する田辺聖子が描いた評伝。復刊に心からの敬意を表する。
椹木野衣さん(美術評論家)
①街とその不確かな壁(村上春樹著、新潮社・2970円)
②数学者たちの黒板(ジェシカ・ワイン著、徳田功訳、草思社・3850円)
③地衣類、ミニマルな抵抗(ヴァンサン・ゾンカ著、宮林寛訳、みすず書房・4950円)
本はデザインも込みで読む。村上の過去作では装画で洋画家・北脇昇の知る人ぞ知る怪作が使われたこともある。①も目立たないがタダジュンの銅版画(版=反転画)が読書の方向を左右しているように思う。②は数学者たちの思考の軌跡をそのまま残す板書を写真で記録した一冊。すべて優れたドローイング絵画として鑑賞することが可能だ。「板書」は美術の一ジャンルかもしれない。③は地味な主題で見逃しそうだったが、裏庭で偶然出会ったような発見があった。カバーを外すと苔(こけ)色?の表紙に大きく「地衣類」と印刷されているのに密(ひそ)かな主張(抵抗?)を感じた。②もカバーを外すと緑色の黒板?色。本は隠れたところに大事な発見がある。では①は? ぜひ手持ちの本で確かめてみてください。
福嶋亮大さん(批評家)
①資本主義の次に来る世界(ジェイソン・ヒッケル著、野中香方子訳、東洋経済新報社・2640円)
②マルクス解体 プロメテウスの夢とその先(斎藤幸平著・訳、講談社・2970円)
③クロード・シモン 書くことに捧げた人生(ミレイユ・カル=グリュベール著、関未玲・上田章子訳、水声社・7700円)
①は脱成長論の旗手が「成長主義」の神話を解体し、GDP(国内総生産)で経済の質を考えるのをやめ、コモンズを再建せよと説く。新時代の社会思想を魅力的に描き出す手腕はすばらしい。今年一番面白く読んだ。
②は脱成長論を基礎づけようとする野心的なマルクス論。未完に終わった『資本論』のノートや草稿に環境思想の萌芽(ほうが)を見る。マルクス研究の進化を感じさせる一冊。
③をはじめ、今年は評伝に力作が多かった。今は、生者よりも死者のほうが濃密に感じられる時代ということだろうか。
この1年間、いかに人文書の現場が疲弊しているかを改めて痛感した。本は、我先にあわてて出し続けるような商品ではないと思う。
藤田香織さん(書評家)
①地雷グリコ(青崎有吾著、KADOKAWA・1925円)
②未明の砦(とりで)(太田愛著、KADOKAWA・2860円)
③墨のゆらめき(三浦しをん著、新潮社・1760円)
常々、読書の楽しみは、いつでもどこでもひとりでも、新しい世界へ飛び込めることだと思っている。
①は各誌の年間ベスト本アンケートに回答した後で読み、面白すぎる!と悶絶(もんぜつ)した連作ミステリー。独自のルールを設定した「グリコ」や「だるまさんがころんだ」など誰もが知っているゲームに高校生の主人公が挑む。スリルと緊迫感、意外性と衝撃、それでいてあぁ青春のストライク!です。②は「どうせ」「しょうがない」と、この国のあれこれに諦めかけている自分の目を覚ましてくれた長編作。見て、考えて、動く。今年いちばん胸が熱くなった物語でした。③は、ストーリーの軸になる「書道」について何度もため息を吐(つ)きながら読了。安心安定巧(うま)さ際立つ登場人物の関係性も◎。
藤田結子さん(東京大学准教授)
①アメリカの人種主義 カテゴリー/アイデンティティの形成と転換(竹沢泰子著、名古屋大学出版会、4950円)
②離れていても家族(品田知美・水無田気流・野田潤・高橋幸著、亜紀書房、2200円)
③就活の社会学 大学生と「やりたいこと」(妹尾麻美著、晃洋書房・4620円)
文化人類学・社会学分野から3点。①は日系・アジア系を中心に人種に関する研究を第一線で行ってきた著者の集大成。あとがきで著者は、子育てや介護で苦しい時期を乗り越え研究に専心できたと振り返る。
②は4人の女性社会学者が、日英比較から家族のあり方を論じる好著。筆頭著者は自分にとって「最後のまとまった研究」とし、研究を続けるための時間やお金を得るのに苦労した経験を述懐する。
翻って、③は著者の初単著。今年、博士論文を基にした本の中でも優れた一冊。私立中堅大の聞き取り調査が興味深い。著者は就活をうまくできず、院進し就活研究に取り組み成果となったという。本文からあとがきまで、様々な人生と社会の歪(ゆが)みを巧みに描き出す3冊だ。
藤野裕子さん(早稲田大学教授)
①デミーンの自殺者たち 独ソ戦末期にドイツ北部の町で起きた悲劇(エマニュエル・ドロア著、剣持久木・藤森晶子訳、人文書院・3080円)
②ポスト島ぐるみの沖縄戦後史(古波藏契著、有志舎・3080円)
③神奈川県 関東大震災 朝鮮人虐殺関係資料(姜徳相・山本すみ子共編、三一書房・3300円)
いずれも、過去と向き合う上で励みになった書。
①は、独ソ戦末期に、ソ連軍の侵攻にともない、ドイツの町で起きた民間人の集団自殺を扱う。ソ連兵が暴力行使にいたる過程を克明に解きほぐす。こうした叙述が、現代社会に対して力をもつことを実感した。
②は、1950年代に沖縄で展開した島ぐるみ闘争がなぜ収束し、住民の一体感が失われたのかを問う。学術研究を社会に届ける決意が本書を貫き、大いに刺激を受けた。
③は、関東大震災時に神奈川県で起きた朝鮮人虐殺に関する資料集。当時の県知事が内務省に提出した報告書とみられる新史料や証言が収録されている。100年という月日を超えて、新たな過去の痕跡を共有する貴重な試みである。