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先の見えない時代に 「絶対的信条」は絶対にあらず 三浦俊章

パレスチナ自治区ガザ地区で、イスラエルの攻撃があった現場に集まる人たち=1月、ロイター

 「今はまだ平和なのでしょうか。それとも戦争の時代が始まっているのでしょうか」

 東京都内の大学で長年現代史を教えているが、今年度の学生からこう聞かれた。

 ロシアのウクライナ侵攻から2年が経つ。昨年秋からパレスチナで大規模な戦闘が始まった。激化する米中対立は「新冷戦」と呼ばれる。地球上至る所がきな臭い。

 「平和と戦争の境界があいまいになった。こういう紛争や緊張関係が続くことが『ニュー・ノーマル(新しい常態)』かもしれない」

 とっさにそう答えたが、十分な回答にはなっていない。問題は、平和かどうかさえ判然としない、先の見えない時代にどう生きるかということである。

 戦争とは何か、を知ることから始めよう。

 マイケル・ハワード『改訂版 ヨーロッパ史における戦争』は単なる軍事史とは違う。戦争が社会を変え、社会が戦争を変えていく相互作用に注目する。中世の「封建騎士の戦争」から近代の「民族の戦争」、そして現代の「技術者の戦争」まで、社会や経済との相関関係で戦争の歴史が描かれる。

 そこから浮かび上がる戦争とは、無知や野蛮への退行ではない。文明の進歩、科学技術の発達、場合によっては民主主義の発展が、国民同士の壮絶な殺し合いを可能にしてきた。平和がいかに得がたく、脆弱(ぜいじゃく)なものかが見えてくる。

万歳は二唱まで

 国家が戦争か平和かの岐路に立つとき、もっとも恐れるべきは為政者の判断ミスだ。

 『マクナマラ回顧録 ベトナムの悲劇と教訓』は、米国史上最大の失態と言われるベトナム戦争を指導した元国防長官の悔恨の書である。

 米国は、ベトナムの脱植民地化の動きを、国際共産主義の膨張戦略ととらえ、冷戦の一環として軍事介入し、失敗した。

 著者は、相手の意図を読み誤ったこと、米国の価値観で相手を見ていたこと、軍事力を過信してしまったことなどを教訓に挙げる。

 だが、間違いから学ぶことは難しい。同じ過ちが、のちのイラク戦争でも繰り返された。

 また、為政者だけの問題ではない。自国を善、相手を悪と決めつける好戦的世論が国家を戦争へと駆り立ててきた。

 『フォースター評論集』(小野寺健編訳、岩波文庫・858円)は、危機の時代でも冷静さを失わなかった人間の記録である。

 20世紀英国を代表する作家フォースターは「絶対的信条」というものを信じなかった。ナチス・ドイツが台頭した時代に、自らが擁護する民主主義について、万歳三唱ではなく万歳は「二度で充分(じゅうぶん)」と、絶対視はしなかった。寛容、善意、同情といったものこそ、人類が滅亡を免れるためには必要だと説いた。

敵は偏見や独善

 人間の本性を鋭く観察するフォースターの思想は、欧州近世が生んだ優れた古典であるモンテーニュ『エセー』にさかのぼることができるだろう。

 16世紀の宗教戦争の時代を生き抜いたモンテーニュは、宗教の名において人間が残酷に殺し合う現実を目の当たりにし、偏見や独善こそが戦争の悲惨の原因であると考えた。

 モンテーニュは、古代ギリシャの裁判において、判断に困り果てて、関係者に100年後に改めて出頭するよう命じた例を紹介している。

 世の中にどうしても解決できない対立や問題があることを認めない限り、戦争の無限ループに陥ってしまう。一方の「正義」で他方の「正義」を押しつぶすことはできない。

 こうした古典は、いつの世でも人間が犯しやすい過ちを教えてくれる。=朝日新聞2024年2月24日掲載