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「ブラックボックス」など「時間」を軸にした3作 藤井光が薦める新刊文庫

  1. 『ブラックボックス』 砂川文次著 講談社文庫 682円
  2. 『優しい暴力の時代』 チョン・イヒョン著 斎藤真理子訳 河出文庫 1210円
  3. 『百年と一日』 柴崎友香著 ちくま文庫 792円

 小説にとって永遠の主題ともいえる「時間」を軸とした充実の三冊。都内で業務委託の自転車メッセンジャーとして働くサクマを描く(1)は、瞬間的な身体感覚にこだわる作者の力量を存分に味わえる。自転車に乗って外界にむき出しになる主人公の身体は、社会的な立場の脆(もろ)さの象徴でもあり、その脆さがやがて人生を暗転させる。将来の見通しという長い時間と、今という一瞬とのすれ違いが切なく刻まれる。

 複数の時間軸が交錯するという点では、(2)に収められた短編の数々も忘れがたい。寿命の長い亀を突然知人から譲り受けた男性、高校生の娘の妊娠を知った母親、賃貸物件を転々とした末にマンションを購入しようと思い立った夫婦。それぞれが、自分の日常に突然入り込んできた別の時の流れと対峙(たいじ)する。特に「三豊(サムプン)百貨店」の、ある決定的な一瞬から過去を振り返ったとき、それまでの歩みがかけがえのないものに変わる読後感は絶品である。

 何げなく流れていく時間の不思議さが詰まった(3)では、時代も場所も特定されない舞台で、人と人がつかの間をともに過ごしては別々の人生を進んでいく様子が語られる。劇的な瞬間に人生の意味を凝縮するのではなく、それぞれの人が生きる日常がたまに触れ合っては離れていく、ときには百年ほどの時間が、わずか数頁(ページ)の物語に閉じ込められている。時のなかに存在することの不思議を、ユーモアと無常感とともに描き出す手腕は、唯一無二だといっていい。=朝日新聞2024年3月30日掲載