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梅雨どきに癒やされる本 心にとどまり支えてくれる存在 斎藤環

遊歩道に設けられたアンブレラスカイ。新緑の森に光が降りそそいでいた=2023年5月、群馬県甘楽町

 本州の梅雨入りは、今年はかなり遅れるらしい。昨年の猛暑に苦しんだ立場からすると、盛夏の到来が少しでも遅れることを歓迎したい気もするが、連日雨が続けば湿気と低気圧で憂鬱(ゆううつ)や倦怠(けんたい)感に拍車がかかる向きもあるだろう。最近では「梅雨だる」や「六月病」なる言葉もあると聞く。

じんわり養生に

 そんな憂鬱を癒やしてくれるのは、どんな本だろう。精神科医という職業柄、むりやり元気を搾り出すような本は避けたい。心をいっときくつろがせ、じんわりと養生につながりそうな本。読んだ記憶が、ずっと心にとどまって自分を支えてくれる本。そんな本をいくつか選んでみた。

 まずは神田橋條治『心身養生のコツ』(岩崎学術出版社・2750円)。傘寿を過ぎたカリスマ精神科医による、まさに心身の「養生」のための本だ。巷(ちまた)は「セルフケア」ばやりだが、私はちょっと怪しい「養生」のほうが気になる。なにしろ著者はかねてから、病気はプラシーボ(偽薬)効果で治るのが一番、と主張している。万人に効くとはかぎらないけれど、本書に記されたたくさんのアイデアから、良さそうなものをつまみ食いして試せばよい。

 とはいえ「Oリング・テスト」とかホメオパシー推奨とか、あまりに怪しすぎるのではないか。しかしこの著者は、発達障害かいわいでは定評のある「神田橋処方」の発案者でもあるのだ。養生のポイントは、心身の「気持ちの良さ」のセンサーを活用して、自然治癒力を賦活することなのだという。著者自身の臨床経験から生み出された、さまざまな養生のヒントは、いかなる体系にもよらない自在の境地を感じさせ、こちらの脳も揺さぶられる。個人的には「雑念散歩」「週末蒸発」「幽霊になってみる」などに心引かれる思いがした。

 2冊目も同じく精神科医だが、こちらはぐっと若手の俊英・森川すいめいの『感じるオープンダイアローグ』(講談社現代新書・990円)を取り上げたい。フィンランド発、精神病に対する統合的アプローチであるオープンダイアローグは、対話実践の新しい考え方としても、近年大いに注目されている。森川はヘルシンキでトレーナーとしての研修を受け、その経験を本書につづっている。

 キーワードは「プロセス」だ。読者は、森川とともに短い旅をすることになる。驚くほど率直な自己開示を交えながら、フィンランドで、日本で、森川は対話を重ねる。彼がついに「自分を許す」という言葉にたどりつく過程は感動的だが、それがゴールというわけではない。“関係の中にある自分”という視点は、人生で大切なのはゴールよりもプロセスであると教えてくれる。未来へのプロセスを進めてくれる、より良い対話の可能性は、誰の前にもひとしく開かれているのだ。

科学より文学で

 ここまで読めばおわかりの通り、私は、治療はともかくケアと癒やしは、科学よりも文学であってほしいとひそかに考えている。だから3冊目は川上未映子の小説『すべて真夜中の恋人たち』(講談社文庫・748円)にした。

 主人公の入江冬子は、ひょっとしたら恋愛小説史上、もっとも影の薄いヒロインかもしれない。くわえて彼女が好意を寄せるのは、こちらもさえない初老の男性・三束である。にもかかわらず、利発な美人でキャラも立った冬子の友人・石川聖よりも、冬子の寂しげなたたずまいがいつまでも心に残るのだ。それはこの著者がどこかで述べていた、語られることもなく声も上げられなかった女性の存在を描くことが、語られなかった女性以外の存在をも照らすということの実践なのだろう。このタイトルの必然性に、あの意表をつくラストで気付く時、きっと誰の胸にも「真夜中の光」がきざしているはずだ。=朝日新聞2024年6月15日掲載