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ガムの思い出 津村記久子

 最近、諸事情あって仕事をしながらガムを嚙(か)むことにした日があった。ガムを買ったのは数年ぶりか、下手したら十数年ぶりだったかもしれない。そのぐらい食べない。飲み込んではいけないのがストレスなのだと思う。

 あまり食べないからこそ、ガムを購入することにしたシチュエーションは妙に頭に残っている。二十年前だ。朝、コンビニで、いつも「きれいだな」と眺めていたけれども、割に合わない感じがするのでずっと買っていなかったガムを買った。味が四つか五つあって、それが色分けされてボトルに入っている。それを買った。明確な理由があった。前の日に、投稿した文芸誌で三次選考まで残っていたことがわかったからだ。そりゃ最終選考まで残りたかったけど、残れなかった。でも三次選考はよくやったと思う。何か自分にしてやりたかったけれども、お金もないし周囲に誇るような結果でもなかったから、ちょっと高いなと思うガムぐらいでちょうどよかった。ガムの味は凝っていて、シナモン味とかミルクティー味だとかがあった。

 ガムは職場に置いて少しずつ食べた。すごくおいしかったということはないけれども、買って良かったと思っていた。しかしその商品を買ったのは一度きりで、すぐに売り場から姿を消した。商品名も忘れたので検索しても捜し当てられなかった。

 しょっちゅう同僚さんがガムをくれたことも覚えている。キシリトールガムの包みを見る度に、その人のことがなんとなく頭に浮かぶぐらいには、Mさんはガムをくれた。自分には、その人がくれるガムで充分だったのだと思う。

 本当に久し振りに、コンビニへとガムを買いに行くと、売り場が小さくなっていて、種類もずいぶん減った。ミントなど実用的な味は健在だが、ミルクティー味なんていう悠長なものはない。グミのほうが人気らしい。久しぶりに食べたガムは嚙まされてる感が強くて続かなかった。あれからもう二十年が過ぎたのだ。=朝日新聞2024年7月10日掲載