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血眼の帳尻 津村記久子

 たまに、すごい勢いで何かを買いに行くことがある。最近だと、ピンクの0・7ミリのシャープペンシルの芯で、平日の仕事の後に一時間半歩き回って文具店を三軒はしごした。0・7ミリの青芯は校正の時などに便利なのでずっと愛用していてたくさん在庫を持っているのだが、ある日ピンクを所望するようになった。赤と紫と緑の0・7も持っていたが、その日どうしても必要だと思ったのはピンクだった。

 結局、0・7ミリでピンクのシャー芯という妙に角度の狭い商品は、一時間半探索しても見つけられなかったのだが、代わりにピンク色の0・5ミリの芯を買ってきて、勇んで使ってみた。「なるほど」と思った。落ち着いたわたしは、また青のカラー芯を使う生活に戻った。

 自分はこういう話が多い。「人生が変わる!」という勢いで何かを買い求め、その後あまり使わない。二十五歳の時に、足つぼマットを買って「これで人生が変わる!」と興奮しているのを、友人に「そこまでじゃないから」と諫(いさ)められた時から変わっていない。価格の上限は四千円ぐらいだ。数百円のものに血眼(ちまなこ)になることもよくある。いや、むしろ数百円のもののほうが必死になる。

 大騒ぎして結局なんだったのだ、と思いながら、0・5ミリのピンク色の芯で妥協した帰り道につらつら考えていたのだが、スケールが小さくて良かったとも安堵(あんど)した。わたしの勢いで車や宝石や最新型のスマホを欲しがったりしていたら、いくらお金があっても足りないだろう。わたしの血眼は、いちおう帳尻が合っているのだろう。

 血眼→入手という流れで今も重宝している物は、百均のカーテンクリップとメニュースタンドだ。わたしの一日はカーテンクリップでカーテンをまとめることから始まり、本から引用部を書き写す作業はそのメニュースタンドがないともはやできない。使っているメニュースタンドは、今やどの店に行っても見つからない。怖い。=朝日新聞2025年12月10日掲載