セーラームーンを、当時小学生だった私がどんなふうに読んでいたのか、今はほんのりとしか思い出せない。でもこうして、当時のイラストを画集で見ていると、「なかよし」で連載していた頃のセーラームーンの息吹を思い出す。その中で深呼吸していた私のことを思い出す。
私は、セーラー戦士たちをすごく身近に思っていた気がする。憧れもしていたけど、彼女たちは設定としては当時は私よりずっと年上だったはず。でもどこかで、「私と同じ」と私は思っていた。それは、そこに描かれる正義や愛は、とてつもなく素朴で、まっすぐで、それなのに雄大だったから。特に主人公の月野うさぎが貫こうとするものは純粋であどけないもので、でもそれが心の強さによって、慈愛のように感じられるのが好きだった。
教室や塾でいろんな人間関係が難しく、「うまくやる」ことをどんどん考えなければならなかった小学生の私は、「幼さ」と切って捨てられそうな感性が、この作品の中では優しさになるのを感じられ、そのことがとてつもなく嬉(うれ)しかったのだろう。
どんな戦闘能力より、どんなヒロイン力より、当たり前にずっと携えてきた幼すぎるほどの純真さが、まっすぐに誰かを救う「優しさ」や「正義」になることに当時の私はかっこよさを感じていた。そこにある正義の素朴さが、私にとってのセーラームーンのかっこよさだった。
この画集には、そんな当時の私が見つめていた「かっこよさ」を思い出す絵がたくさんある。見るたびに思う。何かを諦めてではなく、何も諦めずに、私は強い大人になりたかった。=朝日新聞2024年8月3日掲載