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文筆家・内田也哉子さん 「谷川さんに接すると自分の揺らぎが鮮明に見える。灯台みたいに」

内田也哉子さん ©文藝春秋

 《25年ほど前に谷川俊太郎さんと対談をして以来、イベントや雑誌の企画でたびたび言葉を交わしてきた》

 谷川さんは、樹齢何百年という大木のようであり、ケープコッド(米・マサチューセッツ)の岬に立つ灯台のようでもある。25年ほど前からいままで、ものすごい荒波のなかにあっても一定のリズムで明かりをともしています。

 でも灯台のように動かないようでいて、内側はものすごいスピードで進化している。毎回新しいことに挑戦していて、漫然と出している作品がありません。

 谷川さんの詩は、何かを主張するのではなく、読む人の心の状況を反映させてしまう。心の深い場所で読者と通じ合ってしまっていると感じます。

 《出会いは、子供の頃に読んだ絵本を通してだった》

 谷川さんが訳した絵本「ジョゼットかべをあけてみみであるく」(ウージェーヌ・イヨネスコ作、エチエンヌ・ドゥレセール絵)を、子供の頃繰り返し読んでいました。1歳半から、英語を使う幼稚園に通っていた私が、初めて日本語の響きに親しんだ作品です。実家には、子供向けのおもちゃがほとんどなかった。ほんの数冊あった絵本のうちの一つでした。

 いま目に見えているものはあってないようなものだ、というメッセージを内包した絵本だととらえています。目を、心を、一度解き放ってみることの大切さを詩的に伝えている。大人になってもずっと私の原点にあり、何度も読み返しています。

 成長するなかで、この絵本の訳者が詩も絵本も書いていることを知り、宝探しのように谷川さんの名前を探しては読んできました。

 《内田さん自身も絵本の翻訳を手がけてきた》

 自分でも翻訳をしてみて、谷川さんの言葉の偉大さを痛感しました。

 表現は、難しくしていくほうが楽なんですよね。だけど谷川さんは、子供からお年寄りまで伝わりやすいシンプルな言葉を使って、人から人へ何かが伝わっていく原点をめざしている。

 どんどんそぎ落として表現するからこそ、読み手を選ばない。読者のためにそうしているというより、元々過剰にまぶすことを美しいと思わない感性を持っているのだと思います。

 《谷川さんが人やものに対して持つ距離感に、興味を持ってきた》

 谷川さんは、アタッチメント(愛着)ではなくデタッチメント(距離を置くこと)の人だと自分で話していました。生きる上で大切な感覚です。

 冷たいという意味ではありません。人はいろんなペルソナ(人格)を持っていて、立場、状況によって揺らぎます。でも谷川さんは、誰に対しても人格が変わらないように見えます。偉大な先輩に対しても、自分の子供に対しても、同じ敬意をもって対する。だから、谷川さんに接すると自分の揺らぎが鮮明に見える。灯台みたいに、こちらのことを照らし、浮かび上がらせてしまう。谷川さんのことを知りたいと思って近づくのに、むしろ自分の心の状態が透けて見えます。

 谷川さんに会った人は、みんな素になって帰っていくんじゃないかな。気負いがない、作為のない方です。

 詩もそうですよね。人に対するのと同じように、あらゆる事象に対して一歩距離を取っている。現実を捉える目がすごく公平で、それゆえ読み手の現状が浮き彫りになるつらさもあります。でもそのあとに絶対的なぬくもりが感じられるんですよね。広くて深くて、決して決めつけない。うそもついていない。だからこそ感じるあたたかさがある。きれいに見せようとして、ちょっとしたうそで固めようとするときには見えてこないあたたかさが。

 《2018年に母で俳優の樹木希林さんを、19年に父でロックミュージシャンの内田裕也さんを亡くした。近著「BLANK PAGE 空っぽを満たす旅」では、両親の死後、谷川さんと対話した内容も収録されている》

 「死というものがないと、生きることは完結しないんです。僕は死んだあとが楽しみ」と谷川さんは話していました。誰にも必ず訪れる死を忌み嫌わずに受け入れている。

 作品のなかでも、会話のなかでも、「お菓子食べる?」くらいの軽やかさで大事なことをポロッと言うんですよね。ほんの数言で、本質をつかんでしまう。

 谷川さんの根底には常に慈しみの念がある。生きていることのすべてに疑問も含めて心躍らせている。生きることを謳歌(おうか)していないと、好奇心は生まれないと思うんです。

 よく「依頼があったから書いた」とおっしゃるけど、表情を変えながらこれだけ多くの作品を生み出すことができる原動力は、好奇心にあると感じます。

 生死の問題も、好きなものを見つけた喜びも、今日自分がどんな風に吹かれたかということも、谷川さんのなかではきっと優劣がない。フラットに、そのすべてを興味深く見つめているのでしょうね。(聞き手・田中瞳子)=朝日新聞2024年7月31日掲載

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 うちだ・ややこ 1976年、東京都生まれ。エッセー、作詞、絵本翻訳、ナレーションと幅広く活動する。著書に「新装版 ペーパームービー」、「9月1日 母からのバトン」(樹木希林さんとの共著)、「BLANK PAGE 空っぽを満たす旅」など。今年6月、長野県上田市の戦没画学生慰霊美術館「無言館」の共同館主に就任した。