《谷川俊太郎さんの詩を中国語に翻訳し、紹介してきた。アンソロジーの編者も務めている》
30年前、留学先の天理大学で学んでいたときに授業で谷川さんの詩に出会いました。「二十億光年の孤独」をはじめとした数編の詩をプリントしたものが配られたんです。私は来日して4年目で、日本語を勉強中でした。辞書を引きながら、詩を中国語に訳しつつ読んでみると、いままでに出会ったことのない斬新さを感じました。
「なかなかいい詩ですね」と興奮して先生に言ったら「日本一の詩人ですよ」と。以来、作品を追いかけてきました。
《1999年、谷川さんは初めて中国を訪問した》
一緒に中国各地を巡りました。どこへ行っても熱烈な歓迎を受けていました。
谷川さんは、作品の力だけで、中国の読者を征服した。谷川さんの詩は、思想性を表に出さない。言葉はやさしくて、一見すると単純。けれど深みがある。
センチメンタルではない。けれど、人間の魂の奥底に存在している普遍的な悲しみ、喜び、心配を描きだしている。だからこそ外国語に翻訳され、受け入れられている。言語を使いながら、言語を超えているんですね。時間も国境も超えています。
《「ことばあそびうた」(73年)は、ひらがなだけで書いた詩集だ》
韻律を重視したナンセンスな詩なので、中国語に訳すのに非常に苦労しましたね。
かっぱかっぱらった
かっぱらっぱかっぱらった
とってちってた
かっぱなっぱかった
かっぱなっぱいっぱかった
かってきってくった
(「かっぱ」)
この6行を訳すのに、2年近くかかりました。完成した中国語訳を谷川さんに見せたら、「やっと漢字から脱出できたのに、どうして中国語にしたの?」と冗談で言われましたね。
谷川さんは常に新しさを求める詩人です。自分でも、「すぐひとつの書き方に飽きちゃう」と言っています。常に新鮮な発想がないと、あれだけたくさんの、表情の違う詩は書けない。100歳になっても、感性においては少年でしょう。
《詩が大衆に受け入れられるのは、「天才だから」ではない》
あんなに勤勉な人はいないです。一緒に中国へ行ったときも、常に本を読んでいた。離婚をして、精神的にどん底だったであろうときも詩を書いていた。90歳を超えてインスピレーションが枯れないのは、常に新しいものを蓄積しているから。新しいものを吸収しているから。
才能より、勤勉ですよ。(聞き手・田中瞳子)=朝日新聞2024年8月21日掲載
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ティエン・ユアン 1965年、中国河南省生まれ。91年に来日。2010年に詩集「石の記憶」でH氏賞。翻訳作品に「谷川俊太郎詩選」など。