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柳田邦男さん翻訳の絵本「ヤクーバとライオン」 真の勇気とは? 困難な問題でも自分で考え抜くことが大事

絵本らしからぬ絵本との出会い

――アフリカのとある村。成人した少年たちが戦士となる特別な日だ。少年ヤクーバは勇気を示すため、ライオンと戦って倒さなければならない。砂漠でついにライオンに出会ったのだが……。柳田邦男さんが翻訳をしたフランスの絵本『ヤクーバとライオン』(講談社)は、「命を守る」「殺さない」をテーマにした、力強い作品だ。モノクロで表現された世界からは、ただならぬ雰囲気が漂う。

 原作の1巻に出会ったのは、今から20年くらい前です。パリの出版社サイユ・ジュネス社を訪れたとき、編集長のマトーさんに見せていただきました。フランス語版のほかに、英語版も出ていて、その場ですぐに読みました。絵本らしからぬ絵本というのかな。哲学的な視点も入っていて、すごいなと思いました。ぜひ翻訳したいと申し入れたら、喜んでくれて。南フランスの田舎に住んでいる作者のデデューさんの自宅まで案内してくださいました。デデューさんはその場で、快く翻訳を許諾してくださいました。

 東京に帰って、講談社の編集者Sさんに相談したのですが、最初は日本で売れるかどうか難しいかもしれないと言われました。モノクロで描かれている上に、余白も多く、文字だけのページもあるし、日本の絵本のマーケットにはなじまないと。それでもSさんの努力でなんとか、出版計画に入れてもらえて、翻訳に取り組んだのです。

――戦士として立ち向かうヤクーバの前に現れたのは、傷ついたライオンだ。立ちすくむヤクーバに、ライオンは語りかける。「わしを殺して立派な男になったと言われるのか。それとも、殺さずに、気高い心をもった人間になるのか」。人として、どちらを選択するのかを問われたのだ。

 本作の原点は、湾岸戦争です。戦うことの意味に疑問を感じたことが、書くきっかけになったそうです。僕が作品に出会ったときは、1巻しか出版されていませんでしたが、日本での1巻の出版が決まったころ、2巻が出たんです。それじゃあということで、2巻セットで出すことにしました。原作のタイトルには副題はついていないのですが、僕は日本の読者に親しみを持たせるために1巻は「勇気」、2巻に「信頼」と副題をつけました。子どもには少し難しい言葉だし、絵本のタイトルとしては硬いかもしれないけれど、チャレンジしたいと思って。マトーさんに相談したら、「いい副題です。フランス語版でも最初からつけたかった」と言ってくれました。そのくらいよく内容をつかんでくれたって。デデューさんも喜んでくれました。

――当初、原作者に続編の発想はなかったというが、2巻通して読むことで、より話の深まりを感じられる。

 2巻は、1巻の日本語訳が決まってからすぐにできたのです。最後の場面は、崇高な精神性というのかな、そういうものを感じますね。うまい展開にもっていったなと思います。「殺さない」というのが、この作品のテーマ。ヤクーバは、ライオンを殺さなければ、意気地なし扱いをされることをわかっていたけれど、殺さなかった。周囲から冷たくされ、追いやられるように牛の世話係にさせられる。つまり、命ある者の“いのち”を守る勇気の代償として、自分は社会的地位や名誉、尊敬などを全て失ってしまう。それでも命を守る。デデューさんは、哲学的なことを作品に忍ばせる人です。愚直な説話にしたら、子どもにお説教みたいに受け止められてしまうけど、そうしないで、戦争と平和、暴力、命、いろんなことを考えさせる。フィクションだからこそ、この物語が語れるのだと思います。

『ヤクーバとライオン(1)勇気』(講談社)より

あえて言葉だけで見せるページも

――翻訳で苦労したのは、2巻の最後の一言だ。

 僕は、翻訳するときの大事なポイントとして、原作の文脈をより活かすため、意訳することがあります。日本語で伝えるならどんな言葉にしたら文脈と言葉づかいのニュアンスがふくらむかを考えて訳しています。2巻の最後、「そのときが来たのだ」は、原作で「Time is come」と書かれているわけではありません。1カ月ぐらい考えて、ようやくできた一文です。絵本の翻訳は面白いですね。長編小説やノンフィクションのドキュメントを訳すのとは違います。絵本は文章がたいてい数行しかない。その数行をどう訳すか。絵本でも使える言葉で、深い意味のある言葉を探します。

 「ヤクーバ」の1巻には、文章だけのページがあります。絵本としては異色だけれど、ここがとても大事なページになるなと思いました。格調高く、哲学的な問題提起をする場面です。このページを表現するには、どんな文体がいいか。幼い子どもでもわかるようにくだきすぎてもよくない、むしろこれは小学校高学年から中学生を対象にした方がいいかなと考えました。僕自身の経験からいうと、小学校4年生くらいから長編小説を読んでいたので、そのくらいの年齢の子どもでも読める、むしろ、こっちの世界に入っておいで、という気持ちで書きました。レベルを下げるのではなく、上の世界に引き込む感じですね。

自分で考え、話し合いで理解を深めて

――作品を通してもうひとつ伝えたいのは、なにかで迷ったときに自分で考えて自分で結論を出すことの大切さだ。

『ヤクーバとライオン(1)勇気』(講談社)より

 ヤクーバは、戦う力を失ったライオンを目の前にして、自分が担った任務を思えば、戦って殺したと報告することもできるわけですよね。でも、考えた末に、殺さずに帰る。村で名誉を失い、仲間から疎外される。それがわかっていても、命を守り殺さない、命を大切にする、そういう思いに自分自身でたどり着く。そこが一番大事なところだと思います。子どもによっては、「なんで殺しちゃダメなの? ライオンはどうせ死んじゃうのに」と考える子もいるかもしれない。それはそれで、その子が考えたなら「そういう考えもあるね。でも、1年後にもう一度読んで考えてみて」と、言い添えてほしいです。自分が直面した難しい問題、それを自分の心の中に落とし込んで、自分で考えて結論を出すことが大事なんです。それは、すべての本を読むことに共通することだと思います。本の中で提起された問題をどう受け止め、どう考えるか。そういう意味では、この作品はいい教科書だと思いますね。

 僕は10数年、福島県南部の矢祭町とお付き合いがあり、この作品を矢祭町の小学校にプレゼントしました。そうしたら、5、6生のそれぞれの授業で、グループごとに子ども同士で読み聞かせをさせた後に、ディスカッションをさせたんです。ディスカッションをした生徒の感想文の中には、「ヤクーバの気高い心に感動しました。僕は、いじめられるのが怖いから、いじめグループに加わっていました。でも、本を読んで、自分はなんて勇気がないんだと気づいて、グループから抜けることにしました」というのもありました。子どもたちにディスカッションをさせると、核心に触れるところにちゃんと気づいてくれるんですよね。語り合うことで、お互いに深みに入っていけます。自分だけだと、「すごいね」とか「感動した」とか、それで終わって、過去のものになってしまいます。でも、語り合うことで、「あいつはこんなふうに考えているんだ」と刺激を受けて、生きた形で頭の中でずっと持続されていく。本を読んだときに誰かと語り合うとか、この本良かったから読んでみてよと話して、相手から反応を聞いてみる。それはとても大事なことだと思います。特に小中学生時代にはね。