小説は「お勉強」だと思ってた
市街地ギャオさんは関西在住のため、今回はオンライン取材となった。主人公の趣味が「ノンケ喰い」という刺激的な受賞作に金髪のプロフィール写真、個性的なペンネーム。どんな人かと思ったら、画面に映し出されたその人は慎ましく微笑んでいた。
「高校の図書室で金原ひとみさんの小説に出会うまで、小説は数学と同じようなお勉強のひとつだと思っていました。でも、金原さんの『星へ落ちる』を読んだとき、『これ、自分の気持ちやん』と思って。小説って自分が生きてるこの世界の輪郭を言葉で捉えたものなんだ、とその魅力に取り込まれました」
初めて小説を書いたのは25歳のとき。Twitterのタイムラインに流れて来た小さな文学賞の広告がきっかけだった。
「その頃、すごく仲のよかった友達と喧嘩別れしたり、パートナーとお別れしたり、その原因は自分にもあって、人間関係って当たり前に双方がサステナブルを意識していないと続かないんだなと沈んでいたんです。そのときは新しく人間関係を構築する気になれなくて、じゃあ一人でできることってなんだろうと思ったときに、ちょうどその広告を見たんです」
文学学校で知った自身の不純
応募に際してきちんと小説を学ぼうと「大阪文学学校」という小説教室に通いはじめた。そこで金原ひとみさんが好きなら純文学の新人賞だよとアドバイスを受け、広告で見た文学賞のほかに文學界新人賞とすばる文学賞にも応募。
「どれも一次も通らず、書くのをやめてしまいました。というのも、大阪文学学校で知り合った人たちの中には、小説を書くことで何とか生き延びているような人がいて。その人たちを見ていると、自分の不純さに気づいてしまったんです。自分は誰かにすごいなって褒められたくて、自分を大きくみせるために小説を書いてるんじゃないかなって。そんな奴に小説を書く才能があるわけないって思いました。新人賞の落選がダメ押しになって、そこから学校に通うのもやめ、4年間なにも書きませんでした」
その間にも学校で知り合った友人は同人誌で小説を発表し続け、優秀な作品として文芸誌で取り上げられることもあった。それをギャオさんは素直に応援し、友人の活躍を喜び、そして小説と自分との距離感を見つめ直したそう。
「その人は、小説で何かを成そうとしていない。〈小説とその人がただそこにある〉みたいな距離感だったんです。30歳になったとき、今だったら自分もいやらしい思いを入れずに小説を書ける気がして、また学校に入り直しました」
なぜそのタイミングだったのだろう。
「小説を書くのをやめていた間に、パートナーと同棲したり、一人暮らしに戻ったり、転職したりと、生活ががらりと変わることが続きました。それが30歳でようやく落ち着き、時間にも気持ちにも余裕が持てるようになったんです。ゴタゴタの間にいろいろ諦めた結果、そもそも小説を書いて誰かに褒められたところで……という境地に達したことも大きい。ふと、ただ書きたいと思ったんです」
締め切りがほしくて応募
飽き性なのを見越して、とりあえず1年限定で小説を書き続けることを決心し、その間に出せる純文学の新人賞は全部応募すると決めた。応募の理由は「締め切りがほしいから」。
「学校に通ったのも、小説提出の締め切りがあってモチベーションが保てると思ったからなんです。文學界、群像、すばる、新潮、文藝の五大新人賞と太宰治賞、ことばと新人賞の7つに応募しました。同時並行はせず、だいたい2か月に1作のペースで書いていました。3月末が締め切りの賞が多かったので、最後の方は2週間で1作を書き上げることも」
応募後、初めて手にした結果が、太宰治賞の最終選考通過。次に、文學界新人賞でも三次通過していたことがわかった。ギャオさんを抑えて最終選考に進み、見事受賞したのは友人で元バンド仲間の福海隆さんだった。
「福海とはお互いの小説を見せ合う仲。もともと福海の才能は一緒にバンドをやっていた頃から信じていたし、受賞作『日曜日(付随する19枚のパルプ)』もとても面白かったので、福海すごい!と彼の受賞はめちゃくちゃ嬉しかったんです。でもその気持ちが、だんだん自分はすごくないという歪んだ認知に変わっていって……。太宰賞の結果がでるまでに、福海も含めて誰からの連絡にも返信できないくらい、地の底までメンタルが落ちていました」
一人で結果を待つ気持ちになれず、会社で仕事をしていたギャオさん。受賞の知らせは会社の非常階段で受けた。オフィスに戻ると、漏れ聞こえるギャオさんの声のトーンで受賞を察した後輩たちが大喜びしてくれたそう。
「その後会社の飲み会だったんですが、その間にもプレスリリースで『市街地ギャオ受賞』と配信され、福海からは『なんか言うことあるんちゃうん?』とLINEが。『ごめんなさい』って返しました(笑)」
自分の中央がわからない
受賞作『メメントラブドール』には男の娘カフェ「ラビッツ」で働くさまざまなセクシュアリティの人たちが登場する。
「セクシュアリティやキャラクターを他人に勝手に決められるという歪みやグロテスクさを書きたかった。たとえば主人公は男性が好きなだけで女性っぽい恰好には興味がないのに、店に求められてバイセクシャルを騙り、女装をして働いています」
ただ、LGBTQ+はモチーフであって、テーマはペルソナ(仮面)だという。
「僕も含め、〈これが自分〉という明確な中央がない状態で人は生きていると思うんです。〈ラビッツ〉はいわゆるダイバーシティ的なものの上澄みを掬っているようなお店。表向きにはどんな人でも男の娘として可愛く生きられるんですよっていうメッセージを掲げつつ、裏ではいろんなセクシュアリティを、ある種のシンボルであるかのようにカリカチュア(誇張)して見せることで、店としてリーチできる客層を極限まで増やそうとしている。セクシュアリティがマーケティングに使われてしまっている危うさを書きました。
また、他人から勝手に決められるだけでなく、日常生活で自ら場面場面に合わせて振る舞いを、意識的にも、無意識的にも変えることってありますよね。そのうちに、どれが本当の自分かわからなくなって、自我が崩壊する瞬間が訪れるんじゃないかと考えました。
でもそれは今みたいに『メメラブ』について聞かれることが増えたから気づいたこと。書いた時は主人公がどんな人間かただひたすら考え、その人になったつもりで日常生活を送り、それを小説に反映させていきました」
書ける瞬間はきっとくる
なぜこの作品が受賞できたと思いますか。
「無欲だったから。小説家になりたい、と思って書いたのではなく、書きたくて、友達に読んでほしくて書いたからだと思います。あとは、今思うとですが、固有名詞の使い方とか文体意識も振り切っていた。物語にある意味では必要な説明もまるっと放棄しています。これまで自分がしてこなかったことをためらわずしたのもよかったのかな」
「もともと1年だけ小説を書くつもりだった」というギャオさん。「小説家になった」という意識は今もあまりないそう。
「最終選考に残った連絡をもらった時から『1年限定のつもりだったけど、もう少し小説やりたいかも』と欲が出てきたのですが、受賞したことによってその欲が認められてしまいました。今は、もうちょっと書いてみたらって背中を押されているような気持ちです。自分の作品がいろんな読まれ方をする楽しさも知ってしまったので、これからも求めてくれる人がいる限りはそれに応えていきたいです」
小説家になりたい人へアドバイスを贈るなら。
「5年前、僕はもうむりやと思って小説を書くのをやめました。今、書くのがしんどい人は1回休んでみてもいいと思う。どうしてかっていうと、書ける時っていうのは驚くほどすんなり書けるし、それがすごいいいものだったりするのが小説なのかなって。社会や自分のいろんな変数が奇跡的に噛み合ったその瞬間っていうのを、人は本能的に気づくものなんじゃないかな。だから、言葉で説明できない自分の感覚を大事にしながら、その瞬間を待つのもいいのかもしれません」
忘れられない叫びを小説に
「市街地ギャオ」というペンネームは、人の営みが交差する市街地でギャオ!って叫び出すような小説を書きたいと思ったから。
「街中で突然叫び出す人がいたら、みんなギョッとすると思うけど、1時間経って、1日経って、1週間経ったらどんどん忘れていってしまう。でも、小説ならその叫んだ言葉はなかったことにはならない。誰かにとって1週間経っても1年経っても、もしかしたら死ぬまで忘れられなくなるような叫びを書きたいんです」
無欲になったギャオさんが新しく纏った熱は、シンプルで美しく、眩しかった。
「ただ書きたい」が来る瞬間を逃さないよう、私もこの市街地で日常を送りながら耳を澄ませていよう。
【太宰治賞】筑摩書房と三鷹市が共同主催する新人賞。これまで、津村記久子、今村夏子、野々井透、西村亨などが受賞し、芥川賞作家も輩出。次回、第41回の選考委員は、今回と同じく荒川洋治、奥泉光、中島京子、津村記久子の4名。
【賞】記念品、100万円 【枚数】400字詰原稿用紙で50枚以上300枚以内 【締切】2024年12月10日(当日消印有効)
そのほか詳細はhttps://www.chikumashobo.co.jp/blog/dazai/entry/1667/
【次号予告】次回は特別版「小説家になりたい人が、芥川賞作家になった人に聞いてみた。」と題し、「サンショウウオの四十九日」で第171回芥川龍之介賞を受賞した朝比奈秋さんが登場予定。