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「スイマーズ」書評 浮き上がる母との関係と後悔と

評者: 山内マリコ / 朝⽇新聞掲載:2024年09月28日
スイマーズ (新潮クレスト・ブックス) 著者:ジュリー・オオツカ 出版社:新潮社 ジャンル:文学・評論

ISBN: 9784105901950
発売⽇: 2024/06/27
サイズ: 18.8×2cm/160p

「スイマーズ」 [著]ジュリー・オオツカ

 地下の公営プールに、泳ぐことを愛する人々が集う。スイマーたちはさまざまな事情を抱える。腰痛、膝痛(ひざつう)、不眠症、潰(つい)えた夢まで。ほんのひととき結婚生活から逃げてくる人も。地上で負った傷を、泳いでいる間は忘れられるから。
 人はなぜ泳ぐのか。その美しい答えを、たっぷり一章をさいて詩的に謳(うた)い上げる。そうして点描されるスイマーたちの中から、一人浮き上がってくるのがアリスだ。
 「わたしはそこいらのただのお婆(ばあ)さん。でも地下のこのプールだと、わたしはわたしなの」
 アリスとは誰なのだろう? スイマーたちのコミュニティでは、アリスが認知症の初期段階にあることはよく知られている。進行する症状のせいで、アリスはいろんなことを忘れていく。しかし靴紐(くつひも)の結び方は忘れても、母が仏壇に炊きたてのご飯をお供えしていたことは覚えている。アリスは日系二世だ。
 つまりはこの物語の作者、ジュリー・オオツカの実母がモデルであろう。とすれば、母親の物忘れに気づかなかった冷淡な娘は、作者自身か。
 中編小説の長さに、五つの独立した物語が緩やかにつながる。母であるアリスを「彼女」、自身を「あなた」と呼び、突き放して描く。その距離ではじめて物語れる母との関係、無数の後悔。作者もまた、地上で傷を負っているのだ。
 再読するとアリスの存在感はいや増して、これが緻密(ちみつ)に組み上げられた物語であることに気づく。プールで泳いでいたころのアリスを思うと、胸がきゅっとなる。コミュニティには「アリスには親切にすること」というルールがあった。
 スイマーたちを語るときの一人称複数「わたしたち」が優しい。プールを遠景から祝福するように描きながら、作者は母と向き合う準備体操をしていたのかもしれない。
 泳ぐことは人を癒やしてくれる。そして物語ることにも、とても似た効能があると思う。
    ◇
Julie Otsuka 1962年、米国生まれ。父は日系1世、母は2世。著書に『あのころ、天皇は神だった』『屋根裏の仏さま』。