昨年十二月に刊行した小説『続きと始まり』が第六十回谷崎潤一郎賞を受賞し、先日贈呈式に出席した。
この秋はロサンゼルスで大学院生に日本文学について話す授業を担当している。私のビザでは一時帰国に書類が必要だったり慣れない移動で帰国が間に合うのかの心配ばかりしていたので、会場に向かう途中でやっと受賞スピーチを考えなければならないことに気づいた。
元々スピーチは苦手で、たどたどしいながらも話したのは、その三日前にロサンゼルスの教室でディスカッションした田中小実昌『ポロポロ』のことだった。この短編集は、一九七九年に谷崎潤一郎賞を受賞している。十五年ほど前に初めて読んで以来、何度も読んでいるとても好きな小説だが、授業で話すにあたって、書かれた時代を調べたり詳細に読み返したりしていたら、小実昌さんはロサンゼルスを旅行中に亡くなられたことを知った。表題作「ポロポロ」で描かれているお父さんは若い頃にシアトルにいたようで、アメリカ西海岸との縁に驚きもした。
並行して、他の小説や、記憶や過去のことをどのように小説に書くかということについての本を読んでいた。『ポロポロ』におさめられた短編は小実昌さんが一九四四年の終わりに十九歳で徴兵されて中国に行った経験を書いている。冒頭に置かれた「ポロポロ」は、日米開戦の直前のある一夜のできごとを記憶を探っていくように語られている。伝えることがとても難しい体験やできごとをどう書くことができるか、とても誠実に言葉を重ねていることが、あらためて心にしみた。刊行されてから四十五年、私自身が初めて読んでから十五年経っていて、しかし、読むたびに小説の言葉は今に生きて、そのときどきに浮かび上がってくる何かがある。それは別の時間で読まれるからでもあるし、読む側も経験を重ねているからでもある。何度目でも、ああ、そうだったのか、と思う。
だから私も小説を書くのだと思う。=朝日新聞2024年10月30日掲載