ISBN: 9784152103666
発売⽇: 2024/10/23
サイズ: 13.5×19.4cm/160p
「ほんのささやかなこと」 [著]クレア・キーガン
日本人は「社会」ではなく「世間」に生きている。そう論じたのが西洋史家の阿部謹也だった。西欧の社会はあくまで一人ひとりが形作るもので、社会のあり方は個人の意思で決まる。しかし日本的な世間は何となくそこにあり、人々を縛る。思い当たるところがあるだろうか。
ただ、世間に近いものは、西欧にも存在するのではないか。英語にはピアプレッシャー(同調圧力)という言葉もある。1985年のアイルランドを舞台にしたこの中編小説は、小さなまちの「世間」を浮かび上がらせる。
主人公のファーロングは、石炭や薪を商う小さな店の主人。決して豊かではないが、娘たちをこのまち唯一の名門女子校に通わせているのが誇りだ。しかしあるとき、その学校を運営する修道院の秘密を垣間見てしまう。虐げられた女たちの存在を知ってしまう。自分は何か行動を起こすべきなのか。
「うまくやっていきたいなら、目をつむるべきこともあるはずよ」。妻から投げられた言葉は、まちの「世間」を代表するものだろう。ファーロングはすぐには反論できない。それでも胸のなかで凝り固まったものが、どうしてもつかえてしまうのだ。
クリスマスが近づき、雪がちらつく季節に物語は進行する。広場に飾られたマリア像や、聖歌隊の歌声の美しさは、人を特別な気持ちにさせるのだろう。ファーロングが一歩踏み出し、行動しようとするのも、この季節ゆえか。一人の振るまいが、次の社会を暗いものにも明るいものにもする。アイルランドで実際にあったことを下敷きにして小説は書かれた。
2022年、ジョージ・オーウェルの名を冠した政治小説賞を受賞した。そう言われてみると、描かれている息苦しさは、どこか『一九八四年』に似る。あの近未来小説と違うのは、すべてが絶望に支配されないことだ。
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Claire Keegan アイルランドの作家。『ほんのささやかなこと』は英ブッカー賞最終候補作。ニューヨーク・タイムズ紙「21世紀の100冊」にも選ばれた。