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高階秀爾の仕事 美術を見る時のたしかな導き手 宮下規久朗

高階秀爾さん。10月17日、心不全で死去、92歳=2013年撮影

 先日92歳で亡くなった美術史家の高階秀爾先生は、戦後日本の美術ブームを半世紀にわたって牽引(けんいん)した美術の巨人である。その活動は多岐に及び、東京大学教授から国立西洋美術館や大原美術館の館長、日本芸術院院長など多くの公職を歴任し、文化勲章受章にいたるまで、半世紀にわたって日本の美術史研究や文化行政に大きく貢献してきた。

 しかし、先生のもっとも偉大な仕事は、その著作の数々である。各種の美術全集の編集や解説に加え、今年になっても新著を出されていた先生の著作は膨大だが、主要な著書の多くは30代から40代、1970年代までに執筆されたものであり、その早熟ぶりと先見性に驚かされる。

古典にして定番

 先生の代表作として真っ先に挙げられるのが、『名画を見る眼』(1969年。岩波新書・1364円)である。ファン・アイクからマネまでの名画を取り上げ、その意味や意義を明快に説明したもので、半世紀以上も読みつがれている西洋美術入門の古典にして定番。モネからモンドリアンまでを扱った続編(71年。同新書・1364円)もあり、昨年いずれもカラー版が刊行された。
 いま読んでも文章の明晰(めいせき)さやみずみずしさに打たれる。その後の著作や、拙著を含む類似の名画入門と比べても、ひときわ抜きんでているといえよう。私は10歳のころ、近所の書店でたまたまこの本を見つけて夢中で読み、一つの絵にこれほど深い意味があるのかと驚いた。絵が好きで将来は画家になりたいと漠然と考えていたが、この本によって美術史の奥深さに魅了され、実際に高階先生に習いたいと、この道に進んだのである。

 先生はパリで本格的な美術史学を学び、帰国後それに基づく論考を次々に発表した。当時、美術といえば文学者や美術家がエッセー風に語るものや、思想家が哲学的に論ずるものが目立っていた。しかし美術とは、個人の感性や趣味の問題ではなく、また思弁的な美学とは異なり、作品を時代や社会の中に客観的に位置づけ、解読すべきものだ。先生はこうした正統な美術史学を紹介し、実践してみせた。

 『ルネッサンスの光と闇 芸術と精神風土』上・下(71年。中公文庫・各990円)は、フィレンツェ絵画と新プラトン主義との関係など、欧米のイコノロジー(図像解釈学)の成果を詳細かつ明快に論じた力作。『美の思索家たち』(67年。新潮社・品切れ)は、パノフスキーやゴンブリッチなど、西洋の代表的な美術史家の方法と業績を論じたもので、美術史学を学ぶ者にとってきわめて有益であった。これらによって、日本の美術史学のレベルが底上げされ、欧米に近づくことができたといえよう。

日本も研究対象

 明治以降の日本の美術は、近代文学とちがって長らく学問的な研究の対象ではなく、美術館の現場などで場当たり的に扱われてきた。『日本近代美術史論』(72年。講談社文庫・品切れ・電子書籍あり)は、日本近代の画家について美術史的に考察した論集。冒頭の高橋由一論には、先生がフランスから帰って由一の「花魁(おいらん)」を見たときの衝撃が記されている。単なる西洋の模倣でない「異質な感受性の存在」に驚愕(きょうがく)し、違和感とともに強く共感したというが、その体験が日本の近代美術を研究する契機となったという。本書は日本の近代美術を本格的な美術史研究の対象として押し上げ、私たちはみなその道筋に沿って研究してきた。先生には、『日本近代の美意識』(78年。青土社・品切れ)や『日本美術を見る眼 東と西の出会い』(91年。岩波現代文庫・1331円)のように、西洋と比較して日本美術の特質や美意識を分析する論考も多い。

 先生はつねに西洋とは異質な感受性を持つ日本人が美術とどう向き合い、理解すべきかを考えてきた。それを明晰な文章によって説きあかし、美術の知的な魅力を普及させてくれた。真に優れた学問的成果はわかりやすく明快である。そのことを先生の仕事ほど感じさせてくれるものはない。今後も、日本人が美術を見るときのたしかで信頼できる導き手であり続けるだろう。=朝日新聞2024年12月21日掲載