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堀川惠子さん「透析を止めた日」インタビュー 夫の終末期から問う医療

堀川惠子さん

 「ノンフィクション作家として自分のことを書き始めたらおしまいと思っている」

 世に出す本が次々と賞を取ってきた希代の作家である著者はかつてそう言っていた。

 その禁を破っての渾身(こんしん)の一冊だ。

 難病を発症して38歳で透析を始め、2017年に60歳で逝った最愛の夫。生きるために1回4時間以上、週3回の透析を長年続けてきたが、その終末期は耐えがたい苦痛に襲われた。どうやったら痛みが少ない状態で死を迎えられるのか。調べても情報はなかった。緩和ケアはがん患者などに限定され、透析患者は緩和病棟に入れなかった。

 「ほしい情報を後の人のために書かないと、目の前の悲しみや苦しみが無駄になる」

 執筆を決意したのは、亡くなる2カ月前。「書くよ」。そう伝えると、夫は黙した。「書け」ということだった。

 ひと回り年上の夫はNHKのプロデューサーだった。かつてテレビの番組制作をしていた著者は一緒に仕事をするようになり、その後、結婚。「彼に出会わなければ、ここまで深くものを突き詰めて考えることはできなかった。本も書いていなかったかも」と語るほど多大な影響を受けた。

 そんな夫を失った悲しみは深く、当時の闘病記録を読み返すと吐き気がした。執筆は進まなかった。「取材者たれ」と自らにムチを入れた。

 書いていて気づいたことがある。「わかったつもりで寄り添ったが、わかっていなかった」。「生きたい」と言っていた夫が、死に向かってベクトルを変え、透析を止めると決める心情の移り変わりは取材できていなかった、と振り返る。「『俺のことわかってないな。まだまだだな』と、ニヤリとしていると思う」

 約35万人が受ける透析は腎臓病患者の命を救う医療だ。だが、年に約4万人が亡くなる終末期についてはこれまで真剣な議論はなされてこなかった。「献体」と思って書いた本書が「医療制度を変えるきっかけになれば」と願う。

 昨年12月、出版の報告に墓参りをした。「夫の好きだったビールは持参したが、肝心の本を忘れてしまった」。そう言って穏やかに笑った。(文・大久保真紀 写真・横関一浩)=朝日新聞2025年1月11日掲載