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川田順造の仕事 人間の生の痕跡から歴史を見渡す 松田素二

昨年12月に90歳で亡くなった川田順造さん。終生、アフリカに関心を寄せた=撮影年不明、家族提供

「普遍化」を批判

 数十冊に及ぶ膨大な作品群に通底する川田人類学のエッセンスを知るために、三つの作品を取り上げよう。この三作品に埋め込まれた、川田さんのメッセージの核心を紹介してみたい。

 そもそも文化人類学というと、世界の辺境に出向いてほとんど誰も知らない民族の社会や文化を解明するイメージは、今も根強い。無数にある民族社会のほんの一つを調べて何がわかるのか、という問いは、文化人類学に投げかけられた本質的な批判であり疑問だった。川田人類学は、この点を徹底して追求した。「個から普遍」という思考の道筋の圧倒的な困難を直視するのである。それゆえ、出来合いの思想(大半は欧米出自の支配的で流行する社会理論に基づく)を用いて、いきなり複雑で歴史化され文脈化されてきた個をきれいに普遍化することを鋭く批判した。徹底して個のディテールにこだわる中で、そこに生きる人間を捉え、その膨大な生の積み重ねに深く「共感」しながら人間存在の根源を見通すのが、著作に通底する思考だった。

 「個から普遍」という難問をクリアするために、川田さんが編み出したのが、「文化の三角測量」だ。これは、ある社会を理解するためには、自分の社会を参照軸にして、対象にアプローチするより、もう一点、全く異質な社会を参照軸として、二つの参照点から他の一点を測るほうが、ほかのひとつを対象化しやすい、という実にシンプルな発想から生まれたものだ。だがそれは徹底した「個」を明らかにするための方法であり、それゆえにそれぞれの参照点の内側に深く入り込み、それを理解するという絶望的に困難な作業が前提となる。

人文知の再創造

 こうした挑戦の先に、川田さんが見通したのは、人類学という単なる一つの学問の未来ではなく、人間存在を根源的に明らかにする、これからの人文知のあり方だった。この点について、彼は、「あまりに『ブキッシュな』書斎的な人文の知の体系を、もっとひろびろとした世界に解き放」ちたいと述べた。

 川田人類学を特徴づける以上の三つの視点が、全て用意された著作が、『無文字社会の歴史』(岩波現代文庫・品切れ)、『文化を交叉(こうさ)させる』(青土社・2420円)、『アフリカの歴史』(角川ソフィア文庫・1056円)である。中でも『無文字社会の歴史』は、川田さんが生涯にわたって展開した、主要な主張の萌芽(ほうが)をすべて含んだ画期的な作品だ。西アフリカのモシ社会の語り、声、音を用いた歴史叙述の深い考察を通して、文字社会の中にも遍在する無文字性の意味を見事に解明した。

 一方、『文化を交叉させる』では、文化の三角測量をわかりやすく解説し、これからの時代に必要なのは、二者間の対話Dialogueにとどまらず、三者の間のTrialogueであることを喝破した。さらに『アフリカの歴史』においては、文字史料の特権化によって歴史を捉えるのではなく、「人間が生きてきた痕跡と、それに対する『想(おも)い』の総体を対象」として歴史をみることを提唱した。こうした試みの上に、これからの人文知の再創造が展望できるからである。

 いま、川田人類学を継承する責任は重い。=朝日新聞2025年2月8日掲載