読まれている書物には理由がある。それゆえこの本についても《なぜこれが多くの学生や研究者に読まれているか》は有意味に問われうる。
私自身は《この本が広く読まれている》と聞いても驚かないが、それは同書が実践的に役立つところを多々含むからだ。例えば――阿部が体系的に説明した事柄の一部を切り取ることになるが――《論文の結論部では、それまでの話の要約に努めるよりも、ある意味で「飛躍した」ことを書くべし》という指南は、「結論部って何を書けばいいのだろう?」と悩んでいたひとへ目から鱗(うろこ)のアドバイスとなるだろう(じっさい論文の結論部は今後の展望などの「飛躍した」事柄を書くべき場所だ)。
このように阿部ライティング本は使える。だがこれが《なぜ読まれているか》のすべてかと言えば、決してそうではない。より核心的な理由は次だ。すなわち、同書には阿部幸大というひとりの研究者の生き方が示されている、と。この事実が彼の本に「独特の」顔を与え、その結果、類書で換えられない「代替不能の」読まれ方をされている。
じっさい阿部は本の終盤で《そもそも私たち(とりわけ人文系の研究者)は何のために論文を書くのか》を問う。その答えは《世界をよりよい場所にするために》である。これは阿部が自らの研究生活を通じて至った彼の実存であり、それにふれることで私たちは《こんな仕方で論文と世界が繫(つな)がることがあるのだなあ》と思う。だがそれだけではない。阿部が自らの生き方を示すことは、ひるがえって、読者である私たちへの問いかけになる。「学生よ、研究者よ、あなた方は自らが書くことを、世界や人生とどう繫げるのか?」挑戦的にこう問いかけてくる本、これが阿部の新しいライティング本である。
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光文社・1980円。24年7月刊、10刷5万5千部。大学生協のベストセラーランキング「文芸・一般書」部門では、発売から8カ月連続で1位。「論文以外の文章にも応用できるためビジネス需要も大きい」と担当編集者。=朝日新聞2025年3月8日掲載
