

【好書好日の記事から】
>【コミック・セレクト】「大邱の夜、ソウルの夜」 泥の中泳ぐ女たちの人生行路
「九州と似ている」保守的な地方
――『大邱の夜、ソウルの夜』を描いたきっかけを教えてください。
2012年に「大邱の夜」から描き始めました。私は自分の漫画を描き始めてちょうど面白くなってきた頃に結婚と妊娠をしたので、子育てに追われて時間はないけれど、漫画を描きたい気持ちは日増しに募っていて。子どもも成長して、保育園に長い時間、預けやすくなったので「自分の漫画を描きたい。せっかくなら、どこにも吐き出すところがない自分の話を描こう」という思いから描き始めたんです。
作中に登場するホンヨンの義実家は、実際には釜山にある私の夫側の親族の本家がモデルになっています。そこに子どもが生まれて初めてあいさつに行った時のことを義実家に置き換えて描いたんです。元々は10ページ程度の短編を考えていたのですが、どんどん増えて最終的には60ページの作品になりました。
――大邱を舞台にした理由は?
私の義実家が大邱から近いので、帰省先ではいつも大邱に遊びに行っていて。作中のコンジュのモデルになった親友も実際に大邱に住んでいるので、帰省するたびに会っているんです。ただ、私自身は「友達に会ってきます~!」と気軽に出掛けていますが、作中のホンヨンは苦労して義実家を抜け出してきたと描きました。子どもの面倒を見ない夫への復讐と息の詰まる義実家からの脱出、といったふうに。
子どもを預けて一人で外出する時に解放感を覚えるのは、男女問わずあることだと思いますが、男女どちらがより罪悪感を抱いたり、責任を感じたりするか。そこには、やはりまだ違いがあると思うんです。

――大邱や釜山のある韓国南東部の慶尚道は、家父長制が根強く残る地方ですよね。
日本の方からは「九州と似ている」という話も聞きました。特に大邱は釜山よりもさらに保守的で、男児を好む思想や家族主義が残っています。同世代の子たちと話していると、考えていることは私と大して変わらないのですが、彼らの集団の中に入ってみると「何かが違うな」と感じて。家族としての道理、年長者に対する道理、男女の役割などが代々、人々の潜在意識の中で受け継がれているというか。
親友は今も大邱にいて苦労もたくさんしているのですが、なんだかんだ言いながらも結局「それでも家族なんだから」で話を終わらせてしまうんです。その言葉一つで、いろんなことを“なかったこと”にしてしまう感じがありました。

既婚と独身、深まる女性の対立
――描いていて難しかったところは?
私自身は家族主義というものがいまいちよく分からなくて。嫁姑争いも経験がなかったので、「どうすればリアルに描けるだろう?」とあれこれ悩みました。ただ、夫が大邱の風習をよく知っていましたし、夫の母が義両親と同居していて、嫁姑争いの経験者だったんです。また、夫の祖父が認知症になって、家族が振り回されたこともあったので、そういう話も参考にしながら描いていきました。
――ホンヨンが昔からの友達であるコンジュに会っても、既婚者と独身という立場の違いから話が合わなくなっている、という描写もリアルでした。
最近の韓国では、既婚者と独身の女性の対立がさらに激しくなっているように思います。子どもがいる既婚者と独身の友人が集まる時に、既婚者が「子どもがいて遠くまで行けないから、悪いけどうちの近所まで来てくれない?」「今日、子どもを連れて行ってもいい?」といったことを言うと、独身の女性は内心「嫌だ」と思ってしまうそうです。子どもが一緒だと、どうしても会話に集中できないし、子どもの前では言えない話もありますからね。

――飲み会の後、2人がコンジュの母のお見舞いに行くことになるという展開には驚きました。
実はあの場面が本作の核心なんです。私が夫の釜山の本家から、疲労困憊の状態で義実家に戻ってきたら、義母が「子どもは預かってあげるから、2人で息抜きして来なさい」と言ってくれて。その日は大邱で夫とその友人も交えてお酒を飲んだんです。ところが、ちょうど旧盆の時期で、夫の友人の父親が近くの病院に入院しているというので、急きょお見舞いに行くことになって。私は全く面識がなかったのですが、病院に付いていったら、一気に酔いが冷めました。その時に感じた自分の複雑な感情を描こうと思ったのが、今作の企画の発端でした。
――男尊女卑思想の残る地域では、どれだけ優秀な女性でも進学や就職などで地元から出るのを反対される、ということが日本でもあります。ソウルに憧れながらも、なかなか地元を出られなかったコンジュもその一人ではないかと思いました。
そうだと思います。夫も言っていましたが、そういう地域に生まれ育った人は、地元の大学に進学することを当然のように考えていたりします。就職でも人脈や学縁、地縁がものを言うので、「どうせ地元で就職するんだから大学も地元がいい」となるんです。

結局、苦しむのは弱い者同士
――「ソウルの夜」で母親との関係に葛藤するコンジュの姿も「身に覚えがある」という日本の女性たちは少なからずいると思います。
コンジュは嫁姑問題に悩まされてきた母の苦労を誰よりもよく知っています。「どうして母の悩みに誰も共感してくれなかったのだろう」という思いもあったはずです。でも、成長したら、自分にはもう自分の生活があるのに、母は相変わらず自分にばかり愚痴をこぼしてくる。コンジュは常にそういう葛藤を抱えていたと思います。
――コンジュは実家にいながらも、母屋で暮らす両親とは別の部屋で、認知症が進んでいる父方の祖母と暮らしながら面倒を見ているという設定でした。

コンジュも実は「なぜ母は私にばかり不満を吐き出すんだろう。父に文句を言ったり、ぶつかったりすればいいのに」と思っていて。ただ、父に言っても「母さんは元々そういう人なんだよ」と言うばかりで、何の解決策も持ち合わせていないんです。結局、苦しむのは弱い者同士の母と自分ばかり。母にとっては娘がいちばん、都合がいいんですよね。だから、母娘というのはどうしても愛憎入り交じった関係になり、それが嫌で母に背を向けると、今度は娘のほうがものすごく罪悪感を覚えたりする。そういう積もりに積もったコンジュの感情が表れていたと思います。
――母親は同性である娘を自分と同一視してしまったり、それによって干渉しすぎてしまったりもしますよね。
母娘の関係って、ものすごく複雑だと思います。これまで父と息子の関係を描いた作品はたくさんあったと思いますが、母娘もそれに負けないくらい、いろいろありますし、最近では母娘を描く作品も出ています。本作の感想では「とても共感しながら読みました」と言われることが多かったのですが、それを聞いて「意外とたくさんの人がこういうことを経験しているんだな」と感じました。

10年で大きく変化した認識
――本作の発表以降、MeToo運動やコロナ禍を経て韓国社会も大きく変化しました。
実は今回の来日トークイベントで私が話すテーマも「『大邱の夜、ソウルの夜』からの10年」なんです。私は2010年から2020年の間に最も多くの変化があったと思っていて。人々の認識も変わり、社会が急速に変化したと感じています。
例えば、韓国では今、“4非運動”という言葉があります。若者の「非婚」「非恋愛」「非出産」「非・性関係」を指す言葉なのですが、今では結婚や出産が完全に個人の選択になったんです。そうなると、既婚女性の愚痴に対して、「自分が不利益を被ると分かって結婚・出産をしたのに、いつまで『自分の話を聞いて』『自分のことを慰めて』と言ってるの? もうそんな話は聞き飽きた」と言ってしまう非婚主義の女性も出てきました。だから私も「今この本を読んだ読者は、どこに違和感を覚えたり、時代遅れだと感じたりするだろう?」と考えてみました。
――もし今この話を描くとしたら?
コンジュは結婚させなかったと思います。。また、「コンジュが今経験していることを、自分は少し先に通り過ぎたという事実にやけに満足したりしていた」というホンヨンのモノローグは入れなかったでしょうね。

ただ、私にとってこの話は、ごく個人的な友情の話でもあるので、あのモノローグも「私たちは疎遠になっていたけれど、また共通の話題ができた」という程度の意味合いで書きました。また、私が「大邱の夜」を描き上げている最中に、その親友が実際に結婚して、式で「母に花嫁姿を見せられなかった」と大泣きしたので、当時はどうしてもそのことを物語に盛り込みたかったんです。
――最近では韓国でも旧正月や旧盆に帰省せず、海外旅行に行く人が増えていると聞きました。
「旧正月や旧盆に集まって先祖の霊を弔うなんて無駄。ご先祖に恵まれた人は全員、海外旅行に行く」と言う人もいます。「親族が集まってけんかになるのは全部、先祖に恵まれなかったせいだ」と。旧正月や旧盆の時期に海外旅行に行くのは、家族でそういう慣習をなくしたということですよね。実際、私の夫側の本家でもこの10年の間にそうした旧来の年中行事をやめてしまいました。だから、ここに描かれているのは、ある意味ではもう“昔の話”になったんです。
