【谷原店長のオススメ】成田悠輔「22世紀の資本主義」 未来の社会考える刺激的な展望

資本主義の社会で暮らし、ITによって「富の偏在」までもが加速度的に進むなか、成田悠輔さんはこの本で、「資本主義社会の弊害」から独自の考えを展開します。本の副題には、「やがてお金は絶滅する」。一体、どういう意味でしょうか。
資本主義社会の弊害というと、今はどうしたってアメリカを思い起こします。トランプ大統領が返り咲いたことで、あの国は一気に強権路線に変わってしまいました。中国が台湾を「自国の領土」と主張し、きな臭い空気を漂わせますが、アメリカだって負けていません。「グリーンランド、パナマ運河をよこせ。ガザを所有する」。次から次へと関税をかける強気な経済政策。「世界の警察」だった国が今、なりふり構わぬ姿を見せています。これまでは、人間の希望や欲望をもとに、お金を潤滑油として使うことで、市場でバランスを取りながら発展を遂げてきた、私たちの資本主義社会。それが、一国の暴走を許した途端、社会の前提が崩れるようです。
むかしむかし、小さな「ムラ」単位だった頃は、人の移動も緩やかで、その人の人格や、その人が地域でどんな存在であり、どんな貢献をしてきたかが互いに容易にわかりました。ところが、「市町村」「都道府県」「国」へと単位が広がり、さらにグローバル化が進むにつれ、「その人」の実像が見えづらくなっているように思います。だからこそ私たちは、「お金」というわかりやすいツールを基準とし、経済活動を通じて関わり合っているのです。
ところが、そうした資本主義、市場経済が今、暴走しています。成田さん曰(いわ)く「売上ゼロなのに時価総額1兆円の赤字上場企業」、あるいは「身元不明者やヨレヨレTシャツの若者が書いたコードに10年余りで時価総額数百兆円がついてしまう暗号通貨」。ギャグのような経済的超常現象が起き、お金の不公平さが拡大しています。人となりが見えづらくなればなるほど、相互不信も高まっていきます。
この現実が行き着く未来について、成田さんは本のなかで、予言しています。
私たちがどんな人間で、何をしたり感じたり考えたりしそうかを予測するデータも商品になり契約になる。(中略)私たちの行動も言動も、体験した出来事もイベントも、心や体の状態も、ゆくゆくは私という存在や人格、キャラそのものもデータ化されていく。ひとたびデータ化した行動や心身や人格にはIDや所有権がつけられ、それに紐づいた契約や消費もできる。(中略)身も心も資本主義に組み込まれた世界が訪れる。
「この人は、どういう人なのか」「今までどういう行動を取ってきて、社会にどう貢献したか」。それを、一律ポイント制にして可視化することによって、社会の中でこの人が「有用な人か、そうでない人か」を判断する。お金だけに頼らない、その人の価値を見いだし、社会としてその人にきちんとリターンしていく――。成田さんは、以下のような言葉を使ってまで主張します。
過去に誰が何をしてきたかの履歴データが豊かになると、データを覗き込むだけで誰が寄生虫で誰が功労者かがわかる。誰が信用に値して取り引きすべき相手かがわかる。すると、お金の多い少ないで人を判断する必要が薄れていく。お金の衰退がいくつかの段階で進むだろう。
グローバル化の歩みは抗いようがなく、平板化、均質化はどこまでも進みます。そうなったとき、この先、誰が私たちをコントロールするのでしょう。しかもコントロールすればするほど、そこからこぼれ落ち、見過ごされ、損をする人も増えていく。かたや、ごく一部の富む人たちは、どんどん凝縮され、貧富の差は拡大していく。搾取する側とされる側の構造が、グローバル化によって肥大し、より悲惨なことになっていく。
人間は、助け合いの心と、欲望との双方を備えた生き物です。けれどどうやら、後者がより顕在化しています。このバランスを是正するため、いったん、人間一人ひとりの行状すべてを「ポイント」として可視化させる。「ポイント」を積み重ねるほど、豊かになれるシステムが構築されたら――。そんなアイデア自体は素晴らしいと思います。人間は、うさん臭い生き物だからこそ、ズルや富の偏在が生まれてしまう。そのうさん臭さを是正したい。成田さんの夢想は、そんな思いから来ているのでしょう。
ただ、いっぽうで「怖いな」と思うのは、それは監視社会に繋がっていくことでもある点です。自分のデータ、今までの略歴を誰かに把握され、管理されていく。たとえば中国はまさに監視社会にあり、政府は、自分たちの政治基盤を維持するために強固な監視体制をつくっています。成田さんはそれとは異なり、「国」という大きな単位ではなく、一個人にそれを還元していくという考え方です。それまではわかります。
じゃあ、それを「AIが管理すれば良いのか?」。疑問や嫌悪感がわくのも事実。安全性をどこで担保するのか、その線引きをどこで誰がするのか。この本にはまだ詳しい「解」が書かれていません。
もっとも、拒否反応を抱いてばかりもいられません。何らかの変革をしなければいけない時期に、既に私たちの社会が来ていることは事実です。フランスの哲学者ヴォルテールが言ったとされる言葉で、「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という一文があります。そういった謙虚な姿勢が、社会から失われています。そんな社会の中で、成田さんが唱える「ポイント制」に身を委ねすぎると、行き着くところは、「誰かに管理してもらうしかない」。そうなると、人間の大事な部分、つまり「考えること」を放棄してしまうことにも繋がりかねません。
人間は、文字を手に入れ、書き込むことで「記憶の外部化」に成功しました。近年はPCになりましたが、インターネットが発達し、AIが登場するようになると、今度は「思考の外部化」が始まっています。記憶も思考も外部化が進むと、この先、僕たち人間っていったい何だろうって思うのです。
中高生の頃を思い起こすと、すらすら言える電話番号が3、40件、頭の中に入っていました。友人宅、バイト先、よく行くお店。それが、携帯電話を持った瞬間、まったく消えました。車を運転するときも同様です。道を全部覚えていたのに、カーナビを使った瞬間、その能力を失いました。「代替手段」を手に入れれば入れるほど、生き物としての能力が弱まると思いませんか。
そんな「思考の外部化」の行き着く先は、とてもおそろしい。いつだって大事なのは、自分の意見をきちんと持つこと。そのために勉強をすること、偏らないこと。SNSの普及で、玉石混交の情報の海を否応なしに泳がされる今、正しい情報をつかむ能力に乏しい人から、足元をすくわれます。たとえば特殊詐欺に関わってしまう。危険言動を繰り返す候補者を当選させてしまう。そんなディストピアにおぼれないために、「これって本当か?」と踏みとどまる思考力が必要です。「思考の外部化」が進む今こそ、この先絶対に超えてはならない分水嶺だと思います。
ところで成田さんといえば2021年、ネットの動画番組で少子高齢化問題を議論した際に「高齢者は集団自決を」などと発言し、批判が広がりました。今回のこの本もそうですが、彼は、わざと水面に物を投げ、波紋を起こす行為をする人だと思います。本当に「死んでくれ」と思っているのではなく、これから超高齢化社会に突入し、国がパンクするとき、どう対処すべきか、社会や政治のあり方に問題提起をしているのだと思います。
この社会を築いてこられた方々に敬意を払わない社会は、僕は「ディストピア」だと思います。そうではなく、イヤな言葉ですが「老害」の政治家――時代遅れの価値観に凝り固まっているような政治家――が、国の力を失墜させている現状に対し、敢えて彼は波紋を投げかけたのでしょう。
成田さんと番組で共演した時、いろいろと話した印象は、一つの議論について忘れてはいけない視点、客観的な視点を常に持とうと努力する人、というものでした。凝り固まった思考をほぐし「ちょっと考えてみませんか?」と、脳トレのような問いかけを仕掛けてきているのです。
「思考の外部化」や「データ化」について私なりに今、たどり着いた推測は、たとえすべての思考や記憶、好き嫌いを外部に売り渡しても、社会悪が完全になくなるわけではないということ。人間の営む社会は、そんなに単純じゃない。いろんな矛盾、清濁を併せ今後も続くと思います。この本は、あくまで思考実験の一冊です。読まれた方の中には、成田さんの考えが受け入れにくい方もいるかもしれません。でも、お金持ちがさらに稼ぐことに熱中し、一生かけても使えないほど稼ぎ続けることが、人間として幸せと言えるのか。「お金」と人間の関わり方について改めて考える契機になりそうです。
今回の本には姉妹書があります。『22世紀の民主主義』(SB新書)。この本からも、世の中を根本からかき混ぜたい意欲を感じます。中高生を主人公としつつ、大人も楽しめる経済漫画『インベスターZ』(三田紀房、コルク)も、資本主義について考えるきっかけになります。(構成・加賀直樹)