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猪木啓介さん「兄 私だけが知るアントニオ猪木」インタビュー 「燃える闘魂」愛されて

猪木啓介さん

 人はなぜアントニオ猪木と聞くと読みたくなるのか。没後2年半、本書は発売即重版した。5歳下の実弟、啓介さん(77)はいまも話を聞かせてと頼まれる。「兄貴はこんなに愛されていたのか、とあらためて痛感しています」

 昭和から平成を疾走したプロレス界の大スター。モハメド・アリ戦に象徴される異種格闘技戦や湾岸危機でのイラクからの人質解放など、常識を覆す行動で驚かせた。

 強さだけではなかったという。11人きょうだいの7番目。末っ子の啓介さんの目に映る兄は「弱さもたくさん持っていた」。少年時代は大きな体をからかわれ、引っ込み思案。スターになってからも「孤独にからっきし弱い寂しがり屋。いつも人々からの注意と称賛を求めていました」。

 ひらめきの人でもあった。何か思いつくと「啓介!」と呼ばれた。突然「世界の食糧問題を解決する」と言って、ブラジルで牛の飼料の製造にのりだしたことも。「でも細かいことが苦手。『あとは頼む』と丸投げでした」。金銭に無頓着、よくだまされた。

 同じマンションに住んでいたサックス奏者の渡辺貞夫さんに言われた。「あんたの兄さんは余計なことをせず、プロレスだけやればいいのにねえ」。本にはこう書く。〈みんながそう思っている〉〈なぜか「そうはいかねえ」というのがアントニオ猪木なのである〉。

 私生活では、新日本プロレスの旗揚げから支えた俳優の倍賞美津子さんと離婚した後、2回再婚した。女性に言われると強く出られないのも「燃える闘魂」の一面だった。最後の妻とは死別し、一人に戻った。

 晩年は難病との闘いが待っていた。体は不自由になったが、「そうはいかねえ」の生き方を貫く。痩せ細っていく姿を動画で配信し、「元気ですかー!」と呼びかけた。

 昔、啓介さんは唐突に「お前の喜びは何だ」と聞かれたことがあった。「『人が喜ぶのを見ることかな』と答えると、兄貴は『そうか。俺もそうだ』と深くうなずいていましたね」

 だから人はアントニオ猪木を忘れられないのだろう。(文・大嶋辰男 写真・横関一浩)=朝日新聞2025年4月12日掲載