村田沙耶香さん「悪口防衛術は、言葉を〈面白い⇔面白くない〉の軸でみること」(第5回)

【今回のテーマ】もっと相手の心に届くほめ言葉/見事な悪口
日常の気持ちを表す言葉を探究する番組「わたしの日々が、言葉になるまで」。参加してみていかがでしたか。
「小説家という仕事柄、書き言葉については人と話す機会はあるのですが、話し言葉についてみんなで話すということはあまりないので、とても面白くて楽しい時間でした。共演者は、劇団ひとりさんとWEST.・桐山照史さん、俳優の八木莉可子さん、シンガーソングライターのwacci・橋口洋平さん。皆さん、言葉がリズミカルだったり、緩急があったり、話し言葉ならではの豊かさが感じられました。対してふだん作家同士で喋っている時は、もうちょっと書き言葉のような喋り方をしているんだな、と気づきました」
前半のテーマは「もっと相手の心に届くほめ言葉」でした。番組では「ほめ言葉は難しい」とお話されていましたが……。
「本当に大好きな人で心から賞賛したいのに、気持ちが溢れて過剰な言葉になり、これではお世辞だと思われるんじゃないかと心配になったり、逆にお世辞と思われないように表現を縮めすぎて、あまり愛情が伝わらなかったり。ほめ言葉を自分の思っている同じ量で相手に信じてもらうことはそもそも不可能なのかな、と思いつつ、せめて感情の質が変わってしまわないようにいつも試行錯誤しています。
小説家の友だちの褒め言葉のありかたもそれぞれで、朝吹真理子さんはびっくりするほどストレートに天真爛漫にほめてくださるんです。朝吹さん、犬山紙子さん、横槍メンゴさん、私のLINEグループがあるのですが、この間、私が胃カメラをのんだと送ったら、「一番大切な書き続けることのために病院に行って本当にえらいよ」とまっすぐな言葉をくださるんです。いつも彼女ならではの視点で、だからこそまったく嘘ではない言葉と気づきを与えていただいています。愛情表現もとてもあたたかくて、自然で無邪気なんです。恐れが何もなくて。ああ、こんなふうに愛情って気負わず相手に渡すものなんだ、と思います。私も最近では朝吹さんに影響を受けて、少しずつストレートに褒めたり、愛情を伝えたりできるようになってきました」
ほめ言葉の実践編として、みなさんで劇団ひとりさんへのほめ言葉を考えるコーナーがありましたね。桐山さんは「ひとりさんって……やっぱりすごいっす」、八木さんは「勝手にすごくリスペクトさせていただいています」、橋口さんは「好きな芸人を聞かれた時に、ひとりさんと答える人がいたら僕ちょっと好きになると思います」、そして村田さんは「宇宙からやってきた未知の液体でびしょびしょのスポンジ」でした。
「私の出したほめ言葉は、ひとりさんにまったくわからないって言われてしまいました(笑)。私、誰かを褒めるということは、その人を自分の言葉でできるだけ誠実に表現し直すということであって、喜ばせるためにすることではないと思っているのかもしれないですね。それで、あのようになってしまいました(笑)。
それはさておき、八木さんの「勝手にすごくリスペクトさせていただいています」や他のみなさんのほめ言葉を聞いて、日本独特の奥ゆかしさがあるなと思いました。「私のほめ言葉になんて価値はないですが……」とおずおずと差し出す感じ。たまに文学フェスティバルのお仕事などで海外に行くと、ほめ言葉のストレートさにびっくりするんです。でもその文化圏にいる間は自分も少し影響を受けて、「そのドレス、とても素敵ですね」「今日はあなたと会えて幸せでした、特別な日でした」って言えたりする。どちらがいい、悪いということではなく、入れられる水槽が変わったときに、自分のパーソナリティも変化することが面白いなって思います。最新作『世界99』では、コミュニティごとに性格を変える空子(そらこ)という人物を描いたのですが、そういえば私も英語をしゃべっている間は少し人格が変わっているように思います」
後半のテーマは「見事な悪口」。中原中也VS太宰治、中原中也VS坂口安吾といった、文豪同士の悪口が取り上げられました。
「みんなの前で相手に直接言う悪口と、陰で言う悪口は相反するといってもいいくらい違うとものだなあと感じました。中也の悪口はいずれも酒場で直接、相手に言った悪口だったのですが、言葉で相手を殴るというよりも、自分の精神性を言語で見せているような。句会の挨拶句ではないですが、挨拶悪口を手渡しているみたいな言語での不思議な戯れ合いに感じられたんです。対して、相手がいないところでいう悪口は、実際にはその相手に向かっていなくて、コミュニティへの媚びや潤滑剤に感じられます。
私は学生時代、それが全然できなくて。というのも、子どもの頃、自分の頭の中をつねに神様が見ていると明白に思っていたんです。だから悪い言葉を頭の中に発生させちゃいけない、人に対してだけでなく「この野菜嫌い」という言葉を脳内に発生させてはいけない、嫌いじゃなくて「苦手」って思わなくちゃと考えていたんです。今日のお話に共鳴することがあって、私も学生のとき、悪口、というか今思うと皆の心が受けた被害の共有だったのかもしれませんが、「沙耶香はそういうことを言わない主義だもんね、ちょっと待っていてね」と友人たちの話が終わるまで待っているということが何度かありました。でも、悪口以外のコミュニケーションももちろんあったので、悪口を言えなくて困る、ということはありませんでした」
同調圧力としての悪口を使わずに来れた、というのはいいことですね。番組では『世界99』の悪口についてのこんな描写が紹介されました。友達の部屋で勉強していた空子に友達の兄が怒鳴り込んでくるというシーン。
あ、私を傷付けるためだけに言葉を発しようとしている、と瞬間的に察知した。お兄さんはもうすぐ破裂する。
そういう言葉は、インパクトがあるだけで土台がないので浮遊していて、相手の身体の中に入り込んで爆発する。そのためだけの言葉なのだ。世界99
「私の小説の登場人物は嫌な人が多いので、悪口もよく出てきます。このお兄さんは〈匠くん〉といって、本当に加害的な人なんですけど、普段はおそらく見せていない側面を家の中では晒していて、自分より年下でからだも小さい、子供である空子たちになら、ここまでひどいことを言えるぞ、っていう威嚇のためだけの悪口を言っています。実際の空子たちを見て、考えて作った悪口ではないのです。それを「土台がない」と表現しました」
たとえば、そういう悪口を言われたとき、私たちはどうやって防御すればいいのでしょうか。
「私は誰かの言葉を受け取ったとき、〈嬉しい⇔悲しい〉という軸のほかに、〈面白い⇔面白くない〉という軸でも考えます。悪口を言われたとき、悲しかったけど、自分の本質を突いていて興味深かったり、「この人はなぜこんなことを言ったんだろう」とその根源が面白そうだったら考える価値はあるけれど、嬉しくない上に面白くなかったら、それって本当にどうでもいいものなのではないかな、と思います」
たしかにその通りですね。そうやって、気にしなくていいものとばっさり切れたら気が楽になれそうです。
「番組を通して、私は言葉そのものよりも、その根幹が何なのかってことのほうに興味があるんだなっていうことにあらためて気づきました。大学生の頃、小説の勉強会で、敬愛する先生が「セリフは書いてある言葉そのものじゃなくて、その言葉を発している人の人間性とか感情とかを表現するためにあるのだと思います」って繰り返し仰っていたのですが、それが小説の中だけでなく、日常でも沁みついているんだな、と」
次回のテーマは「青春って一体なに?/関係性を表す言葉」。村田さんは引き続きゲストとして出演されますが、見どころは。
「青春のイメージについて八木さんが語った言葉に、「わかるなあ」ってすごく新鮮に感じました。はじめてお会いしたのですが、八木さんの言葉ってすごく〈八木さん性〉があるなあと思うんです。前回と今回、そして次回と、いろんな言葉について語り合ってきましたが、とくにみんなの表現に違いがあったのが「青春」についてだったかもしれません。そして、その違いを語り合うことによって、新しい側面を教えていただいたように感じました。それも言葉の作用のひとつかもしれませんね」
【番組情報】
「わたしの日々が、言葉になるまで」(Eテレ、毎週土曜20:45~21:14/再放送 Eテレ 毎週木曜14:35~15:04/配信 NHKプラス https://www.nhk.jp/p/ts/MK4VKM4JJY/plus/)。次回の放送は5月17日(土)20:45~。「青春って、一体なに?/関係性を表す言葉」を探究します。次回の「あの人の〈わたしの日々が、言葉になるまで〉」は俳優の八木莉可子さんが登場予定!