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「日本語からの祝福、日本語への祝福」書評 私の「オアシス」目指した冒険譚

評者: 望月京 / 朝⽇新聞掲載:2025年06月07日
日本語からの祝福、日本語への祝福 著者:李 琴峰 出版社:朝日新聞出版 ジャンル:文学・評論

ISBN: 9784022520333
発売⽇: 2025/02/21
サイズ: 18.8×1.9cm/280p

「日本語からの祝福、日本語への祝福」 [著]李琴美

 タイトルを見ただけで何だかうれしくなる。本文を読み進めると、「少女時代からこよなく愛し」「100%自分の意思で選んだ言語」への思いが伝わる言葉選びに、こんなにも日本語をいつくしんでくださってありがとう、と感謝や幸福感すらわきおこってくる。
 人が外国語を学ぶのは、多くの場合、学業や仕事、旅行など何らかの必要に迫られてのことだ。琴峰さんは違う。「台湾の田舎」の中学2年生のとき、ふと「日本語やってみたいかも」と思った。日本語は必修科目でもなく高校入試にも役立たない。留学予定も、周囲に日本語を話す人や学ぶ環境もなかったが、だからこそ日本語学習は彼女にとって、閉鎖的で高圧的な環境における「私だけのオアシス」だったのだという。
 明確な目的もお金もない中学生が、意欲と知恵とインターネットでいかに日本語を習得したか。その軌跡は工夫と文化的発見、そこはかとないおかしみに満ちた冒険譚(たん)のよう。ポケモンゲームでカタカナを、アニメソング動画でひらがなを覚え、中国語や台湾語とは違う漢字の使い方や熟語を訝(いぶか)りつつ想像を逞(たくま)しくする。普段無意識に使っている日本語の様々な疑問や特殊性が他言語との比較から明示され、日本人には母語再発見と異文化理解の楽しみもある。
 しかし私がとりわけ打たれたのは、「ゃ」という文字を「火が燃えているよう」、日本語の活用を「数式的な美しさ」、ひらがなもカタカナも「実に形が豊かで、美しく、想像力を働かせやすい」と表現する琴峰さんの繊細な言語感覚だ。理に適(かな)った比喩は詩的で美しく、私が知らない単語も登場する。
 大人になった琴峰さんは日本に留学後移住し芥川賞作家にまでなった。いかなる環境に生まれ育とうと、自分の努力次第で外国語をここまで「獲得」できる。秘めたる可能性を拓(ひら)く強靭(きょうじん)な意志や根気、行動力と聡明(そうめい)さに心底感嘆した。
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り・ことみ 1989年台湾生まれ。作家・翻訳家。2013年に来日。21年、『彼岸花が咲く島』で芥川賞を受賞。