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書評委員の「夏に読みたい3点」①青山七恵さん、石井美保さん、隠岐さや香さん、酒井啓子さん、酒井正さん

青山七恵さん(小説家)

①影犬は時間の約束を破らない(パク・ソルメ著、斎藤真理子訳、河出書房新社・2640円)
②レベッカ 上・下(デュ・モーリア著、茅野美ど里訳、新潮文庫・各880円)
③トムは真夜中の庭で(フィリパ・ピアス著、高杉一郎訳、岩波少年文庫・1012円)

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 ①夏だけど冬眠したい。心身回復のための冬眠が可能になった世界で、眠る人を見守るガイドたちの物語。時間と心の結びめがほどけたら、影犬が助け出してくれる。たっぷり空気を含んだきめ細やかなかき氷の中に身を埋めるような読み心地。これだけ猛暑が続くと、近々必要になるのは冬眠ならぬ夏眠かも。②夏眠できないのであれば、せめて涼しい部屋でのんびり、長くてこみいった話に没頭したい。玉の輿(こし)婚を遂げた若い女が、夫の亡き前妻レベッカの影に脅かされる。行間に淀(よど)む冷気が最高。③は夏になると読み返したくなる児童文学。子どものころは永遠に続くように思えた、限りある時間。夏はだるい。夏はしんどい。でも思い出すと泣けてくる、過ぎ去って戻ってこない夏の時間。

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石井美保さん(文化人類学者)

①エクソフォニー 母語の外へ出る旅(多和田葉子著、岩波現代文庫・1166円)
②ヴェネツィアの宿(須賀敦子著、文春文庫・726円)
③遊覧日記(武田百合子著、武田花写真、ちくま文庫・770円)

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 一人旅の鞄(かばん)に忍ばせて、手持ち無沙汰なときにページを繰りたい、越境と遊歩をめぐるエッセイ三冊。①ドイツ在住の作家が世界各地を旅しながら、変幻自在な言語の妙を考察する。臓腑(ぞうふ)でもって言葉をつかみ、言葉と戯れるセンスに感嘆する。②ヨーロッパに長く暮らした著者が、彼(か)の地と故郷の大切な人たちとの交流を綴(つづ)ったメモワール。静謐(せいひつ)な筆致の中にもどこか昏(くら)さを感じるのは、あらゆる出会いに孕(はら)まれた別れの予感のせいだろうか。③日記文学の名手による遊覧記。彼女の手にかかると、何てことのない風景から哀愁と可笑(おか)しみに満ちた人生が立ち上がる。まったき生活者でありながら放浪者の孤独を湛(たた)えた、その流儀の原点はどこに? 最後の「あの頃」を読むと腑に落ちる。

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隠岐さや香さん(東京大学教授)

①崩壊学 人類が直面している脅威の実態(P・セルヴィーニュ、R・スティーヴンス著、鳥取絹子訳、草思社文庫・1210円)
②Blue(川野芽生〈めぐみ〉著、集英社・1650円)
③アメリカの反知性主義(R・ホーフスタッター著、田村哲夫訳、みすず書房・5720円)

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 戦争の気配と気候変動とが未来を楽観させてくれない。私たちの社会は物と貨幣の流れが絡み合っており、わずかな混乱でも文明の崩壊に等しい危機が訪れる。①は食料や水の途絶も含めた危機事態を想定する「崩壊学」という試みである。ただ憂えるよりは備える方がよい。原著は2015年出版だがパンデミックの想定もなされていた。②は「人魚姫」を上演する高校生の物語を通じ、トランスジェンダーの若者を描いている。多感な時期にコロナ禍を生きた世代のひりつくような感覚が印象に残る。
 ③は現在のトランプ政権を取り巻く宗教的熱狂と高等教育への憎悪を考える上で鍵となる「反知性主義」を扱った古典である。米国における知識人と政治の確執が数世紀の厚みをもって描かれる。

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酒井啓子さん(千葉大学特任教授)

①ハイファに戻って/太陽の男たち(G・カナファーニー著、黒田寿郎、奴田原睦明訳、河出文庫・1078円)
②平和を破滅させた和平 上・下(フロムキン著、平野勇夫ほか訳、紀伊国屋書店・各4180円)
③全東洋街道 上・下(藤原新也著、集英社文庫・各1540円)

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 イラク戦争とか、中東関連の基礎文献を挙げたくて探したら、軒並み絶版、在庫なし。ショックである。
 ようやく見つけたのが、①と②。①はパレスチナ抵抗文学の古典で、八年前に復刊、文庫化された。ガザ戦争後、売り切れ続出らしい。「太陽の男たち」のじりじりとした灼熱(しゃくねつ)下を感じながら、読んでほしい。
 ②は、パレスチナ問題を含め、中東で噴出する諸問題のほとんどが、第1次大戦の後始末で生まれたことを大河ドラマのように描く。平和のディールの名のもとに、どれだけ真の解決の芽が消えていったことか。
 ③は、かつてのバックパッカーのバイブル。インド、中東に、こんな魅力的な旅があった。ポスト・コロナ時代の若者に、再び、いい旅を。

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酒井正さん(法政大学教授)

①国民の天皇(ケネス・ルオフ著、木村剛久、福島睦男訳、高橋紘監修、岩波現代文庫・1650円)
②小津ごのみ(中野翠著、ちくま文庫・924円)
③T・P(タイムパトロール)ぼん 新装版 全5巻(藤子・F・不二雄著、小学館・各1210円)

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 戦後の大衆文化に適合した天皇制が持つ戦略性を分析した①には、目を見開かされる思いがした。②は、小津安二郎が偏愛した衣装や装飾の解剖を通じて、作品に描かれた世界が当時ですらリアリティーを欠いていたことを明かす。小津は「小市民的生活のシアワセ」を描いたわけではなく、その徹底した好悪によって、解体される存在としての家族の悲しみを見つめた。小津作品への愛が溢(あふ)れる逸品。子どもの頃には薄味の作品だと思っていた③は、昨年、再アニメ化されたものを見て印象が少し変わった。戦争のような夥(おびただ)しい死を防ぎたい誘惑に駆られながらも、タイムパトロールとして歴史に影響しない人間しか救助できないことの意味に主人公が煩悶(はんもん)する「分配的正義」の物語だったのだ。

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>朝日新聞書評委員の「夏に読みたい3点」②はこちら

>朝日新聞書評委員の「夏に読みたい3点」③はこちら

>朝日新聞書評委員の「夏に読みたい3点」④はこちら