高谷幸さん(東京大学准教授)
①二つの祖国 全4巻(山崎豊子著、新潮文庫・825~1045円)
②地上で僕らはつかの間きらめく(オーシャン・ヴオン著、木原善彦訳、新潮クレスト・ブックス・2420円)
③地球にちりばめられて(多和田葉子著、講談社文庫・792円)
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トランプ政権による大々的な移民の追放。その根拠の一つとして持ち出されたのが、敵性外国人法だ。それは、太平洋戦争時に日系人を収容する根拠ともなった。①はその戦争の真只中(まっただなか)を生きた日系2世の苦悩を描く。80年前の経験は忘れ去られたのか。
今年はベトナム戦争終結50年でもある。②は戦争を経験した家族と共に米国に渡った著者が、母への手紙として綴(つづ)った自伝的小説。移動は喪失、傷を孕(はら)む一方、新たな生と言葉を創り出す。秀逸な翻訳により、その果を味わえるのは愉悦の体験だ。
③は、故郷の国を失った女性が独自の言語をつくり、自分と同じ母語を話す人を探す旅に出る物語。旅の過程で出会った人たちと、軽やかに言語と国を越えていく姿に自由の在処(ありか)をみる。
田島木綿子さん(国立科学博物館研究主幹)
①クジラのおなかに入ったら(松田純佳著、ナツメ社・1430円)
②クジラの骨と僕らの未来(中村玄著、理論社・1430円)
③寝ても覚めてもアザラシ救助隊(岡崎雅子著、実業之日本社・1650円)
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夏といえば海!ですので、海に棲(す)む我らが仲間の哺乳類に関する3冊をご紹介します。①は国内で年間約300件報告される海岸に打ち上がったクジラやイルカの胃の内容物を調べて彼らが何を食べているのか?を研究した科学エッセイ。②は幼少期から野生生物好きだった大学教員の著者が夢を叶(かな)えるまでの自叙伝。③は北海道のオホーツク海沿岸で、親とはぐれたアザラシを保護して野生復帰させたり飼育したりする獣医師資格を持つ飼育員の奮闘記。3冊とも、心に抱いた夢や希望を具現化しプロとして歩んでいきたい方々には教科書的役割も担うことでしょう。四方を海に囲まれた島国・日本と称されますので、海に棲む生き物たちに思いを馳(は)せる今夏にしてみるのは如何(いかが)でしょう。
中澤達哉さん(早稲田大学教授)
①向う岸からの世界史(良知力著、ちくま学芸文庫・1430円)
②創られた伝統(エリック・ホブズボウムほか編、前川啓治ほか訳、紀伊国屋書店・5233円)
③ネイションという神話(パトリック・J・ギアリ著、鈴木道也ほか訳、白水社・5940円)
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1989年の夏、高校3年生の私の心を捉えて放さなかったのが①。自明とされる歴史がいかに自明ではないか。多数派の主張をなぜ疑わねばならないのか。19世紀ウィーン郊外に住むスラヴ系流民が排除される事件を通じて教えてくれた。戦後歴史学から現代歴史学への転換を促した名著。
②は、古いと思われる伝統が実は近代に構築された人工物であり、各国のナショナリズムの構築に寄与していたという事実を赤裸々に描写。
③は、フランク人やゴート人などの中世初期の民族集団が特定の言語や生活様式を有したとする通説に反論。ローマ人がゴート人を名乗ることも、またその逆もあったという。中世の民族集団が現代の民族や国民の基盤にすらならないと結論付けた衝撃作。
野矢茂樹さん(哲学者)
①最新版 指輪物語 全7巻(J・R・R・トールキン著、瀬田貞二、田中明子訳、評論社文庫・990~1320円)
②哲学ってどんなこと?(トマス・ネーゲル著、岡本裕一朗・若松良樹訳、昭和堂・2136円)
③新編 宮沢賢治詩集(天沢退二郎編、新潮文庫・605円)
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夏休み。そこで大長編ファンタジー。『ホビットの冒険』が私としては牧歌的で大好きなのですが、①はその続編の途方もない物語世界。どっぷりと浸ってください。
次は哲学入門。自分の本は挙げてはいけないというので、二番目として②。たんに自分の主張を展開するだけでは哲学の本とは言えない。問題を考え、議論しつつ、しかも頭でっかちにならないのがネーゲルという哲学者のいいところ。哲学の扉を開いてみましょう。
ポケットに忍ばせて旅に出るなら、③なんかどうです? 私は「小岩井農場」という長編詩が好きで、5月に、小岩井駅から小岩井農場までの宮沢賢治の歩いた道を辿(たど)ってきました。(文庫では「小岩井農場」は抜粋ですが。)
藤井光さん(東京大学准教授)
①赤朽葉家(あかくちばけ)の伝説(桜庭一樹著、創元推理文庫・880円)
②こびとが打ち上げた小さなボール(チョ・セヒ著、斎藤真理子訳、河出文庫・1430円)
③逃亡派(オルガ・トカルチュク著、小椋彩訳、白水社・3630円)
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強烈に暑い日は、自分の体が少し溶けてしまい、外界との境界がよくわからなくなりませんか。そんな夏の日々は、現実の見方を少し変えるような不思議な小説を読むのにちょうどいい季節かもしれません。
鳥取の旧家の3世代にわたる女性の人生を描く①は、それぞれの女性の物語に、幻視能力あり疾走する少女たちありミステリーあり、と語りの妙を堪能できます。高度成長期の韓国を舞台とする②からは、厳しい競争社会と過酷な労働環境のなかでもがく人々の姿とともに、現実そのものが歪(ゆが)む感覚が鮮烈に浮かび上がります。クールな語り口の③は、身体や移動をめぐる断章が積み重なり、地図の経線と緯線のように交差し、私たちの現在の位置を照らし出してくれます。
保阪正康さん(ノンフィクション作家)
①冷戦終結からウクライナ戦争へ(岡田実著、文芸社・1650円)
②消された外交官 宮川舩夫(ふなお)(斎藤充功著、小学館新書・1210円)
③永遠平和のために(カント著、宇都宮芳明訳、岩波文庫・693円)
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ロシアによるウクライナへの軍事侵略開始から3年が過ぎた。戦争の真因はどこにあるのか。なかなか答えは見つからない。①は特派員としてソ連崩壊、東西ドイツ統一などを見聞した目で分析する構図が説得力を持つ。
②は敗戦時の関東軍の動きを見る時、欠かせない外交官。彼の果たした役割を再検証するためには、彼の軌跡を明らかにする必要があった。著者はその役を引き受けて、見事に果たした。今後はこの外交官が触れた歴史の断面を問うのが課題だ。
③古典的名著。戦後80年、日本近現代史は一人のカントも生まなかったが、国民一人一人の心理の中にカント的なるものを抱え込んでいる。国民総員がカントになって、平和論を構築する時であろう。
