菓子はその起源において神に捧げられたものだった。旧約聖書を踏まえて、いみじくも本書はまずそのことの確認から幕を開ける。確かにそうだ。菓子は生存に必須というわけではない。人間にとっていわば贅沢(ぜいたく)品である。だからこそまずは神に供されねばならない。お彼岸のおはぎが、人が食べるよりも前に仏壇に供えられるのもおそらくそのためだ。さもなくば罰が当たる。西洋で「神聖な」という意味の語源となったラテン語「サケル」には、もともと「呪われた」という反対の意味もある。菓子はいわばハレとケの合体である。聖なる菓子は、それゆえ呪われてもいる。
いったい誰が、たとえ無意識的にせよ、一抹のうしろめたさなしにティラミスやマカロンを口にできるだろうか。いってみれば禁断の喜びだ。本書を手に取った読者の多くもまた、視覚と嗅覚(きゅうかく)と味覚を同時に刺激されつつも、自分の体験から、軽い罪悪感のようなものを実感しながら、ページをめくっているのではないだろうか。管見では、その喜びとうしろめたさの両義性が本書の最大の魅力である。子供のころの駄菓子屋での心躍るような、しかしどこか負い目のなくはない記憶もまたよみがえってくるかもしれない。
主に西洋を代表する数々の菓子の歴史、さらにはそれらと日本との関係を、楽しくもトリビアなエピソードをふんだんに交えながら、丹念かつ軽妙に跡づけた本書には、はじめて教えられることも多々ある。マシュマロはもともと薬品だったというのは、ほんの一例だ。その一方で、美しい挿絵に彩られた本書をひもときながら、わたしは、飢餓に苦しむガザの子供たちが、ザッハトルテとは言わないまでも、せめてドーナッツだけでも口にできる時が一日も早く来ることを、祈らないではいられなかった。
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雷鳥社・1980円。22年12月刊。6刷3万2千部。読者は食に関心がある女性たち。「親しみのあるお菓子が実は古代から長旅をし、意外な出自を持つことをイラストとともに楽しめる」のが人気の理由と担当者。=朝日新聞2025年11月29日掲載