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「ジェイムズ」 脇役が躍り出る 存在懸けた問い 朝日新聞書評から

評者: 藤井光 / 朝⽇新聞掲載:2025年07月26日
ジェイムズ 著者:パーシヴァル・エヴェレット 出版社:河出書房新社 ジャンル:外国文学研究

ISBN: 9784309209289
発売⽇: 2025/06/27
サイズ: 13.7×19.5cm/416p

「ジェイムズ」 [著]パーシヴァル・エヴェレット

 マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』といえば、アメリカ文学史上屈指の名作である。なかでも、主人公ハックが逃亡奴隷のジムと運命をともにすべきか悩む場面は、アメリカ社会の良心をめぐる問題として、アメリカ作家たちに影響力を持ち続けてきた。
 名作小説の設定を借り、脇役に焦点を当てて語り直す。それ自体は見慣れた手法だが、パーシヴァル・エヴェレットの『ジェイムズ』は、トウェインの小説では脇役だった黒人奴隷のジムことジェイムズによる語りのなかに、物語としての魅力と人間の尊厳をめぐる真摯(しんし)な思考を絶妙に融合させた重要作である。
 小説の幕開けから、意表を突く描写が待っている。トウェインの描くジムは黒人の典型とされる言葉づかいで話していたが、一方のジェイムズは、白人と接するときだけその話し方を使い、黒人同士では一切使用しない。奴隷たちは、白人の前で「黒人」を演じているにすぎないのだが、白人の登場人物たちはそのことに気づかず、黒人たちを無知で劣った存在としかみなさない。マイノリティに対して押しつけられる偏見を、『ジェイムズ』は、マジョリティがみずからの願望から生み出した問題として鮮やかに突き返してくる。
 とはいえ、奴隷制が陰惨な暴力による支配体制であることは変わらない。ジェイムズはある日、妻と娘を残して自分のみが南部に売られることを知り、逃亡を決意する。そこに、横暴な父親から逃れてきたハックが合流しての逃避行が始まるが、自由と家族との再会を求めるジェイムズが行く先々で目にするのは、鞭(むち)打ちやリンチや奴隷売買など、過酷な暴力に支えられた差別の現実である。
 同時に、その旅路は笑いに満ちてもいる。「人違い」から生まれる誤解の滑稽さやどんでん返しの快楽を駆使しつつ、小説の語りは実にテンポよく進んでいく。ジェイムズが白人の楽団に雇われ、黒人役の白人として出演させられるくだりなど、人種をめぐる不条理を滑稽さを込めて凝縮する場面には事欠かない。
 それでも、ジェイムズは白人を「抑圧者」とは呼ばない。その言葉は、自分たちを「被害者」として固定してしまうからだ。それに抗(あらが)うことで尊厳を守ろうとするこの主人公は、やがて、別の奴隷が命がけで手に入れた鉛筆を託される。ジェイムズがみずからの言葉で書き、自身を表現することができるのかという、存在を懸けた問いに、作者エヴェレットもまた、自身が作家として書くことの意義を懸けている。
    ◇
Percival Everett 1956年生まれ。ロサンゼルス在住のアフリカ系アメリカ人作家。南カリフォルニア大卓越教授。本書で全米図書賞、ピュリツァー賞、英国図書賞など。『The Trees』はブッカー賞最終候補。