ISBN: 9784863856745
発売⽇: 2025/05/07
サイズ: 18.8×1.4cm/216p
「水脈を聴く男」 [著]ザフラーン・アルカースィミー
オマーンという国。どれだけの読者が、知っているだろう。
アラビア半島の東南端、インドを向いてアラビア湾に突き出した、砂漠と2千~3千メートル級の山脈に覆われた土地。
隣国のサウジやアラブ首長国連邦に比べると、今でこそ地味なアラブの産油国だが、17世紀中葉から19世紀末まで、東アフリカにまで広がる広大な海洋帝国として、ポルトガルやイギリスと覇を競った。クイーンのフレディ・マーキュリーの生地ザンジバルは、19世紀半ばまでオマーン帝国の一大拠点だった。
そんなイスラーム帝国の都に、文化的伝統が脈々と眠っていないはずはない。独立後は極左民族主義武装闘争も経験した国だから、社会問題、政治思想への関心が根づかないはずがない。
本書は、旱魃(かんばつ)や洪水など過酷な自然に振り回されるオマーン地方社会の生活の厳しさや、異能者に向けられる社会の畏怖(いふ)と警戒、排除と居場所探しを、詩的な美しさで描き出した秀作だ。アラブ文学のブッカー賞ともされるアラブ小説国際賞を、2年前に受賞した。
中東の水問題や農村社会の息苦しさといえば、半世紀ほど前であれば、階級差と貧困を真正面から扱った作品が多かった(黒澤明かイタリアのネオリアリズモを彷彿(ほうふつ)とさせる、1972年イラク映画「乾き」がその例)。
本作が描くのも、地方にありがちな社会的圧力や風評によって辺境に追いやられる主人公たちの、遣(や)る瀬無い姿である。
だがそこには、静かな社会批判とともに、夫婦や親子の細やかな愛情、そしてファンタジーともみえる不条理な世界が、底流に広がる。光景と音が浮かび上がるような文章のせいか、悲劇は剝(む)き出しでは押しかけてこない。地下水脈のように、深く漂っている。
この静けさは、作者が詩人だからなのだろう。アラビア語の美しさを損なわずに美しい日本語に移し替える訳者たちの力量にも、感服である。
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Zahran Alqasmi 1974年オマーン生まれ。小説家、詩人。本書は4作目の小説。詩集を10冊刊行している。