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原爆体験の子どもたちの声「1945年8月6日 あさ8時15分、わたしは」58年前の絵本を再編集

「1945年8月6日 あさ8時15分、わたしは」(童心社)

 広島で被爆したり、父母を亡くしたりした子どもたちの作文を収めた58年前の絵本が、現代の小学生向けに編み直された。きっかけは、原爆投下当時5歳で母と父を相次いで亡くし、その体験を作文に書いた女性が抱いた「今の子どもたちに何かしたい」という強い思いだった。

 7月25日に刊行された絵本「1945年8月6日 あさ8時15分、わたしは」(童心社)には、当時4歳から小学6年だった子どもが書いた作文6編が収められている。

 元になったのは、1967年に童心社が出した絵本「わたしがちいさかったときに」。当時、戦争の実相を知らない戦後生まれの中高生以上の「若い人」に向けて作られた本だった。

 20編の作文から、今作には6編を選んだ。遊んでいる最中に強烈な光にさらされた子や、やけどを負った同年代の女の子に、避難する船の中で「もうだめ」と言われてお弁当をもらって食べた子。編集を担当した平山滋子さんは「どういう言葉なら今の子どもたちが自分に引き寄せて読むことができるかを考えた」と話す。

 うち1編は、千葉県船橋市に住む小川俊子さんが小学5年のころに書いた作文だ。小川さんは愛媛県に疎開中、母と父を相次いで亡くした。2022年の春、小川さんから「私は作文を書いた一人です。何かできることはありませんか」と童心社に電話があった。直前に始まったロシアによるウクライナへの侵攻を見て、居ても立ってもいられなくなった。

 平山さんは、小川さんを訪ねて思いを聞き、本を再編集できないかと考え、寄稿を依頼した。引き揚げ中に列車から荒廃した広島の街を見た童話作家のあまんきみこさんと、広島に住んで被爆者や街と向き合う詩人のアーサー・ビナードさんにも文を寄せてもらった。3人には80年前と今とを「つなぐ役割」を期待した。絵は67年刊行の本に子どもの姿を描いたいわさきちひろの作品から選び直した。

 「被爆当時の子どもたちにも、今と変わらない普通の日常があった。当時をありのままに書いた作文が、今を生きる子どもたちが想像を広げるきっかけになれば」。平山さんはそう願っている。(伊藤宏樹)

「ちひろと世界の絵本画家たち 絵本でつなぐ『へいわ』」展

 「戦後80年 ちひろと世界の絵本画家たち 絵本でつなぐ『へいわ』」展が10月26日まで、東京都練馬区のちひろ美術館・東京で開かれている。絵本画家いわさきちひろをはじめ、国内外の画家29人が戦争や平和をテーマに描いた絵本の原画や資料など約130点を、メッセージとともに展示する。戦後に出版された絵本から、戦争と平和を考えるための作品150点を選び、手に取ることができる場所も設けた。

 広島で原爆を体験した子どもたちの作文を収めた1967年刊行の絵本「わたしがちいさかったときに」と、今夏再編集された「1945年8月6日 あさ8時15分、わたしは」に掲載されたちひろの原画の一部も展示している。大人1200円、高校生以下無料。月曜(祝休日の場合は翌火曜)休館。=朝日新聞2025年8月13日掲載