- 飯嶋和一『南海王国記』(小学館)
- 葉山博子『南洋標本館』(早川書房)
- 澤田瞳子『梧桐に眠る』(潮出版社)
17世紀、長い間中国大陸を支配していた漢民族の明王朝が滅ぼされ、満州人による清王朝が成立した。そんな中「抗清復明」を掲げて戦い、現在の台湾に国を建てたのが鄭成功だ。飯嶋和一『南海王国記』はその鄭成功の生涯を追った物語である。
明の海賊を父に、日本人女性を母に持つ鄭成功は長崎・平戸の生まれ。幼名を田川福松という。7歳で科挙受験のため明に渡った鄭成功がなぜ戦いに身を投じ、台湾を拠点に「海洋を領土とした」南海王国を建てたのか。
中国、台湾、日本という広範囲を舞台にしたスケールの大きな歴史小説だ。心理描写の少ない抑制の利いた筆致はまるで歴史書のようで、なのに事象の積み重ねの間から圧倒的なドラマが滲(にじ)み出る。己の利益に汲々(きゅうきゅう)とする人々の中で、鄭成功の信念が輝く様子を堪能されたい。
葉山博子『南洋標本館』は鄭成功から約300年後、大正から昭和にかけての台湾が舞台。日本統治下の台湾で植物学者を志したふたりの青年の物語である。
台湾人の陳と台湾生まれの日本人・生田。立場は違えど共通の趣味を通して友情を育むふたりを、時代という名の激流が襲う。個人の資質ではなく、出自や身分で振り分けられ、道が決められる。研究が、行動が、制限される。戦時下を描いた小説は多いが、植物学という政治から離れた場所を通して戦争を描くとこうなるのか、と新たな視座を与えられた。
当時の台湾の景色が、音や匂いとともに目の前に立ち昇るような筆力が素晴らしい。時代と土地の持つ熱が伝わってくる。『南海王国記』と併せて、台湾の変遷という視点で読むのも興味深い。
鄭成功が戦った清より遥(はる)か昔、日本でいえば奈良時代に中国大陸を統べていたのは唐だ。澤田瞳子『梧桐(あおぎり)に眠る』は8世紀に帰りの遣唐使船に乗って日本へやって来た唐人・袁晋卿(えんしんけい)の物語である。
いつでも帰れると言われて興味本位で日本に来たが、特に何か役目があるわけでもない。ふらふらしているうちに新羅からの留学生と知り合い、藤原広嗣の家に寄宿することになるが……。
唐人の袁晋卿の目を通して描かれる奈良時代が新鮮だ。大唐に追いつこうとする当時の日本の姿、都を襲う天然痘の流行など読みどころは多い。その一方で、外国人や浮浪児など居場所を持たない者たちの苦悩も胸に迫る。
興味深かったのは、日本に戸惑う袁晋卿の様子が流行(はや)りの異世界転生ものに重なることだ。古代史小説に馴染(なじ)みのない人でも楽しめるのではないだろうか。
紹介した3冊は時代こそ異なるが、いずれも東アジアの中の日本の姿が相対的に浮かび上がる作品だ。ぜひ読み比べてほしい。=朝日新聞2025年9月24日掲載